今回の総選挙で日本共産党は重大な敗北を被ったが、10中総における敗北の総括 は、政治の現実をみておらず、相変わらず皮相であり、これでは到底、事態の打開を はかることはできないと思われる。ここにいう現実とは、長い不況を経て国民は政治 改革へと動き始めており、その動きは日本共産党を通り越して民主党を押し上げる動 きとなっているということである。
1、初歩的な誤りと不誠実な反省
志位委員長の言う反省点はふたつである。一つは「宣伝物(号外)発行と選挙政策
発表の遅れ」(10中総)ということであるが、これは宣伝技術上の問題にすぎない。
立ち上がりを早くすることがベターであることは、何も今回に限ったことではない。
ふたつめは、財界の新しい戦略に対する「的確な分析と告発の立ち遅れ」(同)とい
うことであるが、まったく支離滅裂な議論になっている。こんな具合である。
「8中総で決定した大会決議案の第8章・・・のなかで述べられた政党状況の分析- 野党の状況には『反自民』という面と、基本路線での自民党政治の枠内という二つの 面があるという見方は・・不正確なものでありました。」(同)
不正確ではなく、まちがっていたのである。基本路線で自民党政治の枠内である政 党(民主党)が「反自民」であるはずがないのである。これは政党分析の初歩的な誤 りというほかないのであって、誤りを「不正確」と表現するのは責任逃れの方便であ り、不誠実な態度である。このような不誠実な対応が、筆坂問題での同様な対応など ともあいまって、総選挙での敗北の一因となっていることを自覚すべきである。国民 が共産党を見る視線が厳しくなっていることを常に想起すべきである。
2、全小選挙区立候補の根拠とその誤り
志位報告は全小選挙区立候補は正しい選挙戦術であったと総括しているのであるが、
その論拠はつぎのとおりである。①、まず、その積極的な意義を確認(みんなで頑張
り、国民の心をつかんだ)②、比例票は小選挙区の闘いがあったからだ、③、小選挙
区の闘いは国民への責任、④、小選挙区での闘いが党の発展の基礎。
これらの要因は小選挙区立候補戦術の正しさを証明する論拠にできるのであろうか?
できないのである。これらの要因のうち、①②④は党内要因であり、③の責任論はせ
いぜいのところ、国民に小選挙区での選択肢を提供するというだけの責任論である。
ところが、選挙戦術の検証は少なくとも政治情勢全体との関連で検討されなければ
ならないのであるが、それが何も語られていない。国民への責任ということで言えば、
日本社会の変革をめざす政党に要請されることは、国政全体への責任なのであって、
小選挙区での選択肢提供などという矮小な責任問題ではない。このように、本来検討
されるべき政治情勢全体が考慮されていない点で、全くの主観的議論であり、しかも、
その政治責任さえ、国民への選択肢提供という部分的な問題に矮小化されているので
ある。
全小選挙区で落選し、4百数十万票を死票にしておいて、まともにその選挙戦術を
検証しようとする姿勢が微塵もみられない。これはまことに驚くべきことである。こ
こにあるのは、党中央がとった選挙戦術への意図的な弁護論のみであり、厳しい言い
方になるが、社会変革をめざす政党指導部としては失格である。党員、国民にかかる
戦術を提起したことに対する責任感がまったく欠如しているからである。
3、不破議長の問題提起の主観性
10中総において、不破議長は全小選挙区立候補問題につき、問題提起発言を行っ
ているが、その主張を要約すれば、獲得得票数を明確にし、腹をくくって小選挙区で
もがんばろうという、これまた党内要因の議論に終始している。政治情勢との関連が
まったく議論の視野から抜け落ちている点で主観的な議論であり、それゆえに、一面
的な議論となっており、腹をくくって頑張ろうなどという貧困な「問題提起」になっ
てしまうのである。
不破氏の提起を現政治情勢の中において考えてみるべきである。総選挙では消費税
増税反対の共産党を通り越して、国民は消費税増税の民主党に票を投じたのが現実で
ある。つまり、国民は個別の政策のあれこれではなく政権交代を求めているのである
が、この要求に対して「腹をくくって頑張る」だけでは足りないことは明瞭である。
この要求に応える政策が必要なわけだが、その用意があるのであろうか?総選挙で示
されたようにその用意はなく、個別政策である何々反対だけであった。個別政策の
提起以外にできることは、民主党政権ができても自民党政権と変わらないことを国民
に宣伝することであろうが、それを国民を説得できると党中央は考えているのであろ
うか?
