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「組織論・運動論」討論欄

或る友人からの手紙

2002/11/23 桜坂 智史、50代

 わたしの尊敬する友人からの手紙の一節を匿名で紹介させていただく。彼は、誠実な社会人であり家庭人である。以下に紹介する一節は手紙の一部で、彼がわたしの掲示板に引用してくれた。
 そこから、週刊金曜日についての良識ある見識と、拉致問題についての「三分の理」さんと同様の日本の誠実な知識人の良識をうかがいしることができよう。とくに具体例の部分ははぶいたが、静かな説得力ある文章である。

 拉致問題を巡る排外主義の嵐は、ちょうど格好のターゲットを見つけたように弱小雑誌(定期購読していますが)の「週刊金曜日」を襲っています。
 この排外主義の嵐の要因のひとつは今の日本社会全体を覆う不安感、日々の生活での出口のない閉塞感に対して、いわば「官許」のはけ口が与えられたことによるのだろうと思います。国家権力の情報を垂れ流すマスメディアが、それに加勢して、煽るだけあおっているわけです。

 それと見逃してはいけない大きな要因がもう一つあると思っています。

 東西冷戦終焉後の90年代に入って、従軍慰安婦の人の発言や中国や韓国、そしてヨーロッパまで含めて、日本の「戦争責任」=加害責任追及の声が大きくなり、それに対して、国際的には、正面切って反対できない、否定できない状況が作られてきた。もちろん、自虐云々をいう連中はいるわけですが、外国ではそんなこと正面切っていえない(もちろん、歴史的に存在する民族差別意識は底流にあるわけですが)。

 それに対する鬱屈した感情が今回の拉致事件で爆発した。

 「それ見ろ、お前たちだって悪いことしてるじゃないか」というわけです。

 90年代以降のそういう国際的な流れを含めた状況に対する「反動」という要素が、今の排外主義的感情の爆発の背景にあることをみておくべきだし、逆にそこにこそ、今の状況に対する私たちの反撃の橋頭堡もあるのではないかと思うのです。

 90年代以降の「個人の人権」「人民の権利」を第一義におく考え方は、「資本のグローバリズム」に対する「もうひとつの 新しい世界は可能だ」という動きと価値観を共有するものだと思います。

 90年代いっぱいをかけて到達した日本の戦争責任を自ら引き受けようとする意識や動きをより発展させていくという視点を持ちながら、「個人の生き方と人権」を基底において、「もうひとつの新しい世界は可能だ」と世界中で上げられる声に連なって、この排外主義の嵐の日々を生きていこうと考えています。

 この認識は、私にとり、支持している加藤哲郎氏の今回の行動にもかかわらず、週刊金曜日についてのコメントをはるかにうわまわる見識であると私は考えるものである。