民主集中制や共産党組織論が否定的に論議されはじめた頃に、芝田進午氏は注目すべき発言をおこなっていた。日本共産党を批判して民主集中制を批判する人々が、批判する共産党を乗り越えた組織論を実現しているだろうか、という論点である。民主集中制の否定的側面を打破した組織論を構築しているかということである。新日和見主義事件に続く査問問題などが表面化する前だった。共産党を離れた勢力が四分五裂していっそう対立するような状態が多発したのを見れば、妥当である。 ただ芝田氏は晩年に、民主集中制と並んで、イギリス哲学なかでもジョン・スチュアート・ミルの寛容論が接続される必要性を力説していた。いただいた手紙が見当たらないので、ミルが他のイギリス人かも知れない点だけは保留とするが、芝田氏が今の組織論だけでは問題があると見ていたのは、古在由重氏や出隆氏といった恩師の政治的不遇に心をいためていたからだと思う。 私が宮本顕治氏の意義を評価した芝田氏の言説を肯定的に取り上げたのを読み、「個人的には民主的と思っている人間が宮本顕治の亜流であることに気づかない以上宮本の影響力が続く」と書いた文を雑誌で見かけ呆然と・・・(文字化け)・・・。