こんばんは。
自称保守層の地域経済分科会です。
市場に任せれば何事もうまくいく。(公共投資や国防は除いて)。これがアダム・スミスの「国富論」のまあ、一般的理解といえましょう。
しかし、その彼が理想としている状況は、プライステイカー(価格を左右しないほどの小規模市場参加者)の農家が小麦を同じくプライステイカーのパン屋さんに売り、それをさらに消費者に売る、こういう状況だったと思います。
そのころのイギリスでは、特権階級として大商人(近代風で言う独占資本)が跋扈していて国民全体の幸せを阻害していた。そうした状況を打破する必要を彼は感じていたと思われます。
それには特権を解体(貿易自由化などもこの文脈)し、その上で自由競争を進めるのがよいわけです。当然彼もそう考えていたでしょう。
しかしながら今は寡占資本が市場をかなり支配しています。こうした状況で国民全体の利益を図るにはどうすればよいか。
独占の解体とその上での競争促進が上げられます。むろん独占企業に補助金を与えるとか、価格差別を認めるなどの手法もありえます。
しかるに新自由主義者は、寡占の解体には消極的であり、寡占の取り締まりはしない上で、どんどん競争を進めよ、という。
これでは、寡占状態は打破できません。それどころか、中小企業が規制によって守られていた領域では大会社の「殴り込み」で、中小企業がつぶれ結局寡占となり、価格を吊り上げる。
こうした状況は例えば、アメリカの航空業界でも90年代後半になって見られ出しました。
アダムスミスの考えは捻じ曲がって伝えられ、悪用されています。
カワセンさまが、この投稿欄で、市場原理主義は独占資本主義を崩すと言う趣旨の事をおっしゃっていましたが、それは公取などがきちんと機能して初めて成り立つと愚考致します。
実際は、むしろ大会社がやりたい放題になる。そして寡占の主体も国内大会社レベルから今度はグローバル企業に移って行く。
そうした過程にあると愚考致します。知的所有権などのアメリカの攻勢もその一環です。
特許などはむしろ「規制」にあたります。これはむしろ特許をもつ大会社を保護する機能を持ちます。
金融もしかりです。bis規制も日本には不利でアメリカには有利です。グローバルスタンダードと称して日経新聞などは称賛してましたが、そもそも貸し倒れ率が低い日本の銀行に(欧米はリスクを取るので貸し倒れ率も高いが利ざやもかせぐ)、欧米の基準を入れたのでたまりません。貸し渋りで大不況。
今後は農業などで日本はアメリカの大会社に首根っこをどんどん押えつけられるでしょう。南北格差も確実に大きくなる。階級間所得格差も大きくなる。
日本の経済学界はこうした状況にあまりに無防備でした。
近代経済学の理論を最低限応用すればマルクス経済学を仮に知らずともアメリカの無茶苦茶には反論できたはずですが、それもできなかった。上記の状況、一々説明はいたしませんが、ミクロ経済学の応用で簡単に説明できる事象ばかりです。
革新陣営や良識ある保守層は警鐘を発しつづけたがいまいち大きな声にはなりませんでした。
御用学者や高級官僚の声の空論が響き渡り、日本経済を左前にしてしまいました。
地球環境問題などの面でも彼らの悪質さは目に付きます。
例えば産業廃棄物の不法投機事件が起きたとしましょう。こうした場合、彼らはおそらく業者に後始末の責任を負わせるより、被害住民が立ち退くほうが合理的とか考えるかもしれません。
一見だまされそうになってしまいます。
しかしそもそもこれは事件が起きてしまっての状態を示します。すなわち業者に「不法投棄をした状態」を既得権としてみとめてしまっている。
最初から不法投棄などさせない仕組みを作ったほうが安上がりなのです。
さらに業者や排出企業を厳しく罰すれば、一罰百戒で抑止も期待できる。
ところが彼らは中立を装いながら実は高級官僚の責任逃れや大会社の利益にマッチした理論をまくし立てるのです。
わたしならいくらでも反論できますが。ただ高級官僚には個人的に友達も多く、面と向かっては言えません。友人関係を壊したくはないから。
インターネットなどで、叫ぶのが精一杯であります。
野党側は早急に「経済学の再生」、とくに近代経済学のそれに取り組むべきです。
「経世済民」の原点に立ち返るよう。。世の中をうまくまわして民を救う。ちと古めかしいですが、民主主義の世でもかわらないと思います。為政者が民衆自身に代わっただけです。
アダムスミスは天国で泣いています。彼が安らかに眠れるよう、経済学を再生しましょう。
与党の御用学者、高級官僚に対して理詰めでしかも現実に即して反論して行きましょう。