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「現状分析と対抗戦略」討論欄

リベラルマスコミのなれの果てと革新勢力の取るべき戦略

2001/8/13 地域経済分科会、20代、サラリーマン(連合組合員)

 こんばんは。

 「保守」の地域経済分科会です。

 私は、元々激烈な広島カープファンであり、読売ジャイアンツもオーナーのW辺恒雄氏も大嫌いです。

 しかし、最近の「A新聞」、「週刊K曜日」をはじめ「リベラルマスコミ」には唖然茫然です。見事なまでに「反動派」=新自由主義派の思う壺ではないですか。

 もちろん、彼らがいままで、単なる自民党へのアンチだとはいえ、日本社会党、日教組と一緒に「安保反対!憲法守れ!人権守れ!」を叫んできた事で社会・政治の「反動化」を一定程度食い止めることへの貢献はしてきたことは否定できません。

 だが、最近の所業を見ると、橋本派、亀井派などの「保守」派より始末が悪いと断ぜざるを得ません。「アンチ自民」の1つ覚えで来た限界・悲劇をまざまざと見せ付けられます。

 日本共産党を熱心に支持している友人と共に怒り狂っています。彼は私と一緒に選挙速報を見ていたとき「週刊K曜日」の主幹もしている「T柴T也」を指差し、「こいつが右転落したせいでこんなことになったのだ!」と怒り狂っていました。

 T柴と私は同じ広島カープファンであるのですが、そんなことは関係ありません。A新聞と一緒に糾弾させていただきます。友人と議論したことも踏まえながら進めさせていただきます。

0.見事に「反動」派の策動にはまるA新聞
 先日、A新聞を読んでいたら、唖然茫然とさせられました。

 「デフレの今、構造改革をやれば、不況どころではなくなる。しかし、今のうちに財政赤字を完済しておかないと、高齢化社会になってからでは返せなくなるから駄目だ!」

 と叫んでいる、エコノミストの文章を載せていました。

 近代経済学的に見てさえ、明らかな致命的誤りが幾つもあります。

 政府債務を「返せなくなる」というのは、債務が円建てである限りあり得ません。100兆円返せと言われれば、100兆円と書いた紙を渡せば良いのです。

 インフレになるではないか、と言われる人もいるでしょう。それはしかし、総需要が不足している限り絶対にあり得ません。高齢化社会になれば、供給不足になる、というのがこのエコノミストのいわんとするところですが、そのときは、米ドルや債券、土地などを売り、対外純資産を取り崩せば良いわけです。

 しかも、インフレになるかといえばさほどではないかもしれません。現在の世界経済で供給不足なら輸入圧力が高まるからです。対外資産取り崩しで生活するとすれば、円を買ってドルを売る事になり、円高になります。したがって輸入物価は下落し、インフレにはならないかもしれません。

 また、ITなどを通じた雇用節約的技術進歩は凄まじい。少々労働力が減ってもIT技術で雇用が減れば、やはり、失業は増大する。そう。ちゃんとデフレ圧力は存在します。

 昔、スタグフレーションがあったではないかという向きもありますが、あれは、オイルショックで物価上昇と不景気が共存したと言う事です。総需要曲線と総供給曲線を描けばすぐわかります。

 むしろ、将来、ならないかもしれない危機(私は絶対にならないと愚考します。こんなことをいうとお前は国土交通省か農林省のキャリア官僚か、とでも民主党支持者あたりから野次が飛んできそうですが)を煽りたて、現在の危機をわかっていながら深刻化させる。

 「不景気どころではない」騒ぎになったらどうするのです。失業者が町に溢れる。自由を徹底したつもりが、多くの者に橋の下で眠る自由しか与えられず、暴力と抑圧が支配する社会。失業者が多いと市場の規模は小さくなります。一方でITで生産性は上がっていますから、総需要は不足します。「高齢化」で、老人が多いと言ったって、この時点ではみんな路頭に迷っていますから、消費者にはなりえません。

 そして、長期にわたる総需要不足は、経済の規模を縮小させてしまいます。これが一番怖い。すなわち、長期には投資抑制、設備の廃棄などです。

 過度に設備の廃棄が進めば、今度需要が上向いて景気が良くなりかけても今度はすぐに総供給不足で天井にぶつかってしまいます。

 これで、どうして一体全体、高齢化社会に備えた事になるのでしょう!?

