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「組織論・運動論」討論欄

げじげじさんへの再反論

1999/9/12 吉野傍、30代、アルバイター

 げじげじさんから、私の過去の投稿に対する反論(9/11)がありましたので、私も再反論させていただきます。
 全体として、げじげじさんの投稿は、私の主張を少しづつずらしたり、文脈を無視したりしながら、反論しているという印象を強く受けます。
 たとえば、アメリカ共産党の例ですが、私がアメリカ共産党の例を持ち出した文脈をよく思い出してください。まず、げじげじさんが、「ソ連崩壊後、多くの共産党は党名を変え社会民主主義政党になったり、分裂したり、解党状態になったりというのが事実なのではないでしょうか」と発言したのに対し、私は、ヨーロッパの共産党の例を出して、必ずしもそうは言えないことを指摘した後に、そのような例にあてはまるものとしてアメリカ共産党の事例を出したのです。つまり、スターリン主義的な「民主集中制」(げじげじさんは、一貫して、民主集中制一般とその特殊に官僚主義的な形態であるスターリン主義的「民主集中制」とを同一視しています)を堅持しているかどうかが、解体や社民化するかしないかの試金石ではないということを例証するために、アメリカ共産党の例を持ち出したのです。
 話がややこしくならないよう、少し整理しましょう。
 7月30日の投稿で、げじげじさんは、こう書いています。

「歴史の教訓に学ぶべきだとしたら、これまで党中央や個々の党員の多くが『統一と団結』という姿勢を原則的に保持していたからこそ現在の日本共産党があるのではないでしょうか。(多くの「社会主義国」が「崩壊」し、各国の共産主義政党やその運動が低迷している中、日本共産党の存在はきわめて重要だと思います)」。

 つまり、ここでげじげじさんは、旧来の組織原則を維持しているかどうかが、「崩壊」や「低迷」をこうむるかどうかの試金石であるとみなしているわけです。それに対して、私は、旧来の組織原則を放棄しているが、大衆運動の中心となり、選挙でも前進している共産党がヨーロッパにあること(典型的には、イタリア共産主義再建党やドイツ民主的社会主義党など)、そして、旧来の組織原則を維持しながら分裂し低迷している党(典型的にはアメリカ共産党)の例を出すことによって、反論を加えたわけです。
 以上のことから明らかなのは、日本の党は旧来の組織原則(スターリン主義的な民主集中制)を維持してきたおかげで今日の発展がある、という推論が必ずしも成り立たないことです。
 ですから、げじげじさんが、9月11日の投稿で、私に反論して、「ソ連との関係や国内における政治的位置の違いをまったく無視して、アメリカ共産党の例を持ち出すのは無理があるのではないでしょうか」と言うのは、まったく的外れなのです。アメリカ共産党も日本共産党も旧来の組織原則を維持しながら、今日の組織的現状はまったく異なるわけですから、現在の日本共産党があるのはその組織原則のおかげなどとは言えないではないか、というのが、むしろ私の言いたいことなのです。

 また、「最後に」の中で、げじげじさんはこう述べています。

「共産党を支持する立場からのHPに党員がほとんど参加していないということから、『大多数の党員は党員は、今のところ、どんな立場からであれ、公開討論に参加する気がない』とありますが、このHPは本当に『公開討論』の場なのですか? 匿名を前提とし、正体不明の相手と議論するのが真の意味での公開討論だとは思いません。また、規約に反し、党に対する批判を基本姿勢とするHPに投稿しないのは党員としての当然のあり方だとも思います」。

