22回大会決定や最近の不破議長の著作を読んでいると、指導部がどのような綱領改定案を出してくるか予想できるようです。おそらく「改定の提案」は次のようになるのではないかと思います。
(1)改定全体の方針は、「党外の人にもわかりやすく」、「簡潔に」、「誤解をまねきやすい表現は除く」。綱領路線の正しさは歴史的に証明されており、根本をかえるものではない。その基本線は堅持しながらわかりやすくするのだ。
(2)「革命」の語は削除する。暴力をともなうという誤解をうけやすいから。国民の意志のうえに立つ新しい政府が行政機構を掌握するという内容がわかればよく、ことさらに誤解をまねきやすい表現を使う必要はない。文脈に即して「革新」、「変革」などにいいかえる(ただし、ロシア革命や中国革命は歴史的なものなのでこの限りではない)。
(3)「アメリカ帝国主義」も削除する。言葉を一人歩きさせてはダメ。アメリカの対外政策、対外行動を具体的に告発していくことが重要。
(4)この間、綱領路線の具体化としてつくりあげてきた「日本改革」の提案の内容を正式に綱領の文言としてもりこむ。
(5)「社会の段階的発展論者」、「国民の合意で一歩一歩」という社会進歩についての党の立場を明確にする。
このような方針にしたがって、実際に綱領の第1章と第2章を「改定」してみました。かなり思いきって短くしてみました。
第1章では、戦前の党のたたかいの現代的な意義に現行以上に重点をおいたものにしました。現代的意義の内容にアジア諸国との関係についての記述を付け加えてみました。
第2章では、党の「人民共和国憲法草案」の意義、憲法制定議会での党のたたかいの意義についての一連の記述を付け加えてみました。天皇制の性格の変化の評価も、最近の不破議長の発言などにしたがって、現行綱領とはかなり変えました。また、憲法9条改悪の策動がアメリカ起源であることを書き加えたのも、この「改定」の大きな目玉です。
できたら第3章以降も「改定」してみたいと思っています。
第1章 日本共産党の創立と戦前のたたかい
日本共産党は、わが国の進歩と革新の伝統をうけついで、1922年7月15日、科学的社会主義の理論的基礎にたつ党として、創立された。
当時の日本は、天皇主権の反民主的な政治体制のもとにあり、国民は権利と自由をうばわれ、アジア諸国にたいする侵略と戦争がすすめられていた。
党は、「国民こそ主人公」の信条に立ち、天皇制の専制的な支配をたおして国民主権の民主的な政治体制をつくることをめざして、また、アジアへの侵略戦争と植民地支配に反対してたたかってきた。
他のすべての政党が侵略と戦争を推進する流れに合流するなかで、日本共産党は天皇制権力の過酷な弾圧のもとで重大な困難に直面しながらも、平和と民主主義の旗をかかげて不屈にたたかいつづけた。このことは、日本の民主主義と社会進歩の事業の前進にとって、また、アジア諸国との平和・友好の関係を築いてゆくうえで、巨大な現代的意義をもっている。
日本政府は連合国によるポツダム宣言をうけいれ、敗戦をむかえた。この宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民的な活路が、平和で民主的な日本の実現にこそあることをしめした。これは、党が不屈にかかげてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものだった。
第2章 戦後、日本はどう変わったか
戦後公然と活動を開始した日本共産党は、民主主義的な変革を徹底してなしとげることを主張し、民主勢力と力をあわせてたたかった。
党は、この立場から、国民主権の原則を明記した「人民共和国憲法草案」を発表した。これは、政府や他の政党の憲法草案が国民主権をきっぱりと主張できなかったなかで、きわめて重要な意義をもった。
日本共産党は、憲法制定議会において、国民主権の原則を明確にすることをもとめてたたかい、最終的にはこの原則を明記した憲法が成立した。
新しい憲法の制定によって、戦前の主権在君の政治体制は改められ、主権在民の民主的な政治体制がつくられた。天皇は国政に関する権能を全面的に否定された。専制政治のもとで無権利状態におかれていた国民は基本的人権をかちとった。
敗戦によって、日本は連合国軍の占領のもとにおかれた。これは本来ポツダム宣言の諸条項の実施を保証するための占領であったが、占領軍の主体となっていたアメリカは、中国革命の進展や米ソ対立の激化などの情勢の変化をうけて、ポツダム宣言を正面からふみにじり、日本をソ連陣営と中国革命に対抗するアメリカの世界戦略の拠点とするための諸政策を実行し始めた。
アメリカは、日本の民主勢力の運動に過酷な弾圧をくわえ、日本の各地に軍事基地を建設し、アメリカの新しい世界戦略に日本を動員するために憲法九条の改定すらくわだてた。アメリカは、このような軍事的な支配を強めるなかで、1951年9月、講和条約と抱き合わせて日米安保条約の締結を強行した。
この結果、日本は形だけは主権を回復した独立国になったが、全土に米軍の基地を抱え、外交や経済の重要な部分をアメリカににぎられた事実上の従属国となった。