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「組織論・運動論」討論欄

共産党の前進と発展のために>げじげじさんへ

1999/8/22 吉野傍、30代、アルバイター

 げじげじさんの8月14日付投稿に対してレスしなきゃと思っているうちに、編集部の人からのレスが掲載され、それに対してさらに、げじげじさんの再反論が8月20日付で掲載され、何だかすっかり情勢に乗り遅れた感じです。しかも、げじげじさんは、最新の投稿の末尾に、しばらく投稿しないと書いておられますので、今さら反論の投稿を書いても、一方的なものになってしまいそうなのですが、せっかく書きかけていたものがあるので、いちおう、最後まで書いて送信することにしました。

 1、ソ連の崩壊について
 げじげじさんは、「日本共産党は、はっきりと党と国家の分離、複数政党制などをうたっている」からソ連のようにはならないとおっしゃっています。しかし、ボリシェヴィキだって政権獲得前には、複数政党制を当然のごとく支持していたし、党と国家を癒着させるなんて一言も言ったことありませんよ。あたりまえの話です。もちろん、当時のロシアと現在の日本とではまったく社会的状況も経済的水準も違うので、同じ道をたどることになるとは私も思いません。
 むしろ私が心配しているのは、日本共産党の現在の組織保守主義は、権力獲得後の独裁をもたらすのではなく、そもそも権力獲得以前に完全に社民化、いや単なるブルジョア改良主義政党に変質する危険性を内包しているのではないかということです。この点は、別の投稿でヤス同志も「予測」していました。私は、ヤス同志に反論して、党員自身の主体的努力の契機を忘れてはならないと言いました。しかし、大多数の党員が引き続き現状追認を行ない、党内民主主義の空洞化状況が継続するなら、ヤス同志の予測通りになってしまうでしょう。

 2、各国の共産主義政党やその運動について
 げじげじさんは、「ソ連崩壊後、多くの共産党は党名を変え社会民主主義政党になったり、分裂したり、解党状態になったりというのが事実なのではないでしょうか」とおっしゃています。もちろん、いくつかの共産党はそのようになりました。たとえば、アメリカ共産党などはその典型です。つい最近の『赤旗』に、アメリカ共産党から分裂した組織「連絡委員会」の大会に日本党が連帯のあいさつを送ったとの記事が載っていましたよね。読まれました? しかし、なぜアメリカ共産党は分裂したのでしょう? 党内民主主義を広げすぎたからでしょうか? 否、その反対です。アメリカ共産党は、世界中の共産党の中でもとりわけ官僚的で、とりわけ指導者(ガス・ホール)の専断がひどいところでした。先進資本主義国でこのような官僚主義的政党がいつまでも安泰であるわけがありません。かくして、ソ連崩壊の衝撃を受けて、アメリカ共産党は分裂しました。
 日本の党は、先進資本主義国の共産党の中では、はっきり言って、アメリカ共産党についで超集権的な党です。いまどき、すべての主要な会議・大会等で、指導部の方針が、まともな討論もなしに満場一致で採択されているのは、先進国の中で日本共産党だけです。普通、先進資本主義国では、このような状態がはびこっている場合には、強力な反発が党内から生じ、アメリカ共産党のようになってもおかしくないのですが、日本ではそのような徴候すらまったくありません(だからこそ私は、特殊な党員統合力について問題提起をしたのですが)。『さざ波通信』のような試みがある程度です。そして、げじげじさんが指摘されているように、この『さざ波通信』にさえ投稿してくる党員はごくわずかです。

 3、ロシア革命時の状況
 これについては、編集部の人が回答しているので、省略します。

 4、日本共産党の組織のあり方に対する攻撃・批判
 げじげじさんは、「日本共産党に対して、さまざまな攻撃がされていますが、その攻撃・批判・疑問がもっとも集中するのが、組織のあり方(民主集中制)です」とおっしゃっています。はたしてそうでしょうか? 少なくとも、『さざ波通信』の各号を見るかぎり、民主集中制について論じているのはごく一部で、その多くは、共産党の最近の方針や政策に対する批判に費やされているようです。また、投稿の方も、問題別投稿欄の「組織論・運動論」への投稿はむしろ少ない方ではないですか?
 さらに、げじげじさんは次のように述べています。

 「党外における『自由』(場合によっては無責任な、あるいは反党的な)な討論や分派を認めていたら、党(党員)の持っているエネルギーが分散するだけではなく、日本の社会の発展に対して党として責任が持てなくなってしまうのではないでしょうか」。

 中央自身が、レーニン時代のように定期的な討論報を出せばいいんではないでしょうか? 大会前の1~2ヶ月だけではなくて、もっと定期的に。それに、『さざ波通信』で行なわれている程度の討論さえ許容できないほど、党(党員)のエネルギーは貧困で脆弱なのでしょうか?

