京都市長選は、2月8日に迫っている。 私がインターネットでいろいろ示唆をいただている京都の豊かで良識のある知人によれば、今回の共産党支持率は7.2%、民主党に抜かれて、京都でも共産党は第三党に転落したという。しかし、もっとも率が高いのは無党派層である。彼はいみじくもこう言われた。
「この無党派層が、市政を変える主体者として登場してこない限り、勝ち目はありません。お願いして投票してもらうのではなく、選挙に行かなければという自覚を、市民一人一人が持てるようになるにはどうしたらよいのか、ということが今回の市民の手で市長を選ぶ市民運動の出発点であったように思います」。至言である。
私も、その観点が今回の京都市長選ではきわめて高い教育的意義を果たしたと思う。私の学生時代は美濃部革新都政の時代。あのころ、草の根から湧き出るように多くの市民が支援を自主的にしていた。古在由重さんなど多くの実践的知識人が主婦連、婦団連、生協連、日本宗教者会議など多くの市民団体とともに、幹事として獅子奮迅の活躍をして動いていた。それを別に偶像視したいわけでないが、今回の京都市長選は、その雰囲気と同様の政治的大義を感じる。
勝敗は大事である。
けれど、ここ長く政治不信と無気力感、虚無主義、倒錯した事大主義、ポピュリズムの流行などが続くなかで、あらたな軍事大国主義と国内の不気味な国民の心理状態が無視しがたい状況を呈してきた。
そんな中に、市民たちがたちあがり、全国でも共産党が強いと言われた京都。京都新聞のリサーチでは、共産党はついに第三位の支持率。もしそのまま共産党が大阪のように運動していたら棄権は多く、似た結果となっただろ。
今回、選挙に勝つかどうかは、わからない。それでも、政治闘争としては、新たな成果をあげている。全国の「変革主体形成」を志向する民衆派にとり、この運動は「ひとつの麦」として全国に、京都方式として大きな教訓を与えてくれている。
さきにあげた京都のかれはこう言う。
「まもなくゴールです。楽観はしていません。 しかし、名前だけを連呼してひたすらお願いしか訴えない、現職の宣伝カーからは、未来を呼ぶ声は私には聞こえてきません」。
そう、未来からのメッセージを受けとる運動こそ、現代民主主義運動の王道を歩んでいる。ゴールは、静止していない。その向こうに、参院選と憲法改悪企図とが待ち構えている。
明治自由民権運動以来の日本民衆の自主自立の精神が過去の先人たちが、現在との統一戦線を構築している。今回の京都市長選をめぐる新しいかたちの運動体を、私は京都方式統一戦線とかりに名づけている。
京都方式統一戦線とは、現在における市民、民主勢力、統一的労働運動、実践的知識人たちとの統一であるとともに、現在と過去の教訓との統一戦線でもあるといえないだろうか。声低く持続し続ける無告の民の声を、継承する刻と想う。