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「現状分析と対抗戦略」討論欄

世紀末日本の政治・経済・社会の現状と今後の展望――2000年総選挙と野党のあるべき姿

2000/6/17 地域経済分科会、20代、サラリーマン(連合組合員)

0.始めに――自己紹介もかねて
 みなさま、こんにちは。こちらは初めてです。簡単におことわりしておきますと私は日本共産党員でも支持者でもまったくなく、むしろ天皇陛下を象徴として敬愛し、日の丸君が代も疑い無く受け入れ、死刑存続や少年法改正にも賛成してきた「保守」層です。
 しかしながら、環境政策や経済政策、労働条件などの問題では、自民党的手法が完全にドン詰まりの状態にあると愚考しております。あるていど日本共産党を含めた野党が伸びる事が不可欠と考えています。
 こうした考えのもとで、資本主義経済の歴史にも触れつつ、1970年代末から現在に至る流れを分析し、今後の政治・経済のあり方をどう考えるべきかについて愚見を述べたいと存じます。

1.新自由主義の時代――1970年代末から
 1970年代末から80年代始めにかけて、日本を含め、世界各地では、「新自由主義」の旋風が巻き起こり、革新・社会民主主義陣営は世界各地で後退を余儀なくされました。
 これは、70年代のオイルショック以降の不況にたいして革新・社民陣営が有効打が打てなかったこと、また経済の国際化に伴いケインズ的政策が利きにくくなってきたこと、このため財政面でも各国政府は大きな行き詰まりに直面した事が挙げられます。
 輸入性向が上がれば、いわゆる乗数効果も低下します。これはマクロ経済学の教科書にもあるので詳細は省略します。
 日本ではそれまで、革新陣営の政府こそ出来ませんでしたが、地方レベルではおおくの革新自治体が存在し、資本主義の矛盾である環境破壊や福祉などの問題に取り組み、国政にも影響を一定程度与えました。
 しかし、1979年、世界的な革新後退の流れの中で、日本の革新自治体も次々崩壊して行きました。かわって登場したのが、特定大学・特定省庁出身で日本共産党以外の相乗りの首長たちです。
 アメリカなどの「新自由主義」が企業などの要求に基づく面が強かったのにたいし、日本では半ばいわば「上から」の指令として、福祉の削減、大型開発行政などの産業政策の推進など、大会社を優遇しそれで地域経済を活性化しようという政策を推し進めてきました。
 それを支えたのが、各自治体をいわば政府の「使い走り」にする機関委任事務などのシステムと、それと結びついた、中央が財布の紐を握るシステムです。補助金はもちろんの事ですが、地方交付税交付金も地方自治体をがんじがらめにする方向で変質が進んで行きました。
 80年代を通じて、単独事業だが、その実は地方債の財投引き受けで支えられ、しかもその地方債償還の溜めに地方交付税交付金を出すとという事業が増加し、ますます政府の地方への統制は強まりました。
 規制緩和も所詮は「金太郎飴」で、一糸乱れず地方はリゾート法に乗っかって似たような開発を進め、バブルが崩壊後は結局巨額の赤字を抱える事になりました。

