あさかみつよが没落して以来、しばらくいなくなっていたおばさん霊は、どうやら田中真紀子にやどったようである。舞台も、ワイドショーから、政治にうつり、敵役もサッチーから外務省の官僚へと変わった。政界のつながりを度外視して、小泉純一郎を自民党総裁選挙で支持、みごと当選させての外務大臣入閣、本人としてはしてやったり、ということである。はじめ、いくつかの失敗を官僚にリークされたが、なんとかのりきり、むしろ発揮されているおばさん霊のちから、80パーセント以上の支持率で攻勢にすすんでいる。
マスコミの風潮は田中対官僚という形の分析だが、これはいささか、近代政治学的偏向である。一部の論者もいっているように、なぜ、官僚がこんなに抵抗するのかを忘れている。官僚は独立の勢力であるのではない。自民党橋本派に代表される利権の構造がからんでいる。もし、官僚が今田中支持にまわるなら、田中がやめたあとで、その連中は橋本派に粛清されることは確実。官僚は田中の力は一時的だと思っているから、言うことを聞かないのだ。事実、どう考えても、今田中を支えているのは大衆の人気だけ、である。かつてあさかみつよがすべったみたいに、この人気、つまりはおばさん霊がおちてしまえばおしまいである。そして、人気のない田中なら、小泉は安心して切るであろう。
つまり、この対立の裏には実在する利権の構造が存在しているのである。田中がいかなる勢力に依拠して立つのか、戦うのか、もいずれ、みえてく
るだろう。実在する資本主義は理想的に語りたがる人々の頭のなかにあるのとはちがって、具体的な利害関係をもっている。ひとたび、対処をまち
がえれば、たちまちつぶされるし、抵抗力をどのようにうちやぶるかは並大抵ではない。社会主義理論にわざわざ政治革命の理論が特別に入り要で
あるように、この事態を分析するためには、ある種の唯物論が不可欠だと思われる。