 これも私の言っていることから少しずれていますね。このHPが規約に違反していると思っている党員が、このHPに投稿しないのは当たり前。しかし、私が言っているのはそんなことではなく、そういう党員の目から見ても明らかに規約に違反していないようなHPや掲示版もあるというのに(たとえば、共産党を全面的に支持する立場からのHPや、党の地方議員や支部自身のHPにある掲示版)、そこを見ても、やはり党員がほとんど書きこんでいないし、発言していないという事実を問題にしているのです。
 げじげじさんが、このHPへの党員の投稿が少ないのは、このHPが圧倒的多数の党員から拒否されているからだ、とおっしゃったのに対し、私は、もしそれが本当なら、他のHPや掲示版では党員による投稿や書きこみが熱心に行なわれているはずであるが、そうなってはいないではないか、したがって、このHPにかぎらず、ほとんどの党員がどんな立場であれ討論に参加しようとしていないことにそもそも問題があるのではないか、と言ったのです。
 ためしに党議員や党支部のHPにある掲示版をひととおり覗いてごらんなさい。ひと月に1回書きこみがあるかどうかですよ。それと比べれば、ここのHPへの党員の投稿は、むしろきわめて多い方だと言えます(最近は、JCPWにも党員の書き込みが増えましたが、それでもごくわずかです)。

 さらに、いちばん最後の部分で、げじげじさんは次のように述べています。

「このHPがなければ、私が『「党内での議論のあり方など、制度的な改革を熱望しています」などと語ることもことさえできなかったはずです』と言いますが、このHP上に書かれている程度のことなら、一般紙・誌でも十分に知ることができます」。

 これも私の主張から少しずれています。私が言ったのは、「このHPがなければ」ではなく、「もし完全に党外から見えないところで議論されていたとしたら」です。念のため、その文章を全体として引用しましょう。

「しかしながら、げじげじさんは、その『前進と発展』というのは、党内のさまざまな欠陥や政策上の誤りについて、党外からはまったく見えないところでのみ議論をすることによって達成されると考えているようです。どうしてそうなるのでしょう? もし完全に党外から見えないところで議論されていたとしたら、げじげじさんが『党内での討論のあり方など、制度的な改革を熱望しています』などと語ることさえできなかったはずです」。

 マスコミ等の情報も、結局は、党内の議論が完全には秘密にしておけないことから可能になっているのです。もっとも、げじげじさんは元党員だそうですから、自分の経験から、ある程度は知っていて当然ですが。

 さて、他の論点にも反論したいと思います。
 まず、げじげじさんが「組織保守主義」を「民主集中制」と等置していることです。わが党における現在の民主集中制のあり方を批判したからといって、民主集中制そのものを否定することにはなりません。むしろ、現在の組織のあり方は、民主集中制の建前に大きく反していると思います。「みんなで討論し、決まったことはみんなで実行する」どころか、上層の一握りの幹部だけで討論して決定し(あるいは討論も決定もなしに、勝手に新見解を出し)、その他大勢が実行する、というのが現状でしょう。このことは、昨年の不破政権論でもそうだったし、「日の丸・君が代」問題そうでした。この点について、げじげじさんはどう考えているのでしょうか?
 次に、「定期的討論報」を出せば、討論クラブになるという理屈です。この理屈は、それこそ党中央によって、耳にたこができるほど聞かされてきたセリフです。もしそうなら、レーニンは、ボリシェヴィキを討論クラブにしようとしたことになりますね。実際に、レーニン下のボリシェヴィキでは、定期的な討論報が出されていたわけですから、レーニン下のボリシェヴィキは「討論クラブ」だったことになりますね? 「討論クラブ」が社会主義革命を実行し、欧米列強の干渉をはねのけ、白軍を撃退し、社会主義建設をいってい実行したということですか? それなら、別に「討論クラブ」でも問題ないということになりますね。
 現在の日本が当時のロシアよりもはるかに発達した資本主義国であり、はるかに発達した通信手段や情報網が存在しているというのに、当時のボリシェヴィキにできたことが日本の共産党にできないというのはどうしてでしょう? 3年に1回の全党討論(しかも1~2ヶ月だけ)があれば、それで民主的討論は十分というわけですか?

 最後に一つだけつけくわえておきますが、匿名の討論についてです。過去の「k」同志へのレスでも書きましたが、『評論特集版』での討論も「匿名」で行なわれており、各都道府県および各地区の大会でも、専従や議員以外の発言者はすべて基本的に匿名で発言します。ですから、匿名での討論が不毛であったり、無意味であったりするなら、党内での討論もまた不毛だということになります。問題は語られている中身でしょう。