2.国際化と新自由主義の進行
 1980年代、とくにその後半になってくると、経済の国際化は急速に進みました。
 一方アメリカはレーガン政権下で財政赤字、そして巨額の貿易赤字を抱え込み、プラザ合意以降の円高=ドル安傾向に持ってこざるをえなくなりました。
 あまりに急激な円高ドル安を防ぐため、アメリカは日本に国債を買わせることとなりました。こうしてアメリカはかろうじて基軸通貨国の利益を享受することを続けられました。
 そうしたなかで、アメリカの大会社とそれを代表する勢力、によって、日本の国内の規制も批判の焦点となってきました。
それが日米構造協議、農産物のGATTのURでのアメリカの対日攻勢となって現れました。
 大規模小売店舗法の緩和撤廃、牛肉・オレンジの自由化、最終的には米の関税化が決定されました。
 90年代には、東西冷戦構造が崩壊し、「武力戦争」から「経済戦争」の時代に突入しました。
 すなわち、平たく言えば、大会社の機嫌をとることで、各国が生き残りを図るようになったのです。日本の通産省が「企業が国を選ぶ時代」というキャッチフレーズを使ったのも90年代です。
 「大競争時代」という言葉が頻繁に使われたのもこの時代です。規制緩和が賛美され、「価格破壊」が93年から94年、95年にかけて、流行語となりました。
 アジアの経済発展が喧伝され、バブル経済崩壊後の日本では不況が長期化し、経済界には焦りが見られてきました。
 日本はこのままでは取り残されると言う論調も目立ちました。市場経済化を徹底させる事こそ万能薬であり消費者の利益にもなるというがごとき空気が支配していた時代です。
 一方で政府は、高齢化、少子化への対応と称して、何度も年金制度をいじりまわしました。1986年、95年そして2000年と。また消費税の増税も行いました。
 細川内閣の掲げた「改革」や、橋本内閣の「6大改革」もこの文脈でした。「小さな政府」と、「市場経済化の徹底」が2本柱です。そしてそれは中央集権的システムを前提としています。細川内閣はどちらかといえば中央集権の解体と分権的システムを求めていましたが、村山内閣を経て、96年発足の橋本内閣はむしろ通産省的上からの改革論議を踏襲していました。

3.噴出する新自由主義の矛盾
 しかし、こうした新自由主義ないし、小さな政府と市場経済の徹底の路線は、大変な矛盾を抱えていました。
 そもそも、「大きな政府」と、「市場経済」は、実は不可分のものなのです。そうでないと、階層間の対立や環境破壊などで、社会が立ち行かなくなってしまうからです。

 a.資本主義の歴史
 資本主義が本格化する前は、わたしたちの生活の多くは、共同体内の相互協力とか家族労働など市場とは関係無いところでまかなわれてきたのです。生産手段や環境でいうなら入会などで共同体的ルールによって保全が図られてきた。また入会地の存在や、一定の配慮(東南アジアの村落での「落穂拾い」など)により、社会的弱者もあるていど救われてきました。
 ところが、市場経済化が進めば、共同体は解体します。みな現金稼ぎに出れば、例えば他の家の老人の面倒を見るなどしにくくなりますし、共同での資源管理も機能しなくなってくるでしょう。
 日本の場合は、明治維新時に入会地ははっきりしないものは国有地とされてしまいましたので、やはり共同体の相互扶助機能は低下したと考えられます。
 それはともかく、市場経済化で資本蓄積が進み、全体としてのGDPは上がったのですが、貧富の差が拡大するなど、大きな社会問題が発生してきたのです。
 結局、政府がかつて共同体が行ってきたようなことをしないと社会が立ち行かない、あるいは、競争による勝者の側も、革命を押えこむために譲歩しないといけない状況となり、ここに福祉国家が成立しました。
 結局いままでは「共同体」「家族」が担ってきた経済の部分を「政府」と「市場」が担うようになった。これが大きな変化です。

 b.再論:新自由主義路線の矛盾
いまでも似たようなことはあります。例えば、ある個人商店が、高齢者の家へいつもご用聞きにいっていたとします。おかげで、高齢者は家にいながらにして栄養も十分取れるでしょう。
 ところが、大店法が緩和され、こうしたお店がつぶれ全部車でいかないといけない大型店にばかりなったとします。
 お年よりは、結局、そうなると行政の訪問看護なり給食サービスを利用せざるをえなくなるでしょう。また車依存型社会が加速すれば地球温暖化防止の点からも望ましくありません。また余計な費用が掛かります。
 教育ではどうでしょう。今まではこどもの教育はあるていど家庭が責任を持ってきました。ところが労働者同士の競争が市場原理徹底で進めばお父さんの残業が増えるかもしれません。親子の対話が減って、暴走族が増えたらこれまた余計な警察の取締りなどのコストがかかるでしょうし、将来にわたって人材の質の低下と言うつけを日本社会ははらうことになりましょう。
 こうして、市場経済化は余計な費用を発生させ、むしろ「大きな政府」にしてしまう面があります。
 橋本内閣も、そして、いまの民主党など「改革派」もこれらの点を見落としています。
 かつての新自由主義者は「家族の価値」を強調して社会崩壊を防ごうとしましたが彼らが進める市場経済化、規制緩和こそが、家族屋共同体をを掘り崩すという本質を持っていますから、これは一人漫才以外のなにものでもありません。

