『さざ波通信』編集部の方へ
私のつたない投稿に対しての早速のご返事ありがとうございました。このホームページの持つ役割から考えると自分としては参加することに躊躇がないわけではないのですが、議論が一方的になるのはどうかなという気持ちもあります。議論のなかで真に納得できることがあれば自分の考えを変えること(党に対する原則的な支持は不変)にやぶさかではありませんが、やはりまだ納得できません。
1.1921年10回大会における「分派禁止の決議」
前回も書きましたが、ロシアの党がどういう状態で出発したのか、また、レーニンの言葉がどういう状況下で出されたのかということを無視してはならないと思います。つまり、党内におけるボルシェビキ、メンシェビキという二つの潮流(分派)のもとでの組織のあり方、その後もさまざまな分派との戦いのなかで革命を遂行していかなければならなかったことを考慮しなければならないでしょう。そういう状況下でレーニンが分派に対してどのような態度をとったかこそが重要ではないでしょうか。日本共産党の文献では10回大会の「分派禁止の決議」の持つ意味について次のように述べられています。(党の文献を引用すると、「自分の頭で考えていない」と言われそうですが、不勉強なので申しわけありません。レーニン全集が手元にあるわけでもないので)「1921年のロシア共産党第10回大会の決議についていえば、当時の情勢の重要な特徴の『第一のもの』としてレーニンが中央委員会の報告で指摘したのは、『戦争から平和への移行』だった(全集32/176)。外国の軍事干渉を一応撃退し、反革命の反乱をともかく鎮圧下という条件のもとで、レーニンは、いかなる分派も許さず、厳格な党規律を保持するための決議と、サンディカリズム的および無政府主義的傾向をあらわす思想の宣伝がロシア共産党への所属と両立しない旨を確認する決議を提起したのであった。第十回大会の決議を主に外国の軍事干渉や内戦とだけ結びつけるわけにはいかないことは、明らかである。」「レーニンは、厳格な党規律の必要性を生む条件をかなり普遍的なものとみていた。たとえば、『共産主義内の《左翼主義》小児病』-- これが、ロシア革命の経験で国際的意義をもつ教訓をのべた労作であることは広く知られている-- のなかで、レーニンは、ブルジョアジーの力が「国際資本の力、ブルジョアジーの国際的連繁の力と強固さにあるばかりでなく、習慣の力、小規模生産の力にもある』ことを指摘している(全集31/8)。これらをみれば、ロシア共産党第10回大会の決議の意義を、レーニンが一時的な特殊なものとみなしていたといえないことは、明白であろう。」(「民主集中制をめぐる一、二の問題」小林栄三)
また、レーニンの言葉として「定期的に討論誌を発行して正々堂々と全党討論をやるように主張している」と『さざ波通信』の返事に書いてありますが、私は全党討論を否定しているわけではなく、必要に応じて積極的にやればいいと思いますし、日本共産党内では、実際に党大会の前などにやられているのではありませんか?(十分だとはいえないのかもしれませんが)