総選挙では、共産党は財界による2大政党制の陰謀だとか、「政治地図が塗り変わっ
た」などの宣伝を行ったが、「時間が足りれば」説得できたというのであろうか?総
選挙の結果をよく見るべきである。説得などできないのである。後でみるように、不
破議長の大先輩・レーニンはできないと言っている。レーニン全集を隅から隅まで読
んでいる不破議長なら知っているはずである。
このような説得は不可避的に国民が現在求める政権交代要求への批判を含まざるを
えないのであり、その分だけ、国民の政権交代願望に冷や水を浴びせかけることにな
る。「腹をくくって頑張る」だけ、ますます、冷や水を浴びせかけることになり、ま
すます、党と国民との距離は開いていくことになるのである。説得の仕方を工夫した
ところで、冷や水を浴びせかけるという側面は払拭できないのである。
不破氏の提案は、現在の政治情勢の上においてみれば、こういう提案だということ
である。
俗な言い方になるが、こうした共産党のやり方は拙劣であり、賢明ではない。まず、
国民が政権交代を求めていることを積極的に評価すべきである。長期にわたる自民政
権を変えようとしており、政治革新を求めていることは、共産党にとっても願ったり
叶ったりであるはずである。国民の政治革新を求める意欲がなければ、いかなる政治
変革もありえないのであるが、しかし、その改革意欲が、現在のところ、共産党の望
むものとは一致していないだけである。
4、日本共産党の選挙戦術の欠点
志位報告にしろ、不破発言にしろ、全小選挙区立候補戦術を既定のものとして、そ
れをどう党勢発展の契機にするかという視点からしか、議論していないのである。党
勢発展のための選挙戦術論であるように見えるのである。
一般的に言って、ブルジョア政党は党勢発展のために選挙戦術を考える。国民との
利害が根本的に対立しているからであり、党勢発展がそのまま体制の維持として政治
的に機能するからである。
ところが、このような視点からのみ選挙戦術を検討することは、社会変革をめざす
政党にとっては致命的な誤りである。日本共産党がめざす目的は社会主義社会なので
あるから、社会変革へ接近するために、現政治情勢のもとで採るべき選挙戦術は何か
という視点から検討しなければならないのである。この視点から選挙戦術を検討する
ということは、現政治情勢の分析・認識と同時にその政治情勢を社会変革へと接近さ
せる、したがって、現状を変える糸口を探求することをも意味するのである。
上に見た彼らの検討の視点は、事実上、社会変革の視点を抜きにして党勢の発展の
みを考慮しているか、あるいは、社会変革への接近を党勢の発展と単純に同一視して
いるか、を意味しているのである。おそらくは後者なのであろうが、社会変革への接
近という視点ぬきに選挙戦術を検討することは、革命政党という特質をみずから捨て
去り、ブルジョア政党に堕すことを意味している。また、社会変革への接近を党勢の
発展と同一視しているのであれば、政治を極端に単純化して考えているのである。
現実の政治情勢は様々であり、時に党勢の発展が社会変革への接近を意味する場合
があり、時にその逆である場合もあり、つまり、党勢の発展=社会変革への接近とい
う場合、それは現にある政治情勢抜きに、政治情勢を捨象して、一般的に考察した場
合にのみ言えることなのである。それだから、この等式を暗黙の前提にして選挙戦術
を検討すると、政治情勢の現状をリアルにとらえる意識性が希薄となり、政治情勢抜
きの党内要因にのみ目が向き、党勢発展のみとなり、ある場合にはセクト的な戦術と
なり、ある場合には、政治革新を求める国民に敵対的な戦術になったりするのである。
