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「組織論・運動論」討論欄

プロレタリアート独裁は不可能か?>特に党員の方々へ

2000/8/26 J.D.、20代、学生

 マルクス主義で「独裁」という場合、「ヒトラーの独裁」とか「ナポレオンの独裁」とか日常的に使われる意味での「独裁」とは、意味が異なるのは当然ですが、党員の方々でも「プロレタリアートの独裁」は不可能だと思っておられるのでしょうか? あるいは、そんな議論は必要ないと考えておられるのでしょうか? さざ波通信の編集部の方の意見も聞きたいところですが。
 私なんかの場合、田口富久治が不可能だといっている、と聞けば、むしろ可能なのではないか、と推測するのですが、どうなんでしょう。しかし、プロ独が不可能ならば、共産党が政治理念を打ち出して、レーニンのいう「社会民主主義的意識」を外部から注入する必要もなくなりますし、そもそも共産党なんか不要になりますよね。社民党で十分です。だから、社民化してしまって「共産党」という名前も綱領も変えろ、と主張されている人ならともかく、社民党ではなく共産党で活動されている方々は、プロ独が可能だという前提に立っていなければおかしくないですか?
   もちろん、政治革命が甚だ困難であることは十分承知しているつもりです。その困難なことをなしえたからこそ、レーニンは偉大な革命家と評価されるわけですし。しかし、困難であることと不可能であることとは別物ですよね。今の共産党では不可能であることは間違いないと思いますが、だからといって無条件に不可能である、ということにはなりません。大多数の人が不可能であると考えているからといって、不可能であるとは限りません。江戸時代の人々が、身分差別のない時代が到来すると考えていたでしょうか。