なまけものさんの問題提起に賛成する者です。氏のおっしゃるとおり、日本がアメリカの従属国であるという認識は非現実的かつ有害だと思いますが、にもかかわらず安保廃棄こそは共産党のレゾンデートルであったと思います。だから暫定連合政権構想の安保「棚上げ」論を党員の大半がすでに受け入れているのにはア然としてしまいます。
いままで共産党は反米民族主義を旗印に、経済成長の恩恵をあまり受けられなかったと感じている周辺層の利益を代弁してきましたが、いまや規制緩和・経済の国際化の犠牲になった(より上層の)保守層が共産党を批判票の受け皿にしつつあります。そこで共産党は、いまのうちに保守層にウイングを伸ばし、従来の支持層の高齢化によって赤旗配達網が崩壊する前に“国民政党”に脱皮して生き残ろうと考えているのでしょう。
不破政権論の背景の一つとして『さざ波通信』が指摘する「国民主義」は、ナショナリズムおよび階級性の欠落という2つの中身がありますが、このうち後者が最近とくに顕著になったと思います。いまや「国民」の立場から安保廃棄の気運は熟してないと見なされ、「国民的討論」の結果として日の丸・君が代支持が多数であれば採用するのにやぶさかでないとまで不破委員長が言うようになりました。国旗・国歌の法制化そのものに反対すべきだと言う私を一笑に付す党員がいます。共産党員にとっては、自分が無産者の一人だという事実よりも、階級を超越した「国民」なる抽象がよほど現実的に見えるらしく、それゆえ、国旗も国歌もいらないという立場がよほど非現実的に見えるらしいのです。
党から階級的思考の習慣が消えるにつれて、党綱領が抱えていた段階論の危険性が顕わになってきました。不破委員長は、もともと民主連合政府も「よりまし政権」として提起されたものだと言ってますが、これはたしかにそうです。暫定連合政権は「よりまし政権」までのさらに「よりまし政権」であるわけですが、このように段階論が累進して現状維持にかぎりなく近づいても、それを批判するための基準が「国民が主人公」という視点からは出てこないのです。
党が安保廃棄の旗を事実上降ろしてしまった今、党員の多くは動揺もせず、いったいどんな目的意識があって活動してるのだろうかと不思議になります。「自民党の逆立ち政治をただす」とかいう意味不明な目標、しかもその中身は公共事業の見直しや消費税引下げなど民主党や自由党の政策とたいして変わらなくなっているというのに。
共産党員の政治意識の保守化は深刻だと言わざるをえません。数年後に共産党は公明党と“教義”が違うだけのブルジョア宗教政党になっているかもしれません(すでになっているかもしれませんが)。公明党の支持者は、主観的には国政の抜本的改革を「よりまし」な段階を踏んで目指していると思っているでしょう。そして事実、公明党は自民党よりほんの少し左ではあります。
原点にもどって、そもそもなぜ共産党が必要なのかと考える必要があると思います。なぜ改良主義でなく共産主義なのでしょうか。志位書記局長の言うように、改良をまじめにやるのが共産主義で、不真面目なのが社会民主主義なのでしょうか。これはずいぶん主観的な区別です。
労働者はときどき改良を勝ちとることができます。しかしそれを資本主義のもとで長期にわたって維持することは無理に近いのです。不況時にはこのことが痛切に感じられます。儲からない企業はつぶれます。不況対策とは、資本に利潤を回復させるための措置にほかなりません。そして利潤と搾取は同義語です。結局のところ、労働者は金もうけのための手段としてしか、企業の金もうけが続くかぎりでしか、生きることが出来ないのです。
だから本当の成果は、改良そのものではなく、闘争をつうじて労働者の団結の輪が広がってゆくことであり、また資本主義体制を倒すことでしか労働者は自由になれないという考えが広がってゆくことです。ここにこそ共産主義運動の存在理由があります。
なまけものさんと同じく、われわれの当面する革命は社会主義革命だと思います。『さざ波通信』の見解には労働者階級のとらえ方など異論もありますが、このようなHPがあることを心強く思います。