こうした等式を暗黙の前提として、長い年月、替わることのない党指導部が繰り返
し選挙戦を戦っていくうちに、選挙戦がマンネリ化し、等式自体がもつ性格(政治情
勢の捨象、一般化、党内要因重視など)が党指導部の意識を占領してくるのである。
選挙戦の総括において、党の政策と公約は「今後に生きる」(10中総)などとい
う馬鹿げた発言が平然と表明されるのも、こうした理由によるのである。なるほど、
ものは言いようであるが、「今後に生きる」政策は、今回の総選挙では生きなかった
ことだけは確かなのである。こうした言葉の遊戯で党がかかえる諸問題を隠蔽しては
なるまい。
5、レーニンの驚くべき柔軟な選挙戦術
2003年総選挙における全小選挙区立候補という選挙戦術が、上記等式に基づく、
まったくのセクト的選挙戦術であったことをロシアの巨人・レーニンの例を参考にし
て明らかにしてみよう。
レーニンに言わせれば、社会主義革命へ接近するために、選挙戦術は政治情勢全般
との関連で検討されるべきなのであって、第1次大戦後のイギリスの左派社会主義者
に次のような選挙戦術の提案を行っている。当時、イギリスには共産党がなく、小さ
な4つの社会主義党、グループが統一共産党の創設をめざして協議に入っており、か
れらに提案した選挙戦術が次のものである。当時のイギリスの選挙制度は単純小選挙
区制である。
イギリスの同士達は、共産党は妥協してはならない、共産党はその主義を純粋にた
もち、改良主義にたいする党の独立性を保たなければならないと主張するが、そうで
はない。
「反対に、イギリスの労働者の大多数が、まだイギリスのケレンスキー一派あるいは シャイデマン一派のあとにくっついており、こういう連中のつくる政府をもった経験 がない--このような経験は、ロシアでもドイツでも、労働者が大衆的に共産主義に 移っていくうえに必要であった--ということからでてくる疑う余地のない結論とし て、イギリスの共産主義者は、議会活動に参加しなければならず、議会の内部から労 働者階級をたすけてヘンダソンやスノーデンの政府の成果を実地に見せなければなら ず、ヘンダソンやスノーデンをたすけて、ロイド・ジョージとチャーチルの連合に勝 たせなければならない。それ以外の行動をとることは、革命の大業を困難にすること を意味している。なぜなら、労働者階級の大多数の見解に変化がなければ革命は不可 能であり、このような変化は、大衆の政治的経験によってつくり出されるのであって、 けっして宣伝だけでつくりだされるものではないからである。」(「共産主義内の左 翼小児病」全集31巻、72頁)
レーニンはさらに具体的な選挙戦術にまで踏み込んで話をしている。党員諸兄の皆 さんには、是非、全文読んでいただきたい。特に8章、9章を。
「ヘンダソン一派とスノーデン一派が共産主義者とのブロックを拒絶するならば、共 産主義者は一挙に得をして大衆の共鳴をかちとり、ヘンダソン一派とスノーデン一派 の信用をおとさせるであろう。そして、このためにいくつかの議席を失うとしても、 それは我々にとって、いっこうたいしたことではない。我々は絶対に確実なごく少数 の選挙区、つまり、わが党の候補者を立てても自由党員に有利に、労働党員に不利に ならないような選挙区にだけ党の候補者をたてることにしよう。我々は選挙宣伝をお こない、共産主義の宣伝ビラをまき、わが党の候補者の出ていないすべての選挙区で は、ブルジョアに反対して労働党員に投票するよう、すすめる。同志シルヴィア・パ ンクハーストと同志ガラチャーが、これを共産主義の裏切りと見なすか、あるいは社 会主義の裏切り者にたいする闘争を放棄するものだと見なしているのは、誤りである。 反対に、これによって共産主義革命の大業は疑いもなく得をするであろう。」(同7 7頁)
