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「現状分析と対抗戦略」討論欄

京都・市民派市長選挙の敗因

2004/2/27 展望台、60代以上、自営業

 京都市長選に関する拙稿3件(一般投稿欄、現状分析欄)に対し、桜坂智史さんか ら再びご意見が寄せられました。返事が遅くなって失礼しました。

桜坂さんは、拙稿に対して

「(広原盛明氏を)一般的共産党候補だと決め付けてしまうならば、まったく見えて こない選挙戦の市民派運動の重要な特質を認識されているのかどうか。そこが展望台 氏の投稿ではまったく見えてこないばかりか、隠蔽されている。それが正直なあなた の投稿への実感です」

と書いています。これについて直接のお答えにはならないかもしれませんが、私の感 想を記します。

 周知のように京都(厳密には市内の大部分を占める旧京都一区)の共産党は、70年 代の衆院選で、定数5のうち2議席を獲得したことが2度あります。国政選挙では珍 しく得票率30%に達したこともあります。もっと古く50年代、共産党の議席がゼロに 落ち込んだ後、復活したのは、大阪の川上貫一氏に続いて京都の谷口善太郎氏でした。 その京都共産党が今回の市長選では、実質はともかく「推薦」候補を立てられなかっ たのです。

 拙稿の根底にあるのは「京都の共産党は、どうしてこんなに弱くなったのだろう」 という感慨であります。また「昔の共産党は好きだったが、今の市民運動にはどうも 違和感がある」という心情でもあります。そういう気持ちの上で、広原盛明氏の敗因 を考えてみました。

 広原氏は敗戦の総括記2編を発表し、今回選挙は市民派と旧来の縦割り組織とが、 町づくりというプラットフォームの上で協働した-と特徴づけています。

  http://www.hirohara.com/

 ところで「市民運動」(または市民派)というのは、すでに確立した概念で、大抵 の国語辞書にも百科事典にも掲載されています。中には50年代の平和運動から、その 例を数えているものもあります。現に、市民運動団体に推されて、あるいは市民派を 名乗って当選する中央・地方の議員、首長は数多く出ています。京都では初めてだと 言っても、広原選挙に何か特徴があったのか、私にはよく分かりません。

一方、「町づくり」(まちづくり)という言葉も、ネット検索すれば何万と出てき ます。京都市当局のWeb情報にも、現職のマニフェストにも沢山あります。ほかなら ぬ京都が舞台であり、広原氏が建築家だという点で、特別な重みがあったことは認め ますが、それほど新味があるとも思えません。広原支持の「市民」も、実は広原氏の 学者仲間、建築界仲間が比較的多かったのではないかと思えます。

広原氏は第2編で敗戦の原因を分析をしていますが、それは要するに「投票率が低 かった」ということだと、読み取りました。広原氏は投票率低下の原因を3つ挙げて います。第1「低所得者における脱政治化現象」、第2「現職側の無風選挙戦略」、 第3「政党相乗り選挙」--の3つです。このうち、第2についてはさらに3点に分け ています。1番目「圧勝キャンペーン作戦」、2番目「争点ぼかし作戦」、3番目 「アカ攻撃作戦」--の3点です。

 私は、一口にいうと、相手側の戦略戦術の成功を数え立てても仕方なく、それを乗 り越えられなかった自分側の弱点をもっとしっかり述べないと、敗因分析とは言えな いのではないか、と思います。しかし、それでは愛想無しなので、広原氏の各論点に ついて少し感想を述べます。

 第1。「低所得者の脱政治化現象」。広原氏は低所得者の投票棄権が「先進諸国に おいて次第に顕在化していますが、わが国でもいよいよ顕在化してきた模様」と大分 析しています。その当否を判断する学識はありませんが、こと京都の今回選挙に関す る限り、そうは言えないと思います。広原氏は今回選挙の投票率について、中間層の 厚い北部地域(左京など4区)は40%台を維持したが、低所得者が相対的に多い南部 地域(伏見など2区)は30%台だったという数字を挙げています。しかし、それはた またま大台が分かれただけであって、もともと前者は常に投票率上位、後者は下位と いう傾向を持っています。古い資料は図書館で調べるしかないが、前回市長選以降7 回の各種選挙の投票率は、京都市選管Web資料に出ています。これによると、投票率 は各区ともほぼ平行的に沈下しています。この資料には各小学校区別の投票率も出て います。広原氏の立論を基に、低投票率の校区は低所得者が多い、と速断する人が出 てくると、まずいのではありませんか。

