JCP-Watch!の方ですでにツリーを立てていますが、あまり反応がないので(すぐにレスをつけてくれた嫌煙家同志ありがとう!)、読者層ないし投稿者層の若干異なる『さざ波通信』にも問題提起としてほぼ同じ内容のものを投稿させていただきます。主題は、党規約を改正して、現在の委員長ないし三役を、全党員の直接選挙で選べるようにしてはどうか、というものです。
たしか、委員長をはじめとする三役の直接選挙については、この「さざ波通信」でタケル氏が主張していたような気がします(たぶん)。そのときはあまりピンと来ませんでしたが、小泉人気を見て考えが変わりました。政権をねらう政党なら、その指導者選出の過程は透明で民主的なものでなければならないでしょう。ツァー支配下のボルシェヴィキなら別ですが、議会制民主主義の確立した先進資本主義国なら、その点は非常に重要です。とりわけ、共産党のように上意下達の党ならなおさら必要ではないかと思います。
考えられる異論とそれへの私の反論。
1、各級の選挙を民主的にすれば三役の直接選挙は必要ない
(反論1)もちろん、支部総会、地区党会議、都道府県党会議、党大会のそれぞれの代議員選出過程を民主的なものにするのは必要であり当然だが、しかし、多段階の間接選挙を繰り返す以上、どうしても、多数派有利で、現状維持的なものになりやすい。また個々の党員の主権者意識が後退し、上級お任せの意識がどうしてもはびこってしまう。日本の政治でも、国会議員は国民が直接選んでいる。もしこれを、県会議員が選ぶ制度になり、さらにその県会議員を市会議員が選ぶ制度になり、国民が直接選ぶ対象が市会議員だけに制限されたとしたら、やっぱり問題だろう。しかし、共産党はその性格上、都道府県党会議や党大会の代議員を直接党員が選ぶことはできない(なぜなら、非公然の党員もたくさんいるから)。というわけで、多段階の間接選挙を避けるわけにはいかない。となれば、やはり、そのような多段階選挙に対するカウンターバランスとして三役の直接選挙は有意味である。
(反論2)日本の共産党のようなとりわけ官僚的で抑圧的な体質の党においては、それに風穴をあける手段として委員長直接選挙は積極的意味を持つ。ヨーロッパの共産党のように、分派が容認され、各級の選挙が比例代表選挙で行われ、指導部への批判や対案提出が日常茶飯事になっている場合には、直接選挙は必要ないかもしれないが、日本ではそのような水準に達するのはきわめて遠い先の話だ。とすれば、現時点でも、ある程度、現状を改善する方法として委員長ないし三役の直接選挙は意味がある。
2、直接選挙で選ばれた委員長が、その権力を濫用する危険性がある。権力濫用型の大統領もいるし、ボナパルティズムの危険性もある。
(反論1)その危険性はたしかに否定できない。がしかし、今の委員長や書記局長以上に権力を振るうことなどできるのか?今の委員長や書記局長よりも専制的なことなど果たして可能なのか? 今より強い権力などはたしてありうるのか? つまり、今以上に悪くなるということはあまり考えられない。もちろん、委員長の暴走を防ぐために、大統領令のような特別の権限を与えないようにする、規約上、任期を次の大会までとし、次の大会の開催は延期できないことにする、等々の歯止めをつけることは必要だろう。権力濫用型大統領というのはたいていの場合、大統領の特別権限というのが憲法で保障されている。それは問題である。そういう特別権限を認めないようにすればいいのではないか。
(反論2)規約において、党の最高機関は党大会であり、最高の意思決定はそこでの各種決定である。委員長といえども、そのような決定にそむくことはできない。制度的に、直接選挙で選ばれても暴走するための制度的基盤はないといえる。もっとも、すでにかつての委員長は、十分、大会決定を蹂躙していたが…。
3、規約との整合性を保てるか? 党大会を党の最高意思決定機関としている規約とどのように整合させるか? (反論)それは簡単である。直接選挙で選ばれた委員長は党大会において承認されなければならない、と規定すればいい。つまり、党大会が承認しない委員長は、選挙で選ばれても正式には委員長になれないものとすればよい。
