わが国の大衆的な抵抗運動の理論的な主柱としてマルクス主義がその地位に座るようになってはみたものの、はたしてそれが良かったのかどうか若干の疑問を抱くようになっています。マルクス主義の功績については異存ありません。この理論に導かれることによって初めて大衆闘争が成功裡に押し進められることになり、現実に大衆の「ユートピア国家」が現出することになったことを思えば、理論上の優位性は否定しようがないと思われます。しかし、実際には「ユートピア国家」は「収容所国家」のままに推移し、流産させられることになりました。今日的テーマとして、「破壊」よりも「建設」の難しさが教訓化されているように思われます。
わが国の歴史における卑近な例は、幕末維新期に認められるように思います。多くの志士たちが新体制を夢見て脱藩し、運動途上に命を捧げました。しかしでき上がったものは、徳川政権に対する薩長政権であり、自由民権運動を圧殺する天皇制イデオロギーでしかありませんでした。歴史に「もし」という仮定が許されるならば、たとえば坂本龍馬が生きていたならば、明治憲法もイギリス的もしくはフランス的なあるいはアメリカ的な、もう少しは自由度の高いものが生まれていたかもしれません。日清.日露に向かう戦争の流れにも別の観点から対応しえていた可能性があったやもしれません。詮ない夢想にしても、指導者資質の重要性という観点から押さえておきたいことのように思えます。
ところで、マルクス主義が大衆闘争の有力な武器になることは疑いないことにしても、何か大事な側面がマルクス主義によって失わさせられた部分もあるのではないかという疑問についてコメントしてみたいと思います。わが国の大衆運動にマルクス主義が指導的理論として受け入れられる経過にはアナーキズムとの闘争がありました。アナーキズムの代表的理論家としては大杉栄たちが挙げられますが、明治期の自由民権運動の一つのラディカルな流れの帰結としての発展的な流れとして、それなりの支持基盤を得ていたようにも思われます。大衆運動の指導権をめぐって、昭和初期の頃にこのアナーキズムとの闘争がありました。いわゆる「アナ」と「ボル」との論争であり、大衆の支持獲得をめぐっての競り合いとなりました。結果は、まずインテリの間でしだいに「ボル」が支持を受けていくようになりました。このインテリ「ボル」の啓蒙運動の流れで大衆にマルクス主義が普及していくことになり、今日においては左翼といえば「ボル」の運動を意味するということになっています。ただし、「アナ」に対する「ボル」の勝利が本当に人民的利益にかなっていたのかどうかについては疑問符があります。戦前の「ボル」運動の最後は「お上」に対する闘争はそっちのけで内部暗闘に帰結してしまいましたし……。
アナーキズムの理論体系に不勉強のままにマルクス主義との対比をすることは無責任ですがご容赦願いまして発言させていただきます。私は次の一点で違いがあったのではないかと思っています。マルクス主義の究極は権力奪取に向かうものであるのに対し、アナーキズムの場合には対権力との抵抗運動として存立すること自体が目的であったのではないかと。その結果、権力奪取に向かうマルクス主義には奪取の為の戦略戦術を構築する必要が生まれ、指導者資質によっては内向きの党内整列を優先させる場合が発生することがある。これに対し、アナーキズムにあっては権力奪取のプログラムを持たないがゆえに本質的に組織内の自由性を保証しあえているのではないかと。つまり、マルクス主義は「民主集中制」になじむが、アナーキズムには不要な理論ではなかったかと。両者の共通項は人民的な抵抗運動であるが、マルクス主義は権力を狙うがゆえに自身も権力化しやすい陥穽があるのに対し、アナーキズムには理論体系がないという欠点を埋め合わせるに十分な常に「お上」に対する抵抗運動としてのみずみずしさがありえたのではないかと。社会民主主義者たちともひと味違う義理と人情を心得た百姓一揆の延長上の良さがあったのではないかと思えたりしています。百姓一揆内部で「お上」との闘争そっちのけで右派と左派ががちんこした例を知りませんから。
今日世界各国における共産党はほぼいずれも統一戦線理論のもとに二段階革命もしくは多段階革命戦略理論を採用しております。これを革命理論といえば聞こえはよいものの、明確に言えば社会主義革命には向かわないという本音が隠されているように思います。その理由は、積極的には社会主義国家創造の能力と責任の重さと理論的完成度に自信がないということであり、消極的には社会民主主義者との提携と抗争によりぼちぼちの社会変革の方がのぞましいのではないかという認識に支えられているのではないでしょうか。その是非は後世の歴史家が判断することになると思われますが、問題は、戦略が変われば組織理論も変わるべきなのに組織理論だけは相変わらず「ボル」化させられている不釣り合いにあります。「外柔内剛」ということになりますが、それはオカシイのではないかというのが私の意見です。
「民主集中制」の欠陥は、レーニニズムからスターリズムが生み出される過程で、執行部を押さえたスターリンの方に分派闘争上において圧倒的な優位を示す強権的な理論でしかなかったことにあります。悲劇は、かってのツアーリズムさえなしえなかった処刑がいとも粛々と実施されていったことに認められます。密告が奨励され、今日追う者が明日はわが身が追われることになるという悲喜劇を生んでしまいました。この間一貫して「民主集中制」の論理で事が進められたのであり、してみれば歴史的に見て「民主集中制」は血で塗り固められている組織理論であるという認識をしておく必要があるように思います。