 第2の1。「無風=圧勝キャンペーン作戦」。両陣営の政党組合せだけに焦点を当 てた宣伝により、「今回は勝負済み」との空気が流れた--と広原氏はいう。しかし、 90年代3回の同市長選は全て「共産対非共産」の組合せで行われました。その中で、 得票数も得票率も今回が最低だったことの原因説明にはならないのではありませんか。

 第2の2。「無風=争点ぼかし作戦」。相手側はマニフェスト選挙といいながら、 政策論争や公開討論は悉く忌避した--と広原氏は批判しています。しかし、相手の土 俵に乗らないのは、戦いである以上むしろ当然でしょう。私は前の拙稿で少し述べた ように、広原氏のマニフェスト自体が、高層ビルや高速道路など、対立する問題につ いて自らの見解をぼかしていたことにも、責任の一半はあると思います。広原氏は相 手のマニフェストについて「京都哲学のない『事業計画』のオンパレード」と批判し ています。しかし、事業計画を示すことは、大切だと思います。総論あって各論無し よりマシではないでしょうか。

 第2の3。「無風=アカ攻撃作戦」。「市民派の皮を被った共産候補」というのが 個人攻撃の常套文句だった、と広原氏は言う。攻撃する方もする方だか、それを敗因 に数える方も相変わらずだな、というのが率直な感想です。そもそも、共産党や公明 党のように“嫌悪率”の高い政党は、互いにそこを衝かれているのでしょう。広原氏 は共産党の「支持」や党幹部の応援演説を受け入れたのだから、堂々と「共産党も仲 間のうちだ」と言えばよいのではありませんか。過去の市長選では共産「推薦」候補 が、それなりに戦績を挙げたのだから。

 第3。「政党相乗り選挙」。「国政レベルで反自民を期待して民主に投票した支持 者の多くを失望と棄権に追いやった」と広原氏は言う。たしかに、今回選挙で民主党 (+社民党)が独自候補を立てていたら、選挙戦はもっと白熱したでしょう。しかし、 その代わり「相乗り選挙」批判は出来なくなります。今回広原氏にかなり流れた民主、 社民支持票が元に戻って、広原氏はもっと得票を減らす恐れもあったでしょう。ある 意味では、今回の方が広原氏のチャンスだったのではありませんか。

 広原氏の敗因は、私の平凡な見解では①広原氏自身が認めているとおり知名度が低 かった②マスコミに対する話題提供が弱かった③共産党の影が薄かったため古くから の党支持者も棄権に回った--などだと思います。

 既成組織に頼らない市民派選挙では、マスコミにどう扱われるかが重要なカギにな ります。広原氏は「無党派ブームへの過信があった。…無党派、あるいは市民派を旗 印にして打って出れば、…ブームが沸き起こるかもしれないという期待です。だが、 現実は必ずしもそうではなく、マスコミによって意図的に持ち上げられてきた側面が 強い」と率直に述べています。そして「マスコミからも公開討論などの企画は出ませ んでした。新聞紙上で各陣営のマニフェストを羅列的に比較するだけでは…争点も明 らかにならない」「マスコミも沈黙したまま」「マスコミを事実上私物化」とマスコ ミ批判を連発しています。

 私も平素、マスコミの政治経済報道の一面性には批判を持っていますが、自分の主 張が取り上げられない場合だけ不満を言うのでは、公正な批判とは言えないでしょう。 報道は選挙公報ではないので、いわゆる“泡沫候補”も含めて全候補者を完全平等に は扱わないことも“報道の自由”なのでしょう。反面、今回市長選には第三の候補者 (無党派)もいたわけですから、現職対広原氏だけをクローズアップするのは難しい ところでしょう。私は、広原氏がむしろ「共産党推薦」を受けていた方が、マスコミ にとってはけじめが付けやすく、ひいては広原氏にも有利だったのではないかと思い ます。

 

 広原氏が「現場記者の努力はともかく、マスコミ上層部の(意図的な)サボタージュ は厳しく批判されて然るべき」と述べているのは、マスコミ批判のよくあるパタンだ が、ちょっと見当違いでしょう。マスコミ業界というのは、上司の命令で動くほど単 純だとは思えないし、おそらく、今回の広原氏に対しては「現場記者」自身の力が入 らなかったのでしょう。

 知名度が低いことと、マスコミに乗らないこととは、どちらが原因か結果かは分か りませんが、広原氏側にはトピックスが少なく、勝つ雰囲気が乏しかったのでしょう。 陣営内では「面白い選挙だった」と自賛しているそうですが、有権者にとっては面白 みが無く、投票率が低下したのだと思います。

 4年後、どうなるか、注目しています。