芝田さんの民主集中制論についての最終稿が「科学的社会主義」の欄に採用されているので、この分野にその後の感想を含め、書き足したい。
「JCPウォッチ」でこの問題を書いた反応として、民主集中制の芝田氏の意義は了解しても芝田氏自身もその犠牲となっているし民主集中制は権力の集中としか成りえない、という返信をいただいた。確かに。その通りかも知れない。だが実在として大工業と労働過程の理論をもとに、民主集中制の発展のたるにぎりぎり尽力した芝田さん自身はもっとリアルに日本共産党の実態を把握していた。挫折して党外から批判するよりも、この思想家の忍耐は限度を超えてもいたろう。それでも死ぬ直前まで、国家権力と御用科学者を相手に、新たな時代の困難とての生化学災害裁判に取り組み続けた芝田さんの闘争こそ、私も含め民主集中制などあり得ないと言う無責任さを超越している。あり得ない民主集中制を創造するために死闘を党内で奮闘した勇気こそ、称賛に値する。