それでは、日本共産党の「民主集中制」はどれだけこうした弊害から免れる工夫をしているのかというとこれがはなはだ心もとない。戦後直後を指導した徳田執行部の「民主集中制」の方にこそまだ異論を許容する裁量があった。アカハタにせよ前衛にせよ堂々と執行部の見解と相違する異論が掲載されていましたし、中西・神山・春日その他多くの論客が所信を述べる機会が与えられていました。だから徳田執行部は脇が甘かったとでも見抜いたのか、その後を受けた宮本執行部は当初より徹底して反対派の存在そのものを認めようとしない。異端分子は双葉の芽のうちに刈り取り、イエスマン以外は皆追い出してしまう。宮本ー袴田の系列は、戦前戦後一貫してこの方面にこそ最も戦闘的であったという不思議な習性が見受けられる。最後にはこの二人も仲たがいしたが。
現執行部を擁護する者は、一度このあたりの史実を自力で見直しておく責務がある。反対派を除名するにおいては、一度でも良いからそれぞれの所信を併載した上で党内に執行部支持を仰ぐべきではないのか。まして、戦時中の治安維持法下の弾圧に抗して共に闘った履歴を持つような党員を放逐するというので有れば。その所信がどうとかいう以前の倫理的マナーであるように思われるがいかん。このような倫理感の欠如は次のような対応にも露呈する。党は、旧憲法下で虐殺された数多くの党員を列記し、ソ連または党内のリンチ事件の被害者の名誉回復も行ない、あわせて党員葬を行なうべき責務があると思われるが、はたして一度でも行なったことがあるのか。そういう意志があるのか! 世間はそういうところを見ている。この党と生死を共にして報われるのかどうかの見定めに党員葬があるといっても過言ではない。生き残ったおべんちゃら永年党員に表彰状を渡す前になさねばならないことのように思えるがいかん。
それを思えば、自民党閣僚の靖国神社参拝は筋が通っている。死んだ者は浮かばれないまでも、せめてそうしてもらうことによって魂が靖国されるように思うから。党は、自民党閣僚の靖国思想を抗議する以前に党が党として為さねばならない自前の手厚い葬儀が要請されているのではないのか。お盆の後だから余計にそう思えるのだが、このような観点にならない党執行部の感性を私は疑っている。とてもではないが、このような党に私は人生を預けれない。党外の頑迷な支持者が党員以上の団子団結ぶりで党支持を投稿しているが、それならなぜあなたは党員にならないのか。合理的理由があるのなら仕方ないが、むしろ不自然ではないのか。マスコミ受けを心配したりする感性は現執行部のそれと良いハーモニーしているように思われる。ぜひ党に入って頑張ってもらいたいように思う。
もとへ。そもそも派閥がない組織の純粋性というものなぞかえって不純ではないのか。人が三人寄れば一人と二人に分閥するのを自然とするのが人情であり、こうした大衆の認識の仕方こそ素朴で正しい。同じ状況にあっても、見方はそれぞれ分かれるのが人の人としての常であり、存在根拠でもある。党内においても何ら事情は変わらない。党内に諸見解が発生してこそ当たり前なのであり、こうしたそれぞれの見方の論議が党内にも保証されていてこそより人間的集団としてふさわしい。したがって派閥が生まれ徒党が生まれるのも自然である。問題は、手順を踏まえて執行部が生まれた以上執行部の方針に協力するのが組織の原則であり、反対派といえども例外は認められない。これができなければ反対派は別党コースへ向かうべしということであり、しかしこのことと反対派の存在自体が認められないこととは別の話である。
例えば、「さざなみ通信」編集部のような方の存在が党内に認められることは当然であるという組織論が欲しい。その所信が党の機関誌か理論誌に堂々と掲載され、論議される風土が欲しい。それが党内民主主義というものの姿であり、いずれ政権党になった場合にも右同じであるという例証にもなるであろう。このことが認められない「民主集中制」とは名ばかりであり、実際には「執行部集中制」という。このあたりの提言なしに「統一と団結」が言われるから、私は「オカシイ」と言っている。なぜなら、徳田執行部では認められていた実績があるのだし、できない訳ではないのだから。その美風は受け継がれるべきではないかと考える(参考までに。徳田執行部を賞賛しているのではない。その欠点も多く認められるから。ただし、陽性の欠点であり、宮本執行部は陰性のそれであるという違いであり、私は陽性の方が好きだからその限りで徳田執行部の方に軍配を挙げている)。
最後に。党が「よりましな政府」だとか性懲りもなく「民主連合政府」だとかを言うのであれば、この程度の戦略戦術なら組織論はアナーキズム的発想でやっていった方が功が多いのではないかと思っている。よりみずみずしい運動が可能になるのではなかろうか。変に規制しない、スパイだとか裏切りだとか反党分子だとか容易には言わない。盆踊りでも、何もお上品な奥様方の踊りばかりが良いのではない。阿波踊りが面白い。ねぶた祭りも見てみたい。だんじりも良いなぁ。みんな多彩により良いと思える社会づくりに向けて創意工夫をなして、この時代を共に苦労した仲間づくりのバラエティがいいなぁ。