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「現状分析と対抗戦略」討論欄

総選挙後の政治情勢の特徴と選挙戦術

2003/11/18 原 仙作

  総選挙の結果を見て日本共産党がとるべき選挙戦術を考えてみた。

1、現在の政治情勢の特徴
 長期不況、破綻寸前の国家財政、史上空前の失業、国民福祉切り捨てという戦後初の本格的な体制危機が進行しているにもかかわらず、日本共産党が議会で凋落し、階級対抗が政治の表舞台では小泉新自由主義対民主党の新自由主義という疑似政治対抗となって現れていることである。これが現在の政治情勢の特徴である。
 政治路線としてはほとんど同じものが、政治の表舞台で危機打開のための政権闘争として現れるという奇怪。この政治現象は真の階級勢力たるはずの日本共産党の凋落(それが抱える様々な欠点による)と国民の政治的経験の欠如という二つの社会的要因に支えられている。
 したがって、真の対抗関係を政治の表舞台へ引きずり出す手順とその実践過程での日本共産党が復活する方策を統一的に考え出さなければならない。これが日本共産党の選挙戦術の中心課題である。

2、日本共産党の公式主義の欠陥
 日本共産党の選挙政策の欠点=公式主義の欠点を明らかにしておこう。選挙政策に限定するのは、当面の検討課題との関係による。綱領改定問題などは別個に取り扱う必要がある。
 まず、日本共産党の次のような議論は全く政治の現状を見ていない主張である。2003.11.10の常任幹部会声明「総選挙の結果について」からその例を拾ってみよう。
 党の「政治的主張は国民の立場に立ったもの」という主張がある。そのとおりである。しかし、選挙戦の場合、それだけでは足りないということである。問題は国民を引きつける時宜にかなった政策、その訴え方は何かということである。「国民の立場に立ったもの」であっても、国民の支持を得られなければ、その政策は時宜にかなっていないのである。共産党はこれが分からない。いわば政治のリアリズムが全く分かっていない。ここにあるのは単なる公式主義である。日本共産党が「消費税増税反対」をかかげ、新自由主義派が「増税」を公約し、共産党が負けたのは国民が「増税」に賛成なのではなく、今選挙においては他の問題に関心があったということなのだ。つまり共産党の政策は時宜にかなっていなかったのである。政権選択選挙という流れは抗しがたく、それを受けてたつ民主連合政府を掲げるのが本来の姿であるが、民主連合政府を打ち出せないところに共産党の苦境があった。苦境の現実を語る能力がないから、こうした公式で現実を糊塗することになるのである。
 次に「今後の政治に大きな力を発揮すると確信する」というのは今回の政策が時宜にかなっていなかったことを告白しているにすぎない。護憲は数十年来語ってきたことであり、消費税についても同様である。千篇一律、国民の立場に立った政策を訴えてきた結果が今回の総選挙の結果であることをリアルに見つめ直す必要がある。国民の立場に立った政策を訴えていれば、票が向こうから自然にやってくるわけではないことを知る必要があるのである。
 次に「財界が主導する2大政党制には、行き詰まった自民党政治を打開する力も展望もありません。」という主張である。そのようなことはない。自民、民主の2大政党が資本主義の根本矛盾(階級対立)を解決する力はないが、絶えず、その矛盾を相対的に解決して発展してきたのが資本主義の歴史であり、今日、真の敵が逼塞している状況の下では、相対的な解決は十分すぎる展望を持っているというべきである。小泉流改革であれ、その改革は国民の負担であるが、その負担を国民が受容する限りでは実行できるのである。共産党のこの議論は資本主義の根本矛盾(本質)と現在起きている矛盾(現象)を同一視する点で誤っており、公式主義であり、現実の矛盾の特徴を捨象している点でこれまた政治のリアリズムを見失っているのである。国民が一切の負担を受け付けないのであれば、小泉改革は頓挫するが、まさか、共産党は国民が一切の負担を受け付けないと請けあうことはできないであろう。
 このように共産党のリアリズムなき公式主義が選挙政策・戦術問題を見る場合の根本的欠点となっているのである。これが選挙戦術となると、往々にしてまったくのセクト主義になるのである。

