森首相による「日本は天皇を中心とした神の国」というとんでもない発言をめぐって、当然の批判が各方面から寄せられています。日本共産党もこの点では厳しい追及の先頭に立っています。こうした森発言が、天皇崇拝的な右翼国家主義であり、民主主義の否定、国民主権の否定であることは言うまでもありません。またその発言が神道政治連盟の会合で行われたことからして、政教分離の面からしても違憲の疑い濃厚な発言です。
それと同時に、注目したいのは、同じ日に別の会合で行なわれた発言です。昨日の『ニュースステーション』で報じていたのですが、この「神の国」発言を行なった後、森首相は私立幼稚園の全国組織の懇親会に出席し、そのスピーチの中で「公教育はどしどし私学に任せるべきであり、私学でこそ真の心の教育ができる」と発言しています。ここに、現在の支配層の基本戦略である国家主義と新自由主義との見事な結合の典型例を見ることができるのではないでしょうか。
一方では、旧態依然たる天皇主義的国家主義をふりまき、他方では、公教育を企業と市場にまかせていき、その中で「心の教育」をやろうとする。単純な戦前復帰ではない、現在の支配層の戦略的方向性が、非常に粗雑で、野蛮な形とはいえ、明白に示されています。
同じことは、石原都知事の姿勢にも見ることができます。石原は一方では、典型的で古典的な右翼国家主義的発言を繰り返しており、「三国人」発言や自衛隊の治安出動にも見られるように、ウルトラ国家主義的な姿勢は明白です。しかし、他方では、彼のやっている政策は、福祉切り捨て、規制緩和、公的部門の大幅削減と民営化、都の事業の民間委託、等々であり、まさに典型的な新自由主義政策です。
このように現在の支配層は、もはや、かつてのように、右肩上がりの経済成長による右肩上がりの税収増を望めないことをふまえて、一方では、大幅に国民向けの予算を切り捨て、市場原理主義でやろうとしています。しかし、他方では、そうした市場化、福祉・教育切り捨てによって、国民各層の間に貧富の差が増大し、社会が不安定化するにつれて、今度は逆に、強力な上からの統治が必要となります。さらには、国民内のイデオロギー的分裂を回避するため、より弱い層(典型的には底辺外国人)へ敵意を集中させることで、偽りの「国民統合」を実現しようとしています。こうして、「強い国家」と「小さな政府」という2つの路線は、相互に補い合い、相互に促進し合いながら、今後ますます日本の政治を強力に規定していくでしょう。
したがって、革新側の対抗戦略は、そのような支配層の基本戦略に十分噛み合ったものにならなければならないと思います。