4、直接選挙を導入しても、対抗候補がそもそも現われず、中央委員会推薦の候補者だけの信任選挙になり、シャンシャンお手盛り選挙になるだけだ (反論)その危険性は大いにある。しかし、制度だけでも備えておけば、情勢が大きく変化し、党内状況が変われば、その形式的なお手盛り選挙を実質的なものに転換することもできる。議会制民主主義が事実上の「自民党独裁」になっているからといって、そのような議会制民主主義がいらないわけではないのと同じではないか。
5、たとえ対抗候補が現われても、中央推薦の候補者に対しては泡沫にしかなりえず、結局、現在の指導部の権威を高めることに終わるだけで、党改革の役には立たない。 (反論)その危険性も大いにある。というか、最初のうちはそれは避けられない。しかし、ここでも、4での反論が妥当する。制度さえあれば、情勢が変われば民主主義的に活用することができる。それに、たとえ最初は泡沫でも、少しづつ増やしていけばいいのだ。国会の選挙だって、共産党は最初は泡沫だったはずだ。
6、そもそも現在の指導部がそのような制度の導入を認めるはずがないので、そんなこと論じても無意味だ。 (反論)今の指導部が自らそのような制度を導入しようとしないのはその通りだ。しかし、そんなことを言えば、政府に対する消費税減税要求もそうだろう。問題は為政者が自らそれを認めるかどうかではなく、その要求自体が正当かどうか、正当だとしたらそれを認めさせる運動をするかどうか、である。
だいたい、以上のような異論を想定し、私なりに反論しました。さらに、異論に対する反論という消極的な理由だけではなく、直接選挙を支持する積極的な理由として、以下のようなことも考えられます。
1、選挙の過程自身が異論を全党に知らせる場になりうる……直接選挙を認めれば、当然、選挙運動を認めざるをない。とすると、当然、その運動において、候補者は自分の公約や信条を掲げざるをえない。そうすると、これまで党大会前のわずか2000字しか許されていなかった異論を、全面的な形で展開することが可能になり、それを全党に知らせることができるようになる。
2、選挙の過程自身が党外の大衆に党を訴える絶好の機会になる……小泉を総裁に選んだ自民党総裁選は、事実上マスコミをのっとった大イベントに転化した。もちろんこれは、与党だからこその盛り上がりなのだが、しかし、野党であっても、とりわけ そういうものとは縁遠い共産党ならなおさら、党内の直接選挙で委員長を選ぶ制度を導入すれば、マスコミは俄然注目するだろう。その過程はマスコミで報道され、大いに話題になるだろう。党内の様子が世間に伝わり、開かれた民主主義的な党というイメージを浸透させることができる。そして、その過程で選ばれた党首は一定の民主主義的正当性を持つので、対外的にも権威をもつだろう。もっとも、ろくでもないのを選んだら(志位とか)、逆効果だが。しかしその場合でも、その逆効果で共産党が凋落すれば、今の指導部はやっぱりだめだということになるので、無意味ではない。
3、入党呼びかけの際の一つの目玉にすることができる……委員長を直接選挙で選ぶというのは、入党対象者に党の魅力を訴える際の一つの目玉にすることができる。またそういう制度があるということは、対象者にとって共産党の民主制を実感させる一つの手段にすることができる。
さて、その選挙制度を具体的にどのように運用するかという問題が残っています。誰がどのように候補者を推薦するのか、投票の仕方をどうするか、1回の選挙か、それとも決選投票制度か、等々、等々。その具体的な方法は非常に重要で、その具体化しだいでは、 多数派に圧倒的に有利なものになりかねません。また、候補者乱立による選挙の混乱という要素も気をつけなければならない点です。被選挙権に関してはたとえば、党歴10年以上、年齢30歳以上という要件をつけることも必要かと思います。しかし、いずれにせよ、制度そのものの導入がないかぎり、具体像の議論はあまり意味を持たないので、まずは制度の導入の是非を論じる必要があるでしょう。皆さんのご意見をお待ちしています。