3、選挙戦術の前提となる諸要因
 2003年総選挙で2大政党制と疑似政治対決が明確となった。民主党が自民の対抗勢力として浮上してきた事実を見ると、政治を変えたいという①国民の革新的意思は民主党政権を実現したいと考えていることをはっきりと示している。比例票第1党は民主党である。民主党政権であろうが、基本政策は小泉自民と同じなのであるから、政治の基本は変わらないが、しかしそのことを②説得で克服することはできない。これがポイントである。というのは、政策の基本は変わらないが、自民の腐敗の温床である従来の政財官のトライアングルに一定の変化をもたらすことははっきりしており、政権交代は政権に緊張をもたらし、同じ政策でも政権を交代したほうがベターだからである。この事実は否定のしようがない。そのうえ、国民は政権交代の歴史的経験に乏しい。 こうした事情のために説得でこの期待を克服することは困難なのである。
 また2003年の総選挙の結果を見ると、③小泉と民主を批判しつつ、これから直接第3極づくりを議会で進めることは、もはや、手遅れになってしまったという現実認識が必要である。国民の政治革新の意思は護憲、反消費税の社・共を置き去りにして創憲、消費税増税を公約する民主に集中しつつあるからである。この流れは民主党が大失態を引き起こすことでもなければもはや止められないのである。現状で直接第3極づくりを議会でめざすには、民主党政権を期待する善意の国民を批判することにならざるをえず、逆に又善意の国民から見れば、当選する可能性もないのに共産党に票を集め民主党候補者の当選を妨害していることになり、共産党は第3極づくりどころか、多くの国民から孤立することにならざるをえないのである。
 これらの事実認識①②③を前提にすると、小泉、民主を批判しつつ、直接第3極として共産党が同じ政策を持つ諸党派と連合して議会政治の表舞台に登場し、対峙することは不可能であることがわかる。

4、選挙戦術
 したがって、段階を踏んだ政治闘争が必要なのであって、その第1段階は民主党に政権を押しつけることである。民主党に政権を押しつけ、国民の革新的意思を実現させ、民主党政権を経験させることによって、国民自身が民主党政権の苦い果実を味わうことを助け、始めて共産党の主張を振り返ることができるようにすることである。2003年総選挙後の今日では国民の政治的経験のこの段階を飛ばすことはできない。
 2003総選挙結果を見ると、50の小選挙区で共産党の得票を民主党に集中すれば、次点の民主党が当選できたことがわかる。すなわち、共産党は第1段階を実現する現実的な力を持っているのである。
 おしなべてこれら50の選挙区全てでこの作戦を実施する必要はなく、民主党の護憲派、加憲派、創憲派のうち実質9条維持派を精査したうえで、さらにいくつかの条件(それをどうするか知恵を出して)を考慮して、政権交代に必要な具体的な作戦を実施すべきである。
その政治的効果
①、政権交代
②、政治革新を期待する国民の意思の実現。
③、国民の新たな政治的経験=民主党の何物かを知る経験
④、憲法9条維持派議員の拡大
⑤、民主党、社民党、無党派議員個人に対する影響力の拡大。この影響力の拡大は将来国論を2分する可能性のある消費税大増税や憲法改正問題などで威力を発揮することになる。
⑥、国民の政治革新の意思を実現することに協力する共産党という新たな国民的理解の獲得。この点の政治的意義は非常に重要である。共産党が国民に溶け込むことの重要性
⑦、共産党の選挙戦術の欠点である公式主義からの脱却
⑧、自民を助ける共産党という選挙力学上の欠点の克服

