技術的に、綱領や規約をあれこれ言うつもりかありません。戦前の市川正一を例にあげ、いまの日本共産党に革命的気概はありやなしや、というご意見を読み、所感を。
私のなかで古在由重を指導した岩田義道のことが思いうかぶ。戦前のコミンテルンの支部として各国共産党が位置づいた時代と、戦後に各国の運動が成長して、自主独立路線が多くなった時代とは違う。
さらにソ連共産党が解体して東欧共産主義国家が解体した時代。日本に話を戻せば、戦前の古在由重が二度偽装転向して京浜労働者グループのチューターとして、スパイ容疑の尾崎秀実の裁判弁護運動のために奔走した事実。
いま日本共産党ばかりでなく、日本の民主主義を壊滅的に葬り去ろうとしている法的準備と、右翼反動的イデオロギーが国民の社会心理を占めようとする全面的攻勢が立ち上がってきた。
確かに、労働者階級といっても、大企業はじめ組織的労働者は連合中心に体制迎合的である。全労連も組織労働者にはこころづよいだろうが、未組織労働者が困難な課題を集中的に浴びている現代。改めて労働運動を開拓するパイオニア精神が求められている。生活協同組合的労働に期待が集まったのにその足元からあいつぐ不祥事発生は偶然ではなく、「なにか」が欠落している。
あらためて、労働者階級の倫理が求められている。形而上学的倫理というよりも、労働が疎外を克服する原理をふまえ、勤労者や企業主もふくめ、国民的解放を展望するだけの倫理主体がいまほど求められている時代はない。
手先だけの目先だけの技術にとどまらず、日本の労働者階級に歯ごたえある展望を示す、それだけの政治哲学がいま求められているだろう。綱領も規約も組織の根本だが、それを貫く政治哲学を共産党員が人格におよぶ「党風」として「作風」として、日常の政治活動で発揮できなければ、万年少数党派として、ある程度の低い票数を獲得すれば、満足して、そして日本は国家理念も政治道義も地に堕ち、侵略国家と成り果て滅亡していくだろう。
そうならない有効な手立ては、岩田義道、市川正一、戦後の共産党多数派にかならずしもくみしなかったけれども、この人によって戦後日本は輝いていたといえる古在由重、石堂清倫、中野重治、芝田進午、上田耕一郎などの民主主義的伝統を常に新鮮に活かしつづけることにほかならないと私は思うのであるが。