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「組織論・運動論」討論欄

『社会科学総合辞典』と『独習指定文献』

2000/2/15 J.D.、20代、学生

 一万円くらいする『社会科学総合辞典』なるものが存在していますが、これは、私のような学生が、ごく基本的な歴史的事実を調べる際には一定の役割を果たしますが、理論的な学習にとってはあまり役に立たないどころか、かえって害にさえなるような気がします。もっとも、一定の理論水準の人が、「誤謬の典型」集として、研究する際には理論的にも役立つでしょうが。
 もちろん全項目を検討したわけではないので、ここまで言うと言い過ぎかも知れませんが、今回は「プロレタリア独裁」について思うところを述べて、そこから少し展開したいと思います。

 この『辞典』では、「ディクタツーラ」を日本共産党の公式見解に従って「執権」と訳しています。そして「プロレタリアートの執権」を「プロレタリアートの権力」と同じ意味だとして、「ディクタツーラ」の問題をもっぱら「労働者階級の権力」という項目で論じています。
 しかし、「労働者階級の権力」と言えば、労働組合も当然含まれることになります。権力と言っても、政治的権力と経済的権力の二種類があり、これらを権力一般に解消するのではなく、両者の区別と連関を明らかにするのがマルクス主義の立場である、と私は考えています。これが当然に、政治革命と、経済革命を中心とする社会革命の区別と連関の問題につながっていくのです。
 プロレタリア革命の特殊性は、社会革命に対する政治革命の先行性にあります。すなわち、政治革命(=プロレタリア革命)を媒介にしなければ社会革命(=社会主義革命)を実現することは出来ないのです。そして政治革命としてのプロレタリア革命とは、プロレタリアートがブルジョアジーに代わって、自己を最強の中央集権的な政治権力にまで構成し、国家権力を掌握することです。これがすなわち、プロ独形成の過程です。また、社会革命としての社会主義革命は、プロ独死滅の過程=国家死滅の過程としての一面を持っています。
 それでは、どのようにしてプロ独を形成するのか? レーニン『なにをなすべきか?』によれば、労働者は自然発生的にはせいぜい「組合主義的意識」(物取り意識)しか持ち得ないのであるから、「外部から」「社会民主主義的意識」(=明確な階級意識、高度な社会主義的政治意識)を持ち込まなければならない、というのです。そして、この「持ち込む」役割を果たすのが言うまでもなく、前衛政党=共産党なわけです。
 この「組合主義的意識」から「社会民主主義的意識」への転化は、言うなれば「飛躍」ですので、「階段を一歩一歩」のぼっていたのでは、絶対にこの転化は起こらないのです。また、「社会民主主義的意識」を労働者の中に持ち込むはずの共産党に、肝心の「社会民主主義的意識」がないのではお話になりません。
 前にもふれましたが、党中央は「未来社会の青写真は描かない」とよく言いますが、あれは「描かない」のではなく「描けない」のです。すなわち、青写真云々という発言自体が、自らの理論水準の低さの現象形態でしかないのです。
 共産党の活動を議会・選挙に解消してしまうと、「社会民主主義的意識」といった高度な政治意識・政治理念など不必要になってしまいます。なぜなら、議会制民主主義においては、大多数の人は、階級的な政治理念を支持して投票するのではなく、自己の経済的な利害をもっとも良く理解し、また実現してくれそうな政治家に投票するからです。従って、このような議会制民主主義のもので共産党が議会の過半数を占めたとしても、自己の政治的理念に基づいた全体的な政治的=イデオロギー的支配、すなわちプロレタリア独裁を実現することは出来ないということになります。
 今の共産党に欠けているものの一つは、プロレタリアートを強力な政治的権力にまで組織するための研究や努力だと思われます。共産党は革命のための組織ですから、その組織論は当然に革命論によって規定されることになります。しかし、現在は革命論なんてありませんから、必然的に組織論も歪んだものになります。
 私は、『独習指定文献』に、レーニン『唯物論と経験批判論』に代えて、レーニン『なにをなすべきか?』と『共産主義における「左翼」小児病』を入れるべきだと考えています。だいたい、自分自身で「哲学はあまり勉強していない」と告白しているレーニンの『唯物論と経験批判論』を、マルクス主義認識論における発展などと称している者は、その発言によって自分の無能力を証明しているにすぎません。『唯物論と経験批判論』における誤謬は、『共産主義における「左翼」小児病』で実践的に克服されているのであって、失敗から学べ、という意味でならともかく、何故に致命的な誤謬が含まれている著作を『独習指定文献』に含めて、その誤謬を克服している著作をはずしているのか、訳が分かりません。