事情があって投稿ができませんでしたので、いまさらという感じもあるかもしれませんが、8月22日付の吉野傍さんの投稿に対しての反論を書かせていただきます。
1.民主集中制をめぐって
「当時のロシアと現在の日本とではまったく社会的状況も経済的水準も違うので、同じ道をたどることになるとは私も思いません」と吉野傍さんは述べています。これまで、民主集中制に対する攻撃の論点の一つに「党内における民主集中制が将来の権力獲得後の独裁につながる」というものがありましたが、その点においては、吉野傍さんもそれを否定されているようなので、これ以上の議論は必要ないと思います。
ところが、吉野さんはあらたな問題として、「日本共産党の現在の組織保守主義(*民主集中制)、は、権力獲得後の独裁をもたらすのではなく、そもそも権力獲得以前に完全に社民化、いや単なるブルジョア改良主義政党に変質する危険性を内包している」という点を上げています。将来的に社会主義・共産主義を目指す綱領を持ち、共産党の党名変更を頑として拒否している現在の日本共産党がどうして「ブルジョア改良主義政党」に変質するのか、よく分かりません。民主集中制を放棄し、党名を変更した外国の党とは、はっきりと違うのではありませんか。現在の日本共産党のさまざまな柔軟な対応から「変質」を述べることはできないのではないでしょうか。
2.アメリカ共産党について
アメリカ共産党が分裂したことについて吉野傍さんはいろいろと述べていますが、アメリカ共産党と日本共産党を「官僚主義政党」という位置づけで同列に見ていいのですか。世界の社会主義政党の中での両党の同一視からは、ソ連崩壊後も日本共産党が組織的なダメージをほとんど受けることなく、むしろそれを乗り越えて前進していることは説明できないでしょう。だからこそ、「特殊な党員統合力」などといった議論を出さなければならなくなったのではないですか。ソ連との関係や国内における政治的位置の違いをまったく無視して、アメリカ共産党の例を持ち出すのは無理があるのではないでしょうか。
そもそもこの議論のはじめは、「多くの『社会主義国』が『崩壊』し、各国の共産主義政党やその運動が低迷している中、日本共産党の存在はきわめて重要だと思います」という私の発言に対する吉野傍さんの反論から始まったものですよね。
3.民主集中制に対する批判・攻撃
『さざ波通信』の投稿において、直接に民主集中制を議論の対象にしたものは確かに多くはないでしょう。しかし、このHPそのものが民主集中制を否定しているところから出発し、分派を肯定し、党外の議論で党への方針変更を迫っているではありませんか。また、「定期的な討論報」といいますが、党は討論クラブではなく日本の民主的変革に責任を負う実践的な組織です。他の党ではやっていない大会前の支部段階からの討論、それをふまえての「討論報」などはされているでしょう(運用面での改良の余地はあるのかもしれませんが)。
4.最後に
共産党を支持する立場からのHPに党員がほとんど参加していないということから、「大多数の党員は党員は、今のところ、どんな立場からであれ、公開討論に参加する気がない」とありますが、このHPは本当に「公開討論」の場なのですか? 匿名を前提とし、正体不明の相手と議論するのが真の意味での公開討論だとは思いません。また、規約に反し、党に対する批判を基本姿勢とするHPに投稿しないのは党員としての当然のあり方だとも思います。
また、私が『さざ波通信』は吉野さんとれんだいじさんによって支えられていると書いたことに対して、吉野傍さんは「これはいくら何でもひどい言いがかりではないですか?」と反論しています。その後、多少の広がりはあるようですが、その議論の段階で編集部の投稿を除いた190通のうちの60通強(3分の1!)を二人の「常連者」がしめ、より重要なのは議論の方向性を常に作っている(作ろうとしている)ことを考えれば、私のいったことは「言いがかり」ではないと思います。
このHPがなければ、私が「『党内での議論のあり方など、制度的な改革を熱望しています』などと語ることもことさえできなかったはずです」と言いますが、このHP上に書かれている程度のことなら、一般紙・誌でも十分に知ることができます(先日の「専従」さんの投稿は別ですが)。