澄空望さん。私の質問についてレスポンスをいただきましてありがとうございました。
私は、党員ではないのですが、澄空望さんがお書きになった「党内民主主義の問題」の重要性について異論はありません。
私が質問したのは、「党と外部との関係」についての具体的な問題事象がどの程度現実に存在するのか、また存在するとしたらそれをどのように考えるのかということですが、問題意識のニュアンスの違いも感じますので、再度投稿いたします。
1)澄空望さんは、党(党員)が大衆運動の中でいかに民主主義的運営を貫くかという問題について述べられていますが、私が問題にしたいのは、「運動」に限らない、それより広い領域の事柄です(その点、私の9/27投稿では曖昧な表現があったかもしれません)。
一言で言えば、個人・家族と国家(公権力)との間にある中間団体・市民社会での権力関係に、党(員)としていかに関わるかということです。そこで、いかなる責任と透明性において関与し、その中間団体のもとで生活する人々(「大衆」)の社会生活に影響を及ぼしていることをどのように考えるかということなのです。
9/27の具体的な質問を見ていただければわかると思いますが、たとえば次のような場合はどうでしょうか。
大学の多くでは、学長は選挙されています。そこで、党員の方々が、その支部で党として学長選挙にどう臨むか、候補者を擁立するか等を決めて、それに従って行動しているとします(多分そうなのでは)。外部からは、その過程はブラックボックスですが、しかし多くの場合、そうした党(員)の動きがまったくわからないわけではない。といって、そのことについて、党(員)と公的に議論することもできない。こうした例は、大衆運動でももちろんあるわけですが、多くの中間団体でもあてはまる事例があるでしょう。
2)そのことが、なぜ問題なのかというと、中間団体での政党員は、その中間団体内のみで存立するインフォーマル組織や派閥とは違いますね。国家権力にアプローチする政党の一部としてあり、そのことと関わって「支持拡大」・影響力行使が行われているからです。
それから、具体的にあげた質問は、組織・団体についてだけではなく、その公的な部分をこえた関係そのものの次元の事柄もあります(たとえば、人事についての情報交換など)。
3)そして、そのことは、現代社会で政治変革をめざす組織政党の機能・役割(がどうあるべきか)と関わってくると思います。一つには、現代社会では中間団体や市民社会の領域の役割はある意味では拡大しています。人々は社会生活の問題を国家(公権力)と関わらせないで解決することも部分的にできるようになるし、そのことが意識に一部反映していわゆる「政治的関心」の低下現象の一因にもなっています(雑な言い方ですが)。二つ目に、マルクス主義者はまず国家権力の奪取による政治革命があり、それによって社会を変えるという道筋を正当としてきたわけですが、中間団体の領域(市民社会の領域)への働きかけを、どのように位置づけるかも議論されてきたと思います(グラムシなど)。その際、市民社会のブルジョワ民主主義のルールは無視してもよいというあり方もあるでしょうし(澄空望さんのいわれる「問題意識を共有しない党員」?)、市民社会のルールを尊重し、さらに責任と公開性を確保していく道の追求もあると思います。
後者を追求するとしたら、単に「民主主義」を唱えるだけではなく、具体的な技術と方法を緻密に考えていくことではないでしょうか。
*尚、日本共産党全体が、完全議会主義になって、党員の所属する企業・組合・学校・町内会等の中間団体に関してはまったく議論・態度決定をせず、人事等についても相談・情報交換などもせず、ともかく機関紙拡大と支持拡大のみを追求するマシーン化(後援会化)して、「国政革新」=議員の当選のみを追求する方向に純化していくのも一つの「健全な」道なのかもしれません、と言いたいところです。ところが、実態はマシーン化と中間団体・市民社会への影響力行使が不可分になっているのではないでしょうか。