 5、『さざ波通信』の立場
 これについては、編集部の人が書いているので、省略します。

 6、最後に
 げじげじさんは、「この『さざ波通信』は党の改革・発展にはむしろマイナスの役割を果たすしかないと思います。だからこそ、まじめに党の発展を望んでいる圧倒的多数の党員の人々(党中央に批判的な人も含め)は、この討論の場に参加せず、『無視』するしかないのだと思います」とおっしゃっていますが、はたしてそうでしょうか? では聞きますが、たとえば、げじげじさんが、共産党を支持する立場からホームページを開き、そこで討論欄を設けたとしたら、『さざ波通信』ほど投稿が来ると思いますか? 『さざ波通信』にかぎらず、どのホームページを見ても、党員はほとんど議論に参加していません。JCPウォッチでも、党中央を支持する立場から議論に参加している党員は、数人程度です。党を支持する立場からの掲示版(@@@氏の掲示版)もありますが、ほとんど誰も書きこんでいませんね。むしろ、げじげじさんのような非党員の支持者の方がよっぽど熱心に、共産党を擁護して議論に参加しているようです。つまり、『さざ波通信』への党員の投稿の少なさは、『さざ波通信』の問題ではなく、党員そのものの問題なのです。大多数の党員は、今のところ、どんな立場からであれ、公開討論に参加する気がないのです。
 あっちこっちの政治的ホームページを見たかぎりでは、現役の共産党員を名乗る人がこれほど熱心に議論に参加しているのは、この『さざ波通信』だけです。もちろん、その参加者は、党全体の数からすればごくわずかです。私の周囲にも、いつも『さざ波通信』をROMしているという党員がたくさんいますが、投稿しようとはしません。どうしてか聞くと、万が一、投稿したことが上(うえ)にばれるとやばいので投稿しない、と言うのです。そういう党員は非常に多いと思いますよ。
 ところで、げじげじさんは、最後に、「この『さざ波通信』は投稿の数や参加する党員がきわめて限られており、党員の『吉野傍』さんと、党外の『れんだいじ』さんによって支えられている」とおっしゃっていますが、これはいくら何でもひどい言いがかりではないですか? ざーと数えたところ、投稿は全部で200通ぐらいありましたが、そのうち私とれんだいじさんの投稿は合計で60通強ほど。つまり、私とれんだいじさんを除いても、140通近い投稿が来ている換算になります。その中にはもちろん、編集部の人の投稿もありますので、それを除いたら130通ほどですか。開設して半年ほどで、これほど硬派のHPにこれほど多数の公開希望の投稿が来ているのは、かなり例外的だと思いますよ。

 ところで、この投稿においてげじげじさんは、次のようにおっしゃっています。

 「個々の間違いや問題は解決していけばいいのです。特に民主集中制に関わるさまざまな問題では、党内での討論のあり方など、制度的な改革を熱望しています。党の指導部はもちろん、すべての党員の人々の努力でそれらの問題を解決し、党の前進と発展を勝ち取っていってくれることを、一人の支持者として願ってやみません」。

 まったく同感です。しかしながら、げじげじさんは、その「前進と発展」というのは、党内のさまざまな欠陥や政策上の誤りについて、党外からはまったく見えないところでのみ議論をすることによって達成されると考えているようです。どうしてそうなるのでしょう? もし完全に党外から見えないところで議論されていたとしたら、げじげじさんが「党内での討論のあり方など、制度的な改革を熱望しています」などと語ることさえできなかったはずです。共産党の前進や発展が「臭いものに蓋」をすることで成し遂げられると思うのは、きわめて危険な幻想だと思います。むしろ、現在のような発達した資本主義社会、多様なメディアや情報源が存在する高度情報化社会においては、オープンな議論をしたほうが、いっそう周囲の人々の信頼を勝ちとることができるのではないでしょうか?