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「現状分析と対抗戦略」討論欄

「市民派」よりも「市民党」を望む

2004/3/23 展望台、60代以上、自営業

 京都市長選に関する当欄の拙稿について、桜坂氏から反応があった。

 拙稿は京都市長選候補だった広原盛明氏のマニフェスト並びに敗戦総括記について、若干の論評を試みたもので、桜坂氏の言説に対しての批判や「質問」は一切していない。「展望台氏のご質問が寄せられている」とあるのは、何か勘違いでしょう。また「別のHNで私を揶揄したかたの年齢職業同一のかたの投稿が別に以前掲載されたのを見たときから、あまり返事を書く気もうすれました」とあるが、私の関知することではない。「広原さんご本人の総括をご自分の目でお読みください。それが私を媒介にして曲解するよりもよいかと存じます」というのも、余計なお節介である。私は広原氏の所信に直接関心を持っているのであって、いささかも「(桜坂氏の)媒介」など受けてない。拙稿を読まれた方にはお分かりだろう。議論の中身に触れずに、人を不愉快にさせるだけの投稿は、おやめになったほうがよろしいでしょう。

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 さて、広原氏の敗戦総括記PART3は、桜坂氏に紹介されるまでもなく、読んだ。広原氏が「天気晴朗」と良い気分になっておられるのに水を差すのは、私の本意でないし、何回も京都市長選がらみの拙文を書くほど暇でもないが、折角の機会だし、広原氏も「この小文をもって…私の個人的総括は終わり」と書いておられるので、一点だけ感想を述べておきたい。

http://www.hirohara.com/tenki3/index.html

 広原氏「PART3」における現状分析は、特に新味があるとは思わないが、ある一面からの見方としては、特に異存はない。しかし、物事すべて別の観点があることも、いうまでもない。中でも、既成政党と市民派の関係については、私の感覚は多少違う。

 広原氏は「自民の政治的退廃」「公明の政治策動」「雑居集団・民主」「高齢化する共産」という小見出しからも推察できるとおり、既成政党をなで切りにする。私は、人間が作る組織というのは多かれ少なかれ、欠点、弱点、汚点を持っているものだと思う。常に厳しい批判にさらされる政党という組織は、とりわけそれが顕わになるのだろう。有権者はそれを承知の上で、最善ならずとも、次善を求めて投票しているのだと思う。有権者の大方はそれぞれの判断力を持っているのであって、何も市民派だけが「自覚的」であるわけではない。政党側も少しずつとはいえ、常に体質改善の努力はしているのだろう。確かに、組織離れの心情を持つ個人が一般的に増えているのは事実だろう。しかし、いわゆる市民派という人たちも、最初の動機が個人的な思いからであったとしても、しょせん「○○ネット」などと称する組織に所属して活動している。その組織も長続きし、拡大すればするほど、欠点、弱点、汚点が現れて来るのも、また宿命だろう。

 戦後約60年の歴史を見る限り、日本の政党政治に大きい誤りはなかったと思う。今後も基本的には変わらないだろうと、私には思える。今、その政党政治が転換点に来ていると見るのが敏感で、変わらないと見る方が鈍感なのかどうか、今後の推移で判定するしかない。しかし、失礼ながら広原氏の見方は、立候補した初体験から来る自らの新鮮感動に酔い、他方、長期経済低迷に伴う一時的な社会現象や既成政党の混迷を、過大視しておられるように思える。

 現代政治は、中央であれ、地方であれ、森羅万象を対象にしている。対象をすべて事前に予想してマニフェストや綱領に書き込むわけには行かない。有権者が政党を選ぶのは、選挙時に予想できなかった問題が生じたとき、その政党ならどう対処するのか、おおよそ見当がつくから、一種の信頼を寄せてのことだと思う。しかし、市民派が「派」である限り、つかみ所がなくて、信頼感を持てない。早い話、広原氏は自らを支援した市民派の「典型」として四つの団体を紹介しているが、それによるといずれも広原氏の学縁、地縁につながる大学人などの組織である。あらゆる階層を対象にし、利害も対立する地方自治の課題全体に対処できる政策集団とは、ちょっと思えない。

 広原氏は「市民の目線」という言葉を盛んに用いている。実は「市民」とか「目線」という言葉の定義は難しいだろう。広原氏は、現職市長派が「自分たちが多数派だから市民派だ」と言っているとして、それを「噴飯物の珍説」だと、およそ学者らしくない言葉使いで非難している。それでは説得的ではなかろう。

 広原氏は既成政党を厳しく批判し、市民派の理念を高く称揚される。しかし、広原氏は市民派選挙の戦列に、既成政党たる共産党を一員として加えたことについて、「議員選挙と首長選挙とは違う」と、いささか苦しい説明をしている。政党そのものを否定されているわけではないのだろう。それならいっそ、市民派理念を中心に据えて、例えば「日本市民党」なり「京都市民党」の旗揚げを発起されたらどうだろう。もし4年後に再出馬されるなら、それまでに、小なりとはいえユニークな政党らしい形を整えてもらいたい。単に時のムードに乗るだけの批判者ではなく、責任ある政治家を目指すなら、それも一つの道だと思う。その方が、広原氏が気にする「アカ攻撃」も避けられるし、気まぐれに吹くマスコミ風に悩まされることも少なくなるだろう。