こんにちは。「保守」の地域経済分科会です。
1.階級分化は進むがマルクスの予想とは違う
マルクスは、資本論や、共産党宣言で、階級は資本家とプロレタリアの二つに分かれると予想しました。
しかし、それは外れていると愚考致します。
社会の高度化に伴い、いわゆる中間層、例えば、公務員なり、ホワイトカラーなり、弁護士なり医者なり、こういう人々が増大した事。
これは、マルクスの見落としでしょう。
あと、資本主義を守ろうとする側が革命怖さに譲歩した結果、かなり所得の均等さが維持された事もあります。いわゆる大きな政府、日本の自民党政治です。
2・現代的階層分化と精神的荒廃――深刻な「人間同士の内ゲバ」
ただ、最近では、所得の不平等化がまた進行しています。また、階層の固定化が進んでいる。それは単純にプロレタリアvsブルジョワではなく、自民党政治が高度成長を原資として、利益配分を通じ、農民、商工業者、会社員、公務員、専門職、老人、若者、都市住民、農村の人、いろいろな階級や年齢の人々の不満をいままではおさえてきたのが機能しなくなってきたということだと愚考いたします。
それは経済成長の鈍化であり、経済のグローバル化が背景にあるのは間違いないところです。
その結果、従来の地方交付税なり、年金なりといったセイフティネットへの不信となり、また官僚への不満ともなる。
それが一方で政府への不信感から新自由主義の横行を招き、一方では、ナショナリズム、自己中心主義、ポピュリズムを生む。アダムスミス的「他者への共感」すらない。
民主党や自由党の総選挙での前進は、こうした風潮が背景にあります。
「階級闘争」はあります。しかし、それは、会社員と公務員という労働者階級同士、農村と都市、いずれにせよ、金融資本の暴走や自民党の無策の犠牲となっている「人間」同士の内ゲバの形を取っているのです。
また、子供たちは、おとなの鏡といいますが、「他者への共感」と言うものがなく、校内暴力や、暴走族がまかりとおっています。本県内の中学校では出席停止処分を食らった中学生はしゃあしゃあと「悪さがしたいわい」と言う始末。
なんたる精神的荒廃でしょう。
しかし、自民党は精神論でこれを解決しようとしています。資本主義の矛盾によって起きた事を小手先で誤魔化そうとしています。うまくいくはずがない。
3.デモクラシーとセイフティネットの重層化を
結局、今の「セイフティーネット」は、いわば、官僚独裁の元で行われています。地方交付税も、社会保障もです。これでは他者への共感など望むべくもありません。
また、国政レベルで扱っているがために国民から見えにくく、参加意識が無いため、結局軽視してしまうとうこともあります。
ですから、社会保障にしても財政にしても、これを根本的に連帯原理によってささえられたものにすべきです。
また、地方主権を貫く。まず市町村でできることは市町村で行い、それでできないなら都道府県、そして国、そして最後は国際機関です。
国際機関も途上国の開発や人権などではそれなりに、活躍は期待できるのですが、97年通貨危機時のIMFのようになかなかうまく機能しない事がある。
それよりは、例えば、地域レベルでも通貨を導入し自治体無いし、共同組合で管理し、経済活動の一部分を、金融資本の暴走の影響からガードする。
そういう自治の原理を通貨でもやることのほうが重要だと愚考致します。
4.漂流する日本の革新――内ゲバやめさせ、人々の尊厳保つ天下構想を
今の日本の革新陣営は、保守側が失敗してチャンスなのにもかかわらず、生かしきっていないように愚考いたします。
欧州の社民は、いわば、国家機能によって、市場を調整しようとしています。新自由主義の金融資本野放しの政治はおかしいのではと言う疑問に支えられ、97年以降、社民が欧州では伸びたわけです。
日本では、しかし、むしろ、ナショナリズムやポピュリズムの横行が先行してしまってるように見うけられます。
革新は不満を吸収する天下構想を打ち出せていません。
私が愚考致しますに、日本共産党や社民党など革新陣営は、3でわたしが挙げたようなセイフティーネットとデモクラシーの重層化の先導役を果たすのも手ではないかと思います。
階級闘争は今でもあると思います。が、それはむしろ、金融資本の暴走に苦しむ側(会社員でも農村でも公務員でも)同士の内ゲバとなり自己中心主義となっているのが現状だと愚考致します。
それを打破し、人々の尊厳や、地球環境の保全が金融資本の自己増殖の上位にはっきりくるような社会の実現へ向けて革新は努力すべきと考えます。