 マルクス経済学的に見れば、階級性という視点も欠落している。

 小泉ら「反動派」の狙いは、財政危機を煽りたてておきながら福祉を削る。その分を都市再生と称した大型事業や、法人税引き下げなどに回すつもりでしょう。19世紀資本主義でも公共事業と軍事、警察は国の仕事でした。

 資本に奉仕する国家。これが19世紀です。それと同じことをITだとかそういう新しい言葉は使ってますが、竹中君はやっています。まさに「反動」の道を驀進中です。

 ナショナリズムや空中給油機を整備する大軍拡計画も19世紀的帝国主義への「反動」となんら矛盾しません。

 資本が行く所は正常が安定している所とは限らない。クーデターとか起きて、資本寄りの政府が引っくり返ったとき、自衛隊がアメリカにくっついて 「集団的自衛権を行使する」という名目で侵略に参加、という按配です。

 空中給油機は専守防衛なら要りません。侵略戦争をする以外何が使用目的に考えられましょう。

 NMDもそうです。アメリカはこれを整備すれば、世界中を監視できます。

 「不穏」な動きがあれば宇宙からミサイルを打ちこめます。防衛ではなく「侵略」です。ただ、地上軍を出すと戦死者が出て政治的に甚だよろしくないので、宇宙から間接攻撃と言う事です。

 これにIT支配、食糧支配、金融支配を絡めればアメリカ帝国主義の完成です。第1次大戦後、イギリスから引き継いだ覇権をついに今完成させようとしています。

 小泉君ももアメリカの尻馬に乗ってお零れに預かろうと言う按配です。小泉君は100年単位、千年単位で歴史を見れば全然新しくない人間です。これを、革命的とか、持ち上げる連中の気が知れません。しかし、現に存在するのだから仕方がありません。

2、なぜ、A新聞(民主党、社会党)は反動派に取りこまれたか?・・・「ポリシーなきアンチ自民」のひとつ覚えの悲劇
 なぜ、A新聞は反動派に取りこまれたのでしょうか?

 結局根本的には「ポリシーなきアンチ自民」1つ覚えだったからです。

 自民党政治とはそもそもなんだったのでしょうか。結局、

 「日本の共産化が怖いから、経済政策的には、変則的ながらも福祉国家を構築し、資本主義の延命を図る。政治的には右翼による「天誅」が怖いから、侵略戦争擁護、「国体」護持でいくが、世論の安保反対などの動きにも一定の配慮をする。」

 というところではないでしょうか。

 それに対して、日本社会党、日教組、A新聞はどう対決したか。(日本共産党は60年代前半までは弱かったので、分析の対象とはしません。)

 あまり経済政策でポリシーがなかった彼らリベラル派は、「安保反対!憲法守れ!」の1つ覚えで来たと言っても過言ではありません。

 それはそれで意義があったのですが、結局自民党へのオルタナティブは示せなかった。

 そうこうするうちに、ソ連が崩壊した。一方で経済はグローバル化してきます。そうなると、共産化することへの恐怖が自民党内でもなくなってくる。財界も、「いい加減、福祉国家は止めろ、規制緩和だ、行革だ。じゃないと日本は沈没だ!」と主張します。

 そうはいっても、自民党議員の多くが自営業者や農業者へのばらまきを通じて当選してきていますから一筋縄ではいきません。

 それでも、上記のような新自由主義的文脈での「自民党政治批判」は力を持つようになってきます。その自民党政治はまがりなりにも「福祉国家」ではあったのですが。

 リベラル派はどうしたか。「自民党が仕方なしに築いた福祉国家」ではない、「自治と連帯に基づく新たな福祉国家」を目指すべきでした。日本共産党は一番それに近いのですが、福祉国家と言う言い方はあまりしていません。社会主義とかそういう言い方で却ってわかりにくい。

 社会党もA新聞も、新自由主義的自民党政治批判を展開した小沢さん、細川さんに乗ってしまった。

 しかし、小沢さんたちは、今の自民党政治の枠組を大元では強化しつつ「反動」政策を取ろうと言う人です。それでもA新聞は飛びついてしまった。小沢さんは保守2党論者ですから、小選挙区制を推進した。保守2党と言う事は自民党を二つ作るということで、せいぜい「保守」と「反動」の間での政権交代しか起こり得ません。

