この投稿欄やJCPウオッチで、「三分の理」さんが、正当な論理を展開されている。
たとえば、氏はJCPウオッチの投書で、それらに投稿している多くの共産党員や支持者が、「週刊金曜日と云うと記事への批判ではなく金曜日そのものの批判」になりがちであることを指摘している。
氏は、今回の「曽我さん家族インタビュー記事」に問題があるというよりも、政府やマスコミ等が集中的な批判を浴びせたのは、つぎのような点だし指摘している。すなわち、
それらが明らかにされた事に衝撃を受け、その隠蔽を画策しているものと考えておられる。
さらに氏は、
をあげて、「やはり三流の外務省であり、大本営発表を信じてしまう遺伝子を持った国民だと思う」と指摘している。
以上のような指摘に私は共感をもった。
このような視点をもつことは、加藤哲郎氏や有田芳生氏などでさえ、キムジョンイル批判のアメリカの新聞広告に取組み、私もそれに賛同しているけれども、見逃しがちな意見である。
つまり、正当なキムジョンイル批判ではあるが、日本でまきおこっている拉致問題への国民的なもりあがりには、一方で被害者家族や当人への正当な共感をもちつつも、他方ではそれを煽っている運動の側面を見逃し勝ちな側面がみられることである。
実際にいきおいこんでいる論陣をはつている政治家たちの様子を、マスコミ論調を丁寧に検証しなければならない。
それらを『批判』しつつ、アメリカへの意見広告というのが、私なりの筋であると想う。
週刊金曜日をパッシングしたままで、つまりホームページで金曜日非難の文章をのせたまま、運動を進めている加藤哲郎氏や有田氏の取り組み方では、容易に日本ネオ・ナショナリズムの巧妙周到な策略に巻き込まれやすい。
いまの報道体制下での実情を見究め、きちんとした大局をもって運動を進めないと、拉致問題がきっかけで、日本中に反韓国・朝鮮半島への蔑視と差別感情が復活する。
現に日本にある韓国・朝鮮の在日子弟が通う民族学校は、襲撃や罵倒で恫喝され、民族衣装で登校できず、ジャージなどの登校や集団登下校をせざるをえなくなっている。
そのような現状を踏まえて、加藤哲郎氏のホームページでの金曜日批判はされているのであろうか。私は加藤哲郎氏の運動を支持し、連帯する立場にあるので、加藤氏たちがこの「三分の理」さんほどの冷静なマスコミ対応をしてほしいと念じてもいるのであるが。