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「組織論・運動論」討論欄

芝田進午氏の民主集中制論の実践的意義(最終稿)

2002/1/4 桜坂 智史、50代

 良心的な多くの知識人は、日本共産党の意義を認めつつもこの党のさまざまな限界として、組織論としての民主集中制をあげる。確かに川上徹氏が勇気ある発言をおこなった「査問」(筑摩書房)を読むと、いかに組織的病理が蝕んでいるかを如実に知る事ができる。けれども、芝田氏は、民主集中制を告発して党を離れた組織が、決して民主集中制を超えた存在となりえていないことを指摘する。芝田氏は今の日本共産党を、民主集中制から逸脱していることを批判しつつ、日本共産党がもつ意義を擁護している。
 この視座からは日本共産党自身が自己革新し続けない限りは、芝田氏の指摘を克服することはできない。つまり芝田進午氏の指摘により、日本共産党は二重に高められねばならぬ宿題を課せられているわけである。私の思う限り、そのことを深く認識している党員研究者や幹部党員は必ず存在する。彼らが共産党ルネッサンスをめざすことによって、民主集中制は疎外された官僚的中央集権制から再び民主集中制へと回復する。
 私見によれば、この「さざ波通信」もそのような共産党ルネッサンスの事業の一環である。また川上徹氏や「日本共産党への手紙」を編集した有田芳生氏らの動静もそれに関与する。