 それにも飛びついてしまった。しかし、A新聞も日本社会党も自分の明確なポリシーがなく、アンチ自民しか能がなかった以上当然の事でした。

 こうして、新自由主義的改革の第1幕、政治改革が強行されました。

 その後、曲折を経て、95年頃には「官僚批判」が起きます。A新聞はこれに飛びついた。官僚も自民党的な「福祉国家」を支えてきました。アンチ自民しか能がないA新聞、リベラル派にとって格好の材料です。

 また「財政赤字批判」も強まった。これもA新聞は煽りたてました。

 それが、結果として橋本内閣での「行政改革騒ぎ」「財政構造改革騒ぎ」につながりました。しかし、こんなものがうまくいくはずはなく、98年参院選で自民党は大敗しました。

 その後、小渕、森政権はばらまきを再開しました。もちろん、銀行や大企業に手厚くですが、「自民党型福祉国家解体」の速度を緩めました。

 これに対してA新聞は民主党と一緒になって、新しい福祉国家を模索する事もせずに「構造改革、構造改革」とがなりたてました。その結果、反動的政策を掲げた民主党は2000年総選挙で躍進しました。

 なお、日本共産党は、反動である事に目をつぶって民主党批判を避け、自民党政治批判に重点を置いたために埋没し、後退を余儀なくされました。

 そして、第三幕が「小泉」騒ぎです。

 いよいよ「反動派」真打の小泉総理登場です。

 従来の自民党を否定する、というだけで、A新聞は小泉を持ち上げました。本質はしかし、19世紀資本主義、帝国主義を再びと言うことです。しかし、アンチ自民しか能がない民主党、A新聞は小泉を持ち上げるよりなかった。社民党でさえ当初は「改革は看板倒れ」という批判の仕方しかできなかった。

 また、靖国参拝や土地収用法改悪などの反動立法は全然批判しなかった。相手が「アンチ自民党政治」の小泉さんだから、批判できるわけがない。

 その後、取ってつけたように小泉批判もしましたが、後の祭です。民主党は党内に深刻なしこりを残しました。

 日本共産党は唯一、これに立ち向かいました。しかし、敵の本質を十分には暴ききれなかったし、こちらの天下構想も十分伝わらず、後退を余儀なくされました。

 ともかく、ここに、「リベラル派」は「反動派」に吸収合併されました。

 だが、当然かもしれません。A新聞は第2次世界大戦を煽りたてた張本人でもありますから戦前も戦後も本質は変らなかった、ということでしょう。日本社会党、その後継政党たる民主党も同じです。所詮は大政翼賛会に真っ先に参加し、結党大会で「天皇陛下万歳」を叫んだ党だったということです。

 日教組も同じです。日の丸君が代反対しか能がなく、新時代に必要なビジョンの構築を怠ってきたつけが噴出しています。教育基本法改悪の動きに全然有効な対案が出せていません。なんということでしょう。

 なお、「保守派」についても軽く触れておきます。自民党の「保守派」(抵抗勢力とも言う)は与党でいることでしか存続できません。彼らから党を割る事は考えられません。ドイツのCDUのような、良質保守への転換は当分期待できないでしょう。

 「反動派」と当分適当に共存を図るでしょう。そもそも、河野さん、加藤さんあたりを除けば侵略戦争だった、とみとめたくないと言う点では「反動派」とも多くの点で一致しますので、しばらくこのままが続くでしょう。景気が悪くなれば、あくまで自分の地盤への利益誘導という形式で景気対策を打ってくるでしょう。

3.「革新派」の重責
 こうなると、もう日本共産党などの「革新派」に課せられた歴史的重責は重いものがあります。

 小泉改革はかならず失敗します。そのときに「革新」派がオルタナティブを打ち出せないと、無用に小泉政権を延命させたりあるいは、ファッショ政党に政権を渡したり、失望から投票率が下がって組織政党が幅を利かせたりとろくなことがありません。

 当面、「反動派」は「巧妙な分割統治」をやってくるでしょう。

 すなわち、矛盾が噴出した状況を覆い隠すために、ナショナリズムを矢鱈強調したり・・・今でも小泉内閣はやっていますが・・・、戦争を集団的自衛権の名の元に他国へしかけたりして不満を逸らす危険は十分あります。

 また、公務員と民間労働者、都市住民と農民をうまくいがみ合わせて、矛盾を覆い隠そうとする手も使ってくるでしょう。いまでもそうですがこれがより露骨になってきます。

 医療改悪、言論弾圧法などへの反対の取り組みを進める一方で「日本改革」提案をもっとバージョンアップしましょう。

4.連帯と自治に基づく福祉国家を
 では、こういう状況でオルタナティブとはどんなものか?