5、起こりうる疑問
(Q)自民党と同様の政策を掲げる民主党の議員に1票を投じることは許されるのか?
(A)答は「許される」である。なぜか? すでに述べたように共産党が議会闘争の表舞台に登場するためには段階を踏まねばならないからである。2003年総選挙後の今日では迂回路が必要になってしまっているのである。民主党が政権を執ろうが自民党のままであろうが、国民の負担は同じである。どちらも有害である。しかし、共産党にとっても、国民にとっても現状からの脱出を考える場合、負担も有害の程度も同じであるが民主党政権の方が近道なのである。
(Q)民主党は消費税増税、共産党は増税反対と政策は異なるのに民主党に1票を投じるのは矛盾である。
(A)確かに矛盾である。しかし、民主党政権を求める国民は共産党のこの矛盾した選挙戦術を歓迎するであろう。2003総選挙で比例区で民主党に投票した国民は2200万票で第1党である。最低でもこれだけの国民に歓迎されるのである。革新を求める国民に歓迎されるということは、共産党が広く国民に受け入れられる第1歩である。期せずして無党派との共同の全国的実験ともなろう。
(Q)いいことずくめだが、実際にやるとなると難しい。小選挙区では民主党に投票を呼びかけ、比例は共産党というのは、訴えにくくないか?
(A)簡単である。小選挙区に候補者を立てなければいいのである。小選挙区で共産党に投票していた人はほとんど黙っていても民主か社民へ投票するであろう。共産党は比例区の投票を呼びかけるだけでいいのである。
(Q)小選挙区に候補者を立てないと、比例票も増えないという経験則があり、今以上に比例票が減るおそれがある。
(A)事実を確認しておくと、2003年の総選挙の比例票458万票、得票率7.76%は70年代以降のほぼ最下限の得票率まで落ち込んでいるということである。ここまで落ち込むと、批判の多い全小選挙区立候補(今回の選挙戦ではまったくのセクト戦術として現れた)より、このように戦術を変えた方が共産党への共感も広がり、小選挙区は民主、比例は共産党という票が増えてくる可能性が高い。また、各地における各支部の創意工夫ある選挙活動で補う必要があろう。ここでは経験則は通用しない未経験ゾーンであり、共産党各支部の自覚的な創意工夫ある活動が決め手となろう。
(Q)党中央が選挙協定を結ばないで、下部が民主党を応援することはできない。党中央段階で選挙協定を結ぶということになると、政策協定ということになり、協定はほとんど不可能であり、したがって、下部は民主党を応援することはできない。
(A)これはいかにも形式的な考え方で共産党の公式主義の最たるものである。民主党と政策協定を結ばなくとも、全小選挙区立候補はこちらの都合でやめることができる。全小選挙区立候補を取りやめるだけでいいし、それは党による組織的な民主党支持でも応援でもない。その効果として民主党の票が増えるのは選挙力学の結果にすぎない。場合によっては党中央が権限を各地区に委ね自由にさせればいいことである。各選挙区では護憲派、加憲派、創憲派でも、公約内容を個別に精査して候補者個人と協定なり、支持なり、勝手連になるなり、多様な連携、支持関係を模索する事もいいであろうし、知恵を尽くすということであり、公式主義は貧困な選挙戦術の根源である。これまでの支持票を全くの死票にする(こんなことばかりしていると、支持票も離れていく)のではなく、政治情勢転換の1票として有効に行使されることが望ましいのである。
 選挙区における個別の政策協定を結ぶことが可能な場合でも、間違っても不破氏が東京21区で無党派である川田氏と当初結んだ次のような協定を出すべきではない。①反自民の態度を貫く。②反共産の態度をとらない。③日本共産党の推薦を公表する。もっと柔軟に日本国憲法の精神を貫くという程度にすべきである。民主党であれば、それほど反自民であるはずもなく、共産党が誤りを犯す場合もあるし、推薦を公表するかどうかは相手の判断に任せるべきことである。つまらぬところで共産党の影響力を誇示する必要はない。大事なことは第1段階の政治情勢を早く引き寄せることである。
(Q)選挙戦では民主党を批判しないのか?
(A)これはかならず批判しなければならない。共産党が民主党への幻想を国民に与えてはならない。そうでなければ、民主党に対する批判が高まったときに、民主を支持した共産党という批判を受けるからである。
 民主党を批判しながら、民主党に政権を押しつける。これが当面の選挙戦術の要である。批判の仕方には政治革新を求める民主党支持者を考慮した工夫が必要である。
(Q)民主党が政権をとったら共産党は政権に参加するのか?
(A)参加しない。請われても(そうはなりそうもないが)参加してはならない。基本政策が違うからである。国会の首班指名で共産党の投票で民主党政権ができるという場合には、民主首班に投票する。しかし、政権には加わらず、政局と民主党の政策を考慮した対応をとればよい。是々非々の一定の範囲での協力関係とか柔軟に対応すべきでる。政権に入らなければ野党だなどという公式で考える必要はないであろう。民主党政権はある程度の期間、国民がその政権の実態を理解するだけの期間、存続しなければならないのである。しかし、共産党が民主党政権の政治に責任を負う立場に陥ってはならないのである。
(Q)これでは民主党がテイクアンドテイクであり、一方的に利益を得る。
(A)そのとおりである。天才バカボンではないが「それでいいのだ。」 しかし共産党はそれで失ったものは何もない。これまで逆立ちしても得られなかった多くのものを将来得る可能性が開かれるのである。

6、柔軟な戦術の見本
 なお、私の議論を「とんでもない」というかもしれない党員諸兄の意見を念頭においてのことであるが、参考までに、レーニンの政治方針が情勢を十分考慮に入れたリアリズム、驚くべき柔軟性に満ちていたものであったことを紹介しておく。有名な著作「帝国主義」の結論となる言葉は、これもまた有名な「帝国主義戦争を内乱へ」ということであったが、革命のロシアへ帰国したレーニンはすぐさまこの政治方針を変えるのである。
 「われわれは、内乱に賛成しない者はだれでも、裏切り者だとして糾弾した。しかし、1917年3月にロシアに帰ったとき、われわれはこの立場をすっかり変えた。ロシアに帰って、農民や労働者と話し合ったとき、われわれは、彼らがみな祖国の擁護に賛成していること、ただし、いうまでもないことながら、メンシェヴィキとはまったく違った意味で賛成なのだということを悟った。これらの普通の労働者や農民を、ならずものだの、裏切り者だのと呼ぶことはわれわれにはできなかった。われわれは、これを『善意の祖国防衛主義』と規定した。」(「ドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーおよびイタリアの代表団の会議における演説」レーニン全集42巻、大月、435ページ)
 民主党政権を期待する国民と民主党の幹部連中とは区別しなければならないのである。