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「組織論・運動論」討論欄

N.K.さんの質問に関連して

1999/10/18 澄空望、30代、会社員

 誰かレスすると思っていたのですが、ないみたいですから、私がお答えしようと思います。ただし、個々の質問に答えるのではなく、問題はどこにあるのかについて私の考えを述べようと思います。

N.K.さんの問題意識を共有しない党員も存在する
 N.K.さんが出されている問題提起は、おおむね正当なものであると私は考えています。他党がやっていることよりマシであり、民主的だという議論は通用しないと思います。しかしながら、この問題意識を共有しない党員が存在うすることもまた、まぎれもない事実です。
 『隣の共産党員』(金井次郎&共産党”私設”応援団著、データハウス)という本に次のような一節があります(※この本は、共産党員とともに活動する大衆の視点からみた党の現実の姿がよくわかります)。

 たとえ共産党系といえども、共産党が自分たちだけの都合で、直接、大衆に方針を出して決めさせるということは、あり得ない。あくまでも、大衆団体での組織的な手続きを踏んで、全体に広めるという過程を実行する。これが、セオリーです。
 でも、この手続きを形式的なもので、省略してもかまわないと見るのか、大衆的な論議の過程を大衆の利益を守るための学習の場ととらえるのかでは、活動の仕方が大きく違ってきます。(60頁)

 ここで言われているのは、党員には、大衆を指導しようという意識が強いタイプと大衆とともに運動をすすめていこうというタイプとがいるようだ、ということです。このことは、私の経験にも合致します。私の学生時代には、ある事件で意見が分かれたのをきっかけに、前者のタイプと後者のタイプとで党組織が事実上二分されたという苦い経験を持っています。私は後者に属していたわけですが、前者に属する党員は、N.K.さんが問題だと思われていることを少しも問題だと考えないようでした。

これは組織内民主主義の問題では?
 N.K.さんは「党と党外との関係の民主主義的なあり方如何に関する問題」と言われていますが、これは党内民主主義の問題として捉えたほうがよいのではないか、と私は考えています。それゆえ、「現日本共産党(中央)の方針・政策がどうかという次元よりは、より基本的なレベルのことである」というN.K.さんの意見にはそのままでは同意できません。
 なぜ党内民主主義の問題だと考えるのか? それは、大衆の中で活動する党員は、自分が持っている道具(つまり党の中で行なわれている組織運営方法)を使用せずには、組織運営を考えることができないからです。簡単に言ってしまえば、党内でやっている方法よりもっと民主的な方法を大衆団体に適用せよ、と党員に向かって言われてもそれは無理な相談だ、ということです。もし共産党員が、党内で政策・方針の決定などにおいて、文字通りに討論といえるような民主的な討議を日常的におこなっており、しかもそれが大衆の目にも明らかで、場合によっては大衆も参加できるようなものであれば、N.K.さんが考えておられる問題は基本的には起こりえないでしょう。
 また逆に、もし大衆団体において党内で行なわれているよりもより民主的な運営が行なわれるならば、それは党内運営にも波及してくるということです。この点で、共産党の改革は大衆運動を担う組織いかんにかかっていると言っても過言ではないし、ここに活路があるとも言えるのではないでしょうか? もちろん、党中央がイニシアティヴを発揮して、党の方針・政策決定において、また実践において、よりいっそう民主的な手段で運営していくという上からの改革もありえなくはないですが……。

 ついでながら、党内民主主義と国家における民主主義について、「結社の自由」や「自覚的規律」なるものを理由に党内民主主義が制限されることを正当化する議論がありますが、これほど非現実的なものはありません。少数者への配慮を盛り込みながら民主的な討論をへた政策決定という経験をもたない同一人物が、組織外で民主的に振舞うことなどできるはずがないからです。現実を考えるならば、むしろ逆で、民主的な国づくりをめざす組織は、組織内でそれ以上の民主主義を発揮しなければ、そのような運動はなりたたないのではないかと私は考えます。このことは、ぼくの他にもれんだいじさんや吉野さんらが述べていますので、ここで止めておきます。