c.そのほか、様々な市場経済徹底主義、新自由主義の矛盾が噴出しました。
 地球環境問題は経済優先主義の結果と言えましょう。
 さらに南北問題もここ10年ほどで悪化の一途をたどっています。また、アジアなどで投機資本の急激な移動によって通貨危機が発生し、金融市場の管氏の必要性が説かれるようになりました。
 さらに、雇用問題も深刻です。
 生産性の上昇は、1歩間違えば人がいらなくなることを意味します。労働時間短縮ならまだしも今までどおりの労働時間それどころかサービス残業強化なら、国民の消費は一定とすれば、雇用は減ってしまいます。
 はっきりいって、いまの状態では雇用は増加は望めません。雇用が増加せねば、消費市場が維持できませんから、経済は回りません。
 一方で、高齢化社会や地球環境問題と言った課題に対処するため、儲からなくても必要な仕事はふえてきました。
 いまの政府と市場だけの考え方では、高齢化社会や環境問題には対応しきれず、雇用も生み出せないと言う最悪の結果になることも考えられます。
 また中小小売店などが倒産することも雇用の減少につながるでしょう。
 また新自由主義が暗黙の前提としてきた「中央集権主義」、とくに 日本のそれによる弊害ははなはだしい物があります。
 中央の支援を受けて官僚出身や相乗りの首長が推進してきた大型開発の多くが失敗しました.身近で工業団地が売れ残っているなど御覧のかたも多いでしょう。
 さほど伸びが望めない重厚長大型大企業の誘致に偏っており、折角の投資が生きてこず、逆に財政を圧迫し、住民福祉さえ圧迫する。そういうケースは枚挙に暇がありません。
 財政が悪化した結果地方はますます中央の言う事を聞かざるをえなくなります。こうして中央集権的な財政・行政システムは強化されていきました。
 一方で「規制緩和」もあくまで全国一律で押し付ける視点の物が多くかならずしも地域の特色などが考慮されたわけではありません。大店法、リゾート法などしかりです。
 しかしこれらは問題の解決に何ら役立ちません。それどころか、中央集権的システムの弊害は目立つようになりました。
1992年ころから地方分権を推進する声が強まったのはそのためです。ただ、注意すべきは、地方分権で、国が身軽になって、むしろ外交や安保に特化しようという考えの分権論(小沢氏)もあり、その論調にはいろいろな文脈があることに注意すべきです。これはどちらかというと中央政府のための分権であって、地方のため、住民のための分権とは違ってきます。

4.橋本内閣の失敗
 1990年代後半で特筆すべきは、橋本内閣の「構造改革論」とその失敗でしょう。
 いわば新自由主義の総仕上げともいえます。財政再建とセットです。これのルーツは通産官僚に求められます。
   しかし、彼らの改革論は所詮は上からの押し付けでした。
 しかもアメリカを規制緩和の本場と勘違いし、その真似をしようとしている。いわば、 アメリカンリベラリズムの虚像を焼きなおしたに過ぎないものです。
   実はアメリカでは街造りのために商業に規制をかけている自治体も多いし、州によっては成年者であることを厳格に証明しないと御酒を買えません。
 また、無謀にも金融ビッグバンをすすめた。アメリカやイギリスの真似をしただけで、実際それが企業の生産力や消費者の生活をどのように向上させるか、という視点はなくむしろ国際的投機資本に貢献する性格が強かった。
 一般国民にとっては希望が持てるような「改革」ではなく、危機感に追いたてられながら、とにかく無闇に進む「展望なき改革」でした。
 ともかく、ひたすら「創造的破壊」「構造改革」を叫んだ。結果は、惨憺たるもので、中小企業は貸し渋りに苦しみ、商業者は不況と規制緩和の直撃を受けました。
 サラリーマンは消費税と医療費値上げの直撃を受けました。結局、上からの押し付けに過ぎません。
 しかも、国際情勢、あるいはアメリカの要求に適応することしか考えていません。もっと、積極的に例えば、南北問題の解決の為に資本主義の悪いところは直すとか、貸し渋りの元凶とも言われるBIS規制でも、欧州がやっているような弾力的運用をやるとか、そういう国際的積極性もなく外国に押し捲られるのみ。
 一方で改革と言う割には例えば道路特定財源を廃止し、燃料税を環境税制に変えるなど、ゼネコンの利益を損なう事は出来ませんでした。所詮は自民党の内閣であったからです。
 しかし、そもそも市場経済化と小さな政府(財政構造改革)を同時にしようとしたのですから、失敗は当然です。
 NPO法の成立などみるべき施策もありましたが、全体としては橋本総理の実験は失敗しました。
 こうして98年、参議院選挙で大惨敗を喫して、橋本内閣は退陣しました。