そのうえ、最後に次のようにさえ言っている。
「それは、あまりに『たくらみのある』、あるいは複雑な戦術だ、大衆はそれを理解 しないだろう。それは我々をばらばらにし、細分するだろう。・・・私はこの『左派』 の反対論者にこう答える。--君たちは大衆のせいにしないでくれたまえ!と。おそ らくは、ロシアでは大衆の文化はイギリスよりもすすんでおらず、おくれているだろ う。それでも大衆はボリシェヴィキを理解した。」(同77頁)
レーニンの選挙戦術は、日本共産党の選挙戦術である全小選挙区立候補とは天地ほ
どの違いがあるのである。レーニンの考えでは、当時のイギリスの政治情勢の特徴を
労働者大衆の大多数が労働党支持に移行しつつあることと把握しているのであり、そ
のような政治情勢の中では、労働党支持へ向かう労働者の腕を掴んで、その大多数を、
直接、共産党支持に引き寄せることはできず、まず、彼ら労働者多数の願望を実現し、
その成果・労働党政権を経験させることが必要だし、その経験こそが社会主義革命へ
の接近という視点から見て重要なことだとレーニンは主張しているわけである。
加えて、レーニンの時代と今日の世界情勢を比較してみるべきであろう。レーニン
の提案当時、ロシア革命の成功による社会主義運動の世界大での展開が猛烈な勢いで
進んだ時期である。イギリスでも例外ではない。そのような時代にあっても、レーニ
ンは以上のように提案しているのである。一方、我々が置かれた世界情勢はどうであ
ろうか。レーニンの時代とは全く逆に、社会主義の思想と運動が、これほど地に墜ち
た時代はないであろう。
このようなレーニンの認識には党勢の発展=社会変革への接近などとする単純な理
解・公式は微塵もないのである。
6、何をなすべきであったか
今回の総選挙においても、民主党を比例区第1党に押し上げた国民を、財界による
2大政党制への策動やマスコミ・キャンペーンに踊らされた結果だと見るのは、まっ
たく一面的な捉え方である。国民のこうした動きのベースには政治革新の意思が存在
するのであり、その意思が財界策動やマスコミ・キャンペーンとも共鳴しあい、民主
党を押し上げたのである。政治革新を求めて動き出した国民の動向、これが現在の政
治情勢の最も重要な特徴であり、共産党が見落としたのもこの特徴である。国民が動
き出すというベースが国民の内部に存在しなければ、財界の策動やマスコミ・キャン
ペーンも効果がないのである。
日本共産党は、是が非でも、この流れに乗る選挙戦術を創案しなければならなかっ
たのである。ところが、全小選挙区立候補という、民主党を比例第1党に押し上げた
国民の意思に逆らう選挙戦術を立てたのである。
流れに逆らって泳げば、非力な者はますます力を消耗するだけである。こうして、
その政策は「今後に生きる」ほかなくなる。今回の総選挙で、民主党政権の可能性が
目に見えてきたのであるから、民主党が大失策を犯さない限り、次回の総選挙ではこ
の流れがさらに大きな大波となって登場してくることは明らかである。
日本共産党の全小選挙区立候補戦術は、レーニンの用いた用語にならえば、『左翼
小児病』なのである。次回の総選挙でも変化がなければ、大波に飲み込まれて、従来
の基礎票すら失うことになるであろう。
日本共産党の全小選挙区立候補という選挙戦術は、即刻やめるべきである。このま
までは、小選挙区の基礎票も、党の意向に逆らって自主的な判断を下すようになるこ
とは確実である。つまり、基礎票の計算すらあてにできない時代がやってくるのであっ
て、誤りを正す力がなければ、永遠に「今後に生きる」ほかなくなる事態が迫ってき
ているのである。