選挙結果については、私なりの感想もありますが、別にまとめることにします。
さて、吉野傍さんは、シンキロウ総理や都知事石原を「現在の支配層の基本戦略である国家主義と新自由主義との見事な結合の典型例」とし、「一方では、旧態依然たる天皇主義的国家主義をふりまき、他方では、公教育を企業と市場にまかせていき、その中で「心の教育」をやろうとする。単純な戦前復帰ではない、現在の支配層の戦略的方向性が、非常に粗雑で、野蛮な形とはいえ、明白に示されています」とされてます。なるほど、これは一面をついた、なかなか鋭い指摘と言えましょう。しかしながら、それはやはり、「ある見方で見るとそうも言える」程度のことにすぎません。そもそも、国家主義と新自由主義とでは表面的に見ても矛盾するのであって、森や石原の頭脳構造の中でこの両者が有機的にどのように結びついているのかの具体的分析はここではなされていません。(例えば、グローバル化の流れは確実に従来の国民国家の役割を相対的に減退させるのであって、国家主義の存立基盤そのものを突き崩すはずです)
私の見立てはここでも吉野さんのそれとは大きく対立するもののようです。日本の支配層主流派はグローバル化の流れを「強いられたもの」として受け止めており、本音は旧態依然たる日本型「社会主義」体制(政財官癒着の護送船団方式)の維持にあります。その集約が自民党という政党でしょう。同党は、戦後大部分の期間、政権政党として政治権力を保持してきた訳ですが、それは、一定の社会民主主義的政策を採り入れることで日本社会の相対多数派の支持を得てきたがゆえでした。もちろん社会民主主義と言っても、せいぜいが右翼社民的な政策に他ならず、戦前にノスタルジアを抱く国家主義志向勢力も決して主流派という訳ではなかったものの、常に脇に付随していた形でした。ところが、グローバル化の嵐のなかで、自らのよって立つ既成国家が揺らいでくると、国家主義的な部分が最も危機感を受け、そうした部分(森や石原など)が突出した動きをし出したのが今日の状況であろうと思います。現下の問題は、日本型「社会主義」体制を国家主義的に乗り切ろうとする勢力に荷担するのか、それとも国際基準に沿った日本社会改革の側に立つのか、の選択です。私はいまの共産党や社民党ははっきり「保守」だと思ってます。民主党と自由党がすっきりした改革派であり、自民党にも改革派はいる、という見方です。構造改革は必要なのであり、それは全体としては日本の市民のためになることです。ここら辺の見方は、吉野氏へのレスには留まらないので、また次の機会に。