 5.現状――小渕=森政権の展望なきばらまきvs民主党の構造改革焼き直し
 橋本内閣崩壊後、今度は、小渕政権が発足しました。それこそ、なんでもありで、60兆円の公的資金を銀行救済に投入し、財政構造改革も凍結。さらに企業のリストラを支援するための産業再生法なども実行。
 ひたすら、大銀行、ゼネコン、などの支持基盤に奉仕を続けました。そして公明党の協力を得るため、公明党支持者向けの政策も実行してきたのは皆様ご存知のとおりです。
 しかし、小渕政権は、IT推進などで多少みるべき点もあるとおもわれますがやはり所詮は国民全体の生活をどう良くして行くかと言うビジョンはありません。
 橋本政権が「展望なき改革」なら小渕政権は「展望なきばらまき」 です。
 小渕総理亡き後、森総理があとを継ぎました。政権の枠ぐみは自自公から自公保と変化しましたが、中身は変わりありません。森総理のほうが国家主義的色彩が強いとは言えます。
 国家主義を持ち出す事で、経済などから目を逸らすのは古今東西常套手段ですが、森総理の個人的資質が問題ではあるにせよ、ああいう人が平気で総裁に選ばれると言う事は相当自民党内にも森的価値観への共感があってのことだと思われます。
 自民党候補者がよく家族を大事にとかいっているのを聞きますがあれは結局経済から目を逸らせるねらいです。失政を覆い隠すためです。昭和の日法案もしかり。ナルシズムによって、行き詰まりから目を逸らしているのです。
 しかしこれに対する野党陣営も、混迷にあります。第1党の民主党にして、橋本的改革を焼きなおして公約に掲げているといえます。これでは、結局のところ国民の幅広い支持は得られないでしょう。
 失業率を具体的にどう下げて行くのか、もっといって将来の不安をどう解消して行くのか、具体策は野党も懸命に考えてはいるのでしょうが今のところ国民の幅広い支持までは至っていません。
 燃料税改革など、注目すべき公約もありますが、自民党よりも新自由主義的で、失敗が目に見えている公約も多く、不安です。

6.私的改革論――21世紀の日本の経済社会のあるべきすがた
 1-5の経緯を踏まえ、私的な日本がどうあるべきか、また野党がどのような役割をはたすべきかについて愚見をのべたいと存じます。

あ。経済・雇用
 今の利潤最大化を目的とした経済では結局福祉や環境保全などが供給不足となってしまいます。これは雇用不足にもつながって行きます。しかし、だからといって純粋ボランティアでは長続きはしない。行政だけの負担では財政的に難しい。わたしは、「食えるボランティア」のような形が良いかと愚考致します。
 企業活動自体を利潤を第一とするのではない。まして株価第一主義など論外です。利潤も株価も結果としてついてくるべきものです。
 そういう経済にして行かない と南北問題も環境問題も解決できないと愚考致します。
 そのための積極的な役割を政府も果たして行くべきと愚考致します。適切な規制も行うべきです。まず経済効率の上位に人間的尊厳とか幸せ、地球環境といったものを持ってくる。その枠組みの中で自由競争が許される、そういう社会にして行く必要があります。
 競争より共同です。そして適切なルール。いまの自民党政府では環境破壊が起これば補償はしてくれるでしょうがそれでは手遅れなことは豊島事件でもあきらかです。環境破壊などないほうが良いに決まっている。それには根本的に効率より環境を上位にもって来るべきです。いいかえれば持続可能な社会のあり方がまずありきです。ただ市場経済は、そこへ向かうためのもっとも効率的な手段は提供してくれるでしょう。提効率を無視した官僚主義も困ります。
 日本共産党が主張している残 業へらして雇用増加、も当然すべきです。残業が減れば、親子が触れ合う時間も増え、暴走族も減るでしょう。
 これらの政策は、自民党ではまずできません。自由党も無理でしょう。当面日本共産党が民主党政権にたいして左から閣外から要求を突きつける事で実現するのが近道かと愚考致します。

