共産党の政策や組織上の欠陥を指摘された時、現自民党政権を揶揄することに終始するだけでは議論にならないと思います。深層部に至った議論をしなければ何の意味もない。過去においても外部の指摘を受けたとき党指導部はお茶を濁すだけで、まともに提起された問題を取り上げて議論するということをしませんでした。
それでは外部への説得になるどころか、共産党に疑問を抱く層をそのまま置き去りにすることに他なりません。すでに獲得している支持者を「押さえる」のには役立つかも知れませんが、ほかの層を取り込んでいくことにはならないでしょう。
言うまでもなく、政治にはいろいろな力や企みが働きます。
当然、影で暗躍して自らの思うように政局を導こうとする人や勢力もあるでしょう。しかし権力に対し、政局運営上のルール・原則をはめるのが民主主義です。国政に参加し、政権を目指している以上、共産党も(人民の)監視の例外ではありません。
民主主義とは政見・政策の善し悪しの問題ではなく、あくまで原理原則の問題なのです。
自民党政権もいろいろな問題を孕んでいます。しかし大枠では憲法上の民主規定にしたがって政局を運営してきた。現在も代議士中心の党運営がなされ、まがりなりにも党首(総裁)の選挙をやっている。
どの党の政策が正しい、おかしいという話をしているのではありません。民主的原則について話をしています。
私は自衛隊設立時に解釈で憲法9条を変えたことは民主に反していると思う。自衛がいい、非武装がいいという話ではなく、憲法に明文化されていること(武力の放棄)を変えるには手続きを踏まなければいけないのである。これは原則の問題だ。
しかし、それ以外については先程申したように大枠で憲法の規定にしたがっていると思う。安保改正も国会を通過して批准したものだし、共産主義運動についても犯罪行為があった場合は(破防法等で)取り締まるものの、思想の自由や党を組織しての運動は認められている。
こう言うと、では過去に公安が党幹部宅の電話を盗聴したことがあったではないかと反論を受けそうだが、それは権力の側が法を犯したのである。我々はそれを司法の場で裁く権利を持っている。
共産党は党運営や党内民主のことなど、耳の痛い問題については「結社の自由」等の論脈で批判をはねつけてきたようだが、それはちがう。先程も申した通り、国政に参加し政権党を目指すと公言する以上、共産党のありかたは人民の権益と密接にかかわっており、人民の疑念に回答する必要がある。「開かれた国民の党」とはそういうことではないのか?
共産党が単独で政権に就いた時、最も問題であるのは党の国会議員が規約に縛られて個人の裁量で議決に加われないということだ。議員本人の意思よりも党中央の決定が優先されるのであれば国会は中国の人民代議員大会のようになります。仮に国会の議案を先に党大会にはかるようにすれば、党大会の重要性は国会に逆転する。党大会のほうで活発に意見がたたかわされるのなら、まだしも多少は民主的な運営と言えるが、いまの党大会はそのような運営になっていない。
マークすべき点1
共産党は全党による党首選挙をおこなっていない。
ここでいう党首とは委員長のことではありませんよ、共産党の権力構造を見る限り中央委員会議長が最高権力者です。
マークすべき点2
共産党は首相公選制に反対している。
直接選挙で首相(内閣)を決めるようになれば、党中央による党議員支配という構図の一角が崩れます。
マークすべき点3
共産党では分派活動が許されていない。
したがって党内での「政権交代」が非常に起こりにくいシステムになっている。
Hegelさんへの返事はここまでにします。
私は共産主義の専門家ではないので、今度は私から党員の方へ(編集部を含む)質問させてほしいのですが、編集部の「雑録」や党員の方の投稿を見ていると、どうもスターリン以前の民主集中制は良かったと考えているように読めます。民主とは制度と直結する問題です。制度として、レーニン時代とスターリン以降ではどこが違うのか教えていただきたいのです。また、新権力者が原則を簡単に曲げてしまうことができたことは(簡単でもないでしょうが、反対派の締め出しが可能なシステムだったのかと思う)、レーニン時代の制度にも不備があったのではないでしょうか?
私は、「民主」とはズバリ足元の原理・原則、そして制度の問題だと考えます。少なくとも聞こえのよい政見を高らかに謳いつづけることでそれを隠そうとすることではない。そして闘いつづけることによってしか「民主」は守られないというのは自民党内の問題でも共産党内部でも同じだと思います。
付け加えて、もし共産主義者の主張する「民主」と一般的な「民主」に違いがあるなら、違いについてきちんと明らかにされた上で得票されていった方がいい。一般的国民みんなが共産主義者というわけでもなく、共産主義理論を勉強しているわけでもありません。違いを明らかにされた上で現在の社会制度を批判された方が主張ももっと鋭くてわかりやすいものになるだろうし、何より公平です。それが本当の意味での「民意の選択」による革命というものでしょう。