 「だれもがほどほど御金持ち」社会です。そしてそれを担保する「連帯と自治に基づく福祉国家」です。

 小泉内閣が破壊しようとしている「自民党的福祉国家」とは違ったものです。自民党が築いてきた福祉国家は第1にそれが「資本」や「お上」による温情的色彩が強い事です。乱暴に言えば、官僚や大企業は、あんまりひどいことをやりすぎて自民党政権が倒れてしまう事を恐れ、大企業による労働者への福利厚生の充実や、農村、自営業者への補助金、公共事業分配などを行なってきました。

 これは、社会全体の責任で社会保障や雇用を確保する欧州とは色彩が異なります。

 また、当然、これらの福祉の財源は大企業に依拠しています。大企業が成長するそのお零れに預かる形で福祉も充実させる、これが自民党のあり方でした。

 小泉内閣が、今でさえ不十分な福祉を削ろうとしているのは不当な事で阻止せねばなりません。しかし、「自民党的福祉国家」を維持するだけでは駄目で、新しい原理を確立せねばなりません。

 「自民党的福祉国家」は、「資本」や「お上」による恩恵である以上、「資本」や「お上」の都合次第ですぐお釈迦になってしまうのです。今は冷戦がなくなりもうソ連の脅威もありませんから、「資本」は堂々と悪いことをしても打倒されることはないと、安心しきっています。こんなときに温情に預かろうとしても駄目です。また、「官僚批判」に便乗して容易に削られてしまいます。

 そこで、「連帯」に基づいた福祉国家の原理を再構築する必要があります。あくまで、みんなでみんなを支え会うのだと言う原理です。損した得したでもない。誰かが老齢や失業で働けなくなったら少しづつ助けてやろうじゃないか、そういう仕組みです。

 そして、もう1つは「自治」です。すなわち外部の大企業ではなく、地域経済に依拠した福祉国家です。今までは外部の大会社を誘致してきて経済を発展させ、それを財源に福祉を充実させました。典型例は原口・宮崎・笹山市長3代に渡る「革新自治体」(あくまで『』つき革新)であった神戸市です。ここは全ての問題が凝縮されていると愚考致します。

 この手法が全国各地で破綻している。もはや、大会社依存の福祉国家は無理です。もちろん、大会社に民主的規制をかけるのは当然です。しかし、冷戦時のような「温情」をあまり期待しては行けません。

 地域に根付いた産業を育てて行きましょう。町作りはどんな人でもアクセスしやすいユニバーサルデザインで設計し、賑わいを取り戻しましょう。地域内の経済循環を活発化させ、不況などの外的ショックから地域経済を防御しましょう。

 地域経済を1つの陣地としながら福祉国家を再構築していきましょう。

5.「自己疎外」排除し、団結の道筋を
 自分が公務員だから、農民が苦しんでも関係ないや、とか、自分は民間だから公務員が行革リストラでも関係ないや、とか思うのは結局自分に跳ね返ってきます。

 こうした自己疎外はすでに起きています。でなければ小泉がこんな支持を集めるわけがない。おそらくやけくそ支持も入ってると思います。

 が、その責任は力不足の野党にもあります。日本共産党をはじめ野党各党は(多分自由党、民主党右派には期待できないが。)オルタナティブをしっかり示す事で、自己疎外を防ぐための前衛に立つべきです。

 国民に過度に媚びる必要はない。媚びるのはむしろ民主主義に失礼です。国民も道を誤る事はあるのだから(「保守的文化人」によればいつも国民は間違うらしい→だからエリートに任せろ、らしいが)、正しい事を粘り強く説得して行けばよいのです。