い。地方主権
   地方「分権」ではだめです。今の状態では中央が財布を握ったまま。これを地方へ移し、中央には分担金のような形でお金をだすようにすればいいでしょう。規制緩和も」上から押し付けにすべきではなく、各地域がアメリカでも見られるように創意工夫を凝らして、いろいろな地域造りをやって発展して行けば良いのではないでしょうか。
 これも自民党では、無理です。高級官僚・ゼネコン・銀行を支持基盤とする自民党にとって地方主権など実現したら、中央集権的システムと言う、彼らにとっての利益配分装置がなくなってしまうからです。
 民主党も地方では自民に相乗りしてお零れに預かっているので口先では改革をとなえても難しいかもしれません。
 日本共産党が、主導して行くべき分野と愚考致します。

う。金融
   上でも少し触れましたが、公的金融は重要です。さらにいえば、あ。で触れたような活動を支援するための「市民バンク」のようなものをもっと促進すべきです。また地域内での経済活動を活発化させ、中小の商工業に元気を取り戻すために、地域通貨のようなものをもっと考えて行く必要があると思われます。

え。教育
 お金をかけなければはじまりません。国旗、国歌は日の丸、君が代で良いと愚考しますが、別にそれに教育現場であれこれする必要は無いし不毛だと愚考致します。

7。日本共産党は差別化で生き残りさらに躍進を――民主党に過度に阿るな
 日本共産党は、いま、勝手に鳩山民主との連立をもちかけています。が、向こうがいやだといっているのにこちらから連立をもちかけるのはどうかと思います。
 民主党は言行不一致の面もあります。公共事業批判を中央で展開しながら地方では平気で自民と相乗りして旧来型開発の御先棒を担ぎ、中央集権的システムのお零れに預かっています。
 はっきりいって彼らは今度の選挙で伸び悩めば、新進のように解党して、自民へ吸収される可能性があります。
 日本共産党が本気で天下を取る事を考えるなら、総選挙の最中は、いや来年の参議院選挙でも自民党だけでなく、はっきりと民主党も批判の対象にすべきです。各地の有権者は、民主党が相乗りを続け、日本共産党は堂々と戦っている事を知っていますから、かなり共感は得られるでしょう。
 「オール与党」政治はけしからん。こう主張していたころには日本共産党に勢いがあったと思います。下手に民主党にすりよったころから少し支持率が伸び悩んでいます。民共両党は、一見似た天下構想を持っていますから(しかし自民党的体質には変わりがない)、有権者は、日本共産党よりは民主党に流れて行ってしまっていると愚考致します。
 ただわたしは、天皇制批判や国旗国歌批判、死刑反対などを前面に出すのは得策ではないと思います。でないと「原発は反対だけど死刑制度には賛成」などという人も結構いますから、それらの人の票を逃してしまいます。
 むしろ経済や雇用、金融などでの自民、公明はもちろん、民主などのオール与党の無戦略振りと展望のなさの批判に徹すべきです。自民批判と民主批判の割合はむろん前者に比重をおくべきですが。
 今回の総選挙ではどうも日本共産党は民主に接近する戦略をとっていますがちょっとまずいと思います。ですから来年の参議院選挙に「オール与党批判」徹底に回帰する事を期待しています。
 もし今回民主が政権をとってもむしろ阿らず、積極的に左から自党の政策をぶつけて行くべきです。黙ってはいけません。存在感をアピールしないと埋没してしまいます。
 しかし日本共産党が埋没してしまう事は日本の将来にとってはプラスではないと思います。総保守では、緊張感が失われそれこそ地方政治の緊張感のなさが中央でも常態となってしまう。これでは民主主義の死です。
 以上、長文失礼致しました。

 なお私自身の天下構想につきましてはhttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/6002/SETOYAMA/に多くがございますので、御時間があるときにでも遊びによってくだされば幸いです。