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「現状分析と対抗戦略」討論欄

RE:粗雑な理解の田口富久治・渡辺治論に想う

2001/9/27 元横国ノンセクト、30代、

 ご批判ありがとうございます。

>渡辺治氏の福祉国家論の意味がどこにあるか、氏の著作を一冊でも読んでいれば了解できる。いわゆる右翼社民主義の福祉国家論を学んでいるなら、渡辺氏の理論の根幹がわかるはずである。いずれにしても最近の30代国立大学卒のインテリがこのような不勉強では、まもなく50代になろうとする私だが、青年への期待が半減する気持ちが生じた。福祉国家、という言葉と論理の中で概念がどう使用されているのか、吟味してほしい。現代国家における対抗戦略として出されているのだ。

 残念ながら渡辺治氏の著作は、古本屋でたまたま見つけた薄い小冊子しか読んでいません。労働旬報から出ているものです。本屋で、大月書店から出ている厚い本をすこし立ち読みしましたが、あまり価値あるものとは思えなかったので、買いませんでした。
 私の感想としては、渡辺治教授は、empiricalな政治学者あるいは社会学者としては有能かもしれないが、マルクス主義者ではないということです。彼の理論がマルクス主義だというのならそれを示して下さい。(桜坂智史さんが、非マルクス主義者なら、無意味な質問になってしまいますが、芝田氏をマルクス主義哲学者として高く評価されているので、桜坂智史さんもマルクス主義者であろうと推察します。)

 申し訳ありませんが、右翼社民の福祉国家論は学んでいませんので、渡辺治氏の主張とどこが違うのかは知りません。しかし、マルクス主義者であるなら、冷戦後(社会民主主義とスターリン主義が衰退ないし解体した現在)に、ブルジョアジーが「福祉国家」を受け入れる可能性はなく、もはや「対抗戦略」になりえないことは明らかではないでしょうか。私の理解では、これからの時代は「福祉国家と新自由主義」ではなく、古典的な階級対立が前面に現れてくると思います。

 渡辺治理論は、労働者階級を中心に分析するのではなく、階級や搾取の概念を使わずに、社会学的な階層概念を使って分析しているところが、根本的に非マルクス主義的だと思います。そこから、「グローバル化、新自由主義によって利益を受ける階層と受けない階層」という、非階級的でナンセンスな問題設定がなされ、多国籍企業の支配に反対して、保護主義によって国民経済を守れという反動的な政策が出てきます。レーニン「帝国主義論」を読んだ人には、渡辺治理論の誤りはすぐわかるでしょう。

 どこかで読みましたが、渡辺治氏はホブソンを高く評価しているそうです。これはおそらく、レーニンのマルクス主義的な帝国主義批判から、ホブソンの自由主義的批判に退行したということなのでしょう。レーニンが「独占資本主義を非独占資本主義に引き戻そうとする」不可能な努力を批判しているのと同じように、渡辺治理論は後ろ向きの反動的理論です。

 また、戦後のいわゆる福祉国家は、社会民主主義およびスターリン主義の存在を抜きにしては語れません。第二次大戦の時期、資本主義は破局の危機に立たされましたが、社会民主主義およびスターリン主義によって救われ、「福祉国家」という安全弁と、保護主義によって防波堤としての小ブルジョアジーを守り、国民的統合をはかるという体制であり、マルクス主義者としては否定的にとらえなくてはならないと思います。(蛇足ですが、革命を阻止するための体制は、南アフリカやオーストラリアでは、白人労働者を保護する人種差別体制として現れました。)

 また、渡辺治氏などのいわゆる反新自由主義者は、保護主義を支持していますが、保護主義もまた-いろいろな場合はありますが-先進国労働者や小ブルジョアジーを保護し、革命を阻止する手段です。中国や東南アジアなどの諸国は、日本の市場解放を求めているし、日本などの先進国の保護主義-特に農業-が、低開発国の経済発展を阻止してきたことは、資料を読めば誰でも確認できることです。欧州のマルクス経済学教授の論文にも、低開発と先進国の保護主義の関連が分析されていました。

>新自由主義がいささかも伝統的「自由主義」とは全く異なることを、貴兄は理解していない。サッチャーやレーガンをリベラリストと思うか?

 それは理解しています。マルクス主義は、資本主義が進歩性を持っていた時代の、本来の意味での自由主義とは大いに共通点を持っています。マルクスやエンゲルスは自由貿易論者でしたし、保護貿易や小農保護を唱えたのは、ドイツ社会民主党の「修正主義者」でした。

>田口氏論は丸山政治学の理解と田口氏の政治学者としての軌跡(明大、名古屋大、立命館大)理解がないと、「右翼」くらいにしか思えないのか。批判する前提条件に学習が必要なことを横浜国立大学で教えないとは思わない。

 不勉強で申し訳ありませんが、丸山政治学は全く知りません。丸山門下と思われる人の本(戦前の転向研究)を一冊ほど読んだだけです。
 横浜国立大学の図書館で、田口氏と不破哲三氏の「前衛」誌上でのやりとりを読みました。田口氏は、「ユーロコミュニズム」の理論を紹介してきた人で、日本共産党が「ユーロコミュニズム」だった時代には党の寵児だったが、その後の宮本巻き返しで党主流からはおいやられた党員(当時)学者と理解しています。(間違っていたら御指摘ください。)
 このことからも、また本屋で立ち読みした田口氏論文の記憶からも、「共産党(当時)右派」と認識するのは間違っているとは思えません。
 田口氏は、日本共産党の丸山批判運動に反発して離党されたそうですね。党員だからといって沈黙せずに、知識人として言うべきことを言うという姿勢はすばらしいと思います。そういう知識人が発言する場を与えられず、一定の知性を持つ人は嫌気がさし、党内には「赤旗」に書いてあることを何でも信じる党員ばかりが残ってしまうことは多いに悲劇だと思います。私は89年に山奥の高校を出て大都会の大学に入り、民青や革マルなどを見てきましたが、民青の質は-量もですが-急速に落ちていったのを見ました。
 おそらく官僚的統制や「歌って踊って」のつけがまわったのでしょう。
 最近の民青はいっそう非政治化し、宗教団体のような気持ち悪い雰囲気を発散しています。もう民青は解散するほうが、共産党の将来にとってもいいのではないかと思います。