明治維新という革命は、階級社会では下級武士といえども士農工商のトップに位置する武士たちが黒船来訪をきっかけとして日本の将来を考えて同じ武士の徳川幕府を倒しました。そして維新が成就したあかつきには、武士としての身分・特権を捨て、ほんの10数年程度で、武士社会とはまったく違う新政府を作りました。日本は歴史的に強大な中国文明を受け入れつつ、島国の利点も生かし独立を守り、日本独自の文化を築いてきました。
そのことが明治維新以降、近代化推進での重要な背景というかDNAになっているのではと思います。19世紀の西洋文明は産業革命以降世界をリードし強大となる中で、東洋の日本が明治維新を経て近代化に邁進し、日露戦争に勝利し、西洋文明の専売特許と見られていた工業力を獲得していきました。
その後近代化に成功しながら、強国になった日本を英知でもって統治できなかったことが戦争への道へ歩ますことになりました。日清日露戦争までは、世界の中での日本の実力も客観的に見られ、判断も的確に出来る英知があったと思います。その後、現実感を失い、狂信的というかヒステリックになり、軍国主義への道をひたすら歩み、「大東亜共栄圏」を周辺諸国に強制し、アジア地域に戦争による惨禍をもたらしました。
現在の感覚からすれば、このような侵略は到底容認されるのではありません。何故こうなったのかは非常に難しいですが、理由を探すとなると、世界情勢が変わっているのに、日清日露に勝った成功システムにしがみつき、太平洋戦争と進んでいたのではないか・・・? 変革を必要とするような場面で大きな戦略的視点が弱いこと、既得権と内部調整に配慮するあまり、マクロで見た合理的な視点で決定を下せるリーダーシップが弱いことが、日本が戦争に入って行った要因では・・・・?等々
少なくとも第一次大戦頃から、国民の間で政治意識は急激に進歩し、政党内閣がうまれ、デモクラシー運動、労働運動も発展しています。政権運営、軍部の中枢だった薩長閥に代わり、民間人が登用されはじめました。その中で何故盲目的にそんな道に突き進んでいったのか判りません。「戦争が始まった原因は、軍部の暴走ではなく、世論迎合だった。」という説もあります。
日本人の資質そのものに起因するとするなら、これは必ずしも過去だけの問題ではなく、現在にも共通することも有るのではないかとも思います。どちらにしても明治維新から第二次大戦までをどう捉えるかは、難しい問題です。