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「現状分析と対抗戦略」討論欄

党が国民に圧倒的に支持されるために、その1

2003/7/18 考える葦、50代、無職

 現在の戦略を考えるに、歴史的に振り返る必要があると思う。
 戦後、民主化の大きな盛り上がりとうねりがあった。当時の学生運動は、党主導であったし、当時、労働者のユニオンであった「産別会議」もしかり。その後の60年安保の戦いの大きなうねりもしかり。そのなかで、松川事件などの反共謀略によって、最初の「反共毒素」が振りまかれる。60年安保の時には、以下に述べる「社青同系の」かく乱分子の策動はまだ本格化しない。
 しかし、70年安保の頃から状況が一変する。「社青同」から分派した多数の暴力主義を標榜する各派によって無謀な運動論の元、国民の運動の統一はかく乱され、それらの活動が、党と同一化される中、「反共毒素」が国民の中に浸透していくのである。
 しかし、其の時代は、高度経済成長の弊害とあいまって、党は国会と地方議会で躍進を遂げていくし、党の指導する青年組織も拡大基調にあった。その力の大きな推進力となったのは、党と社会党による地方大都市における革新統一に対する大きな期待である。
 当時、反共勢力によってばらまかれた「反共毒素」は無党派のなかに潜在的には影響を与えたが、政権党に対する反感の方が上回ったと言えるし、それだけ革新勢力に対する期待が大きかったと言える。
 そういった中で、政権党は新たな策動を開始する。それは、「反共毒素」を受け入れる無党派層、いわゆるノンポリ層を増大させ、彼等の敗北主義(どうせ変わらないさ)というを意識を造成することであった。それは、「中教審」の方針に従って教育政策を中心に展開した。「日の丸、君が代法案」が其の後に続く。教育の現場では、政治的な内容は全く影をひそめ、論理的には形式主義に終始し、決して本質に迫らないし、子供達の、本質に迫る論理力を欠如させていく。実験を含めた教育内容は殆ど無くなり、討論の時間は皆無となると同時に、形式主義的論理しか教わらない子供達は、討論によって問題の本質を考えていく能力と意欲を欠如させていく。(因みに、形式主義的論理は、それにに終始する政権党の国会答弁に現れている)ペーパーテスト中心の教育は、他人と社会に対する無関心さを増幅させる。
 政治的無関心は、社会に対する無関心であり、他人に対する無関心であって、現在の青少年の犯罪の増加と直結するものである。
 「反共毒素」は、それのみで効力を発揮しない事を政権党は、見事に証明しただけでなく、現在の政治と社会の状況、「真の民主主義は勿論社会主義にも生かされるものだが、政治権力が大多数の国民の者になってこそ体現される」というものになっていない状況、つまり、1%の有産階級の連中が60年間も政権を維持している状況を作り出しているのである。
 これはわが国の大多数の国民にとって、最大の不幸である。
 ならば、これとどう立ち向かうか、まずは、最初に「反共毒素」を払拭すべきであるという議論は、「形式主義論」の典型である。なぜなら、以上、歴史的に観てきたように、「反共毒素」を払拭できるのは、政治的勝利の積み重ねの結果において成されるものであり、非論理的な「反共毒素」を政治的勝利の前に、論理的に払拭させる事は出来ない。「反共毒素」はまさに幻想に過ぎず、それに多くのエネルギーを使う事は、論理的には意味のない事である。誤解を承知で言うならば、「反共毒素」は、囲碁で言えば、政権党を初めとする反共勢力の死に石に過ぎない。概して言えば、「反共毒素」は、デマゴギーの範疇である。
 「反共毒素」に対する払拭はあくまでも結果である。プライオリティを間違っては打開は不可能である。必要な事は、国民の前に国民が圧倒的に指示できる真の政治的展望を示すこと、それは、決して耳障りのよい総花的政策でなく、系統的に全政治的課題を解決できる、つまり、一点によって突破口が開かれうる政策を提起する事である。
 政権党は、今まで、失政を続けたにも拘らず、何故に今なお政権党にあぐらをかいて存在できるのか?それは、多数を占める無党派層が、失政の責任を問うことなく、付け焼刃の特効薬を政権党に期待するからである。しかし、形式主義論しか持たない政権党の頭目である小泉には其の特効薬を持ってはいないし、それを期待するのは無理というもので、だからこそ、彼は丸投げの小泉といわれるのである。
 彼等は、失政を総括することなく、失政を蓄積してきたのは、彼等の論理がその場主義の形式主義から来る論理的現われであって、古今東西、権力が其の国家を崩壊に導く歴史が証明している。
 抜本的に解決する方法論は、過去を総括し、失政の矛盾を是正し、展望を示しえる方法論を持つ党によってのみ解決しえる。
 わが党よ、その手を上げよ!「有産階級の政権が作り出した失政の結果、生じた諸々の問題を我々は解決できると」
 わが党よ、その手を上げよ!「我々こそが真に解決できると」
 しかし、そのためには、党活動を選挙戦にのみ矮小化することなく、政治的全局面において、政権党のあらゆる策動を挫折させなければならない。そのためには、あらゆる反対勢力と連合し、共同しなければならない。そのためには、政党に限らずあらゆる国民の運動と共同しなければならない。
 「反共毒素」を払拭するためには、大局的には、全政治的課題で勝利する事が不可欠である。キューバがその良い例である。ゆえに、今なお、民主主義を口実にする帝国主義国であり、謀略国家であるブッシュの米国はキューバに新たな策謀を計画する。
 かつて、国民の民主化の盛り上がりやうねりは、ことこどく挫折し敗北した。その結果、「反共毒素」は大きな力を得たのである。
 以上述べたように、「反共毒素」を過大視するのは、党の戦略が選挙の課題に矮小化した結果である。
 選挙での勝利は、あらゆる政治的勝利の上にあるという事は、非形式主義的論理の帰結である。
 わが党よ、その手を上げよ! もし、わが党が、政権党や他の野党の如き「形式主義的論理と方法論」の党でないならば!!!!!