吉野さんの早速のご注進読ませていただきました。吉野さんの先日の代議員選出の各種方法についてのご教授、勉強になりました。共産党の場合いつ頃から現在の選出方法が確定したのか興味がわきますので、さらに教えていただければなおありがたいです。
さて、「細川政権をどう見るべきであったか」ということですが、これは当面は水掛け論になってしまいそうです。私はそのように理解しているということであって、認識の当否のほどはいずれ歴史が降って一段落した際にならなければ明確にならないと思います。今は只中ですから喧喧諤諤でよろしいのではないでしょうか。ちょうど反対の見解になっていますので、いろんな方から賛否両論していただけたら有益なのではないでしょうか。
私は、こういっては何なのですが「カン」のようなものをベースにしており、細川政権の個々の動きを詳細に追跡したわけではありません。こういう言い方は通常は無責任的な言いまわしのように受け止められると思いますが、ここではかなり積極的・肯定的な意味で使っています。「カン」とは、物事を嗅ぎ取る臭いのようなものであり、学者の百万言の言葉より正確な場合もあるという思いを込めて表現しています。例えば、知らない人と出会った場合に、その人がどういう人であるのか最初に受け止めた印象が、意外に正確な場合があるという場合の例に似せて「カン」というものを評価しています。さらに言えば、近づきすぎてとらわれ過ぎることを「木を見て森を見ず」の例えで表現することがありますが、この例の場合、森を「カン」として考えていただければ良いかと思いますが、「カン」を頼りに部分に分け入った方が道にまよわなくてすむということもあるわけです。庶民的な知恵というものはたいていの場合そのようなものとして働いているように思います。マルクス主義における「大衆から学ぶ」必要のいわれとは、大衆は表現能力において劣るものの、えてして事柄の本質をつかんでいる場合が多く、単に指導される対象という以上のものを持っており、逆に大衆から学ばねばならないこともあるという警句としての意味が込められているのではないでしょうか。
私の細川政権肯定評価論が大衆の知恵を代弁したものであるのかどうかは一応別です。あくまで私の「カン」のようなものであり、私も大衆の一人であることからして大衆の気分の一認識の仕方であることには違いないのですが、吉野さんと私のどちらの見解が正しいのかをめぐって机上の結論を出すには及ばないと思います。要は、私の先の投稿のような捉え方もあるという程度のいろんな見方の一つとして受け止めてくだされば良いかと思われます。ちなみに、先日オウム関連のHPを初めて見ましたが、マスコミに出てこないいろんな情報が書きこみされていました。なるほど連中はああいう世界観・社会観でマインド.コントロールされているんだなぁということがわかり、興味深くもありました。そう、私の意見もそういう土俵で興味深く聞き流しして下さった方が良いのかも。事態の客観認識への接近度は実践によって検証される以外になく、渦中においてはさまざまな諸見解が発生するべく複雑に推移しているのではないでしょうか。事態の進展と弁証の進展により否応なく見解は修正されて行くことになり、または修正されていくべきものと心得ています。
なお、ここで私自身の発言に責任を持つ立場から再反論させていただきます。吉野さんの御注進にも関わらず湧く疑問をお伝えしておこうと思います。細川-羽田政権の経過に自民党よりも右翼的な性格を見るというのは、そうでなかった場合には非常な自民党美化論につながることになりますが、このあたりは認識していただけますでしょうか。逆にいえば、私の細川政権「よりまし論」が間違いであった場合には、細川政権美化論という犯罪的な認識を伝えたことになります。お互いに議論に責任を負うということは怖いですねぇ。HPでの議論の良さは軽い意見の交換の場として活用できるということにしましょうよねぇ。さて、細川連立政権は、吉野さんが言うように、確かに帝国主義的な再編成を目指す動きを随所に見せました。私に言わせれば、そのような動きは細川政権がなそうとしたというよりは、官僚機構の背後にいる意思者の指示であり、細川政権のパーソナリティーとは思っていません。したがって、むしろいかにサボタージュしたかを見ておくほうが肝腎かなと考えています。(無責任ですが、この観点から実証するデーターを揃える時間を持っておりませんので、これも「カン」ということにしてください)
細川政権以降今日までの系譜は、自民党的な綱領の枠組み内においていかにして自民党に代わる新党を樹立するかをめぐってうごめいていると理解しております。今日の政治状況を考えるときに前提にすべきは、今日が時代の変わり目であるという認識です。この変化の時代の対応の仕方として、左翼陣営のだらしなさに規定されてとも言えると思いますが、政権与党の自民党の周辺にこそ活力が旺盛であったのであり、そういう結果として細川連立政権が誕生したという認識をしています。目指すところは「55年体制」に替わる二大政権党政治であり、イギリス的またはアメリカ的な政権交替により、政策の幅を持たせようとしているという普通の読みで良いのではないでしょうか。細川政権の方が自民党のそれより右翼的であったとは思えません。それは、ためにする批判であり、むしろリベラルな傾向が強い新党派の結集であったと考える方が素直なのではないでしょうか。例えば、ロシアとの経済交流を深めようとする場合に、旧来の自民党内ではどうしても賛同一致にはならない複雑さを持っており、甲論乙論が飛びかい動きが取れないわけです。こうした時に自民党に替わる有力政党を育成しておき、その政権で事を進めるとかの選択肢が必要なわけです。そういう意図から体制安定的であり、かつ自民党に替わる有力政党が期待されているというのが実際なのではないのでしょうか。
細川政権を自民党よりも右翼的・反動的な政権と規定した場合、あの奇妙な政権投げっぷりは一体なんだったんでしょうねぇ。新日本帝国主義者はそんなにひ弱な腰砕けな方たちなんでしょうか。そんな帝国主義者が相手なら楽ですねぇ。押せ押せで大衆闘争やり抜いて政権奪取まで一気呵成に向かいたいですねぇ。あれは、素直に読めば、やはり政界に対する殿様的な嫌気でしょぉ。元殿様はそんなに頑張らなくても飯は孫子以下の代まで食えるわけでしょうから、いくら国家百年のためとはいえ、嫌なことが続くと嫌になりますよ。
注意すべきは、新しい政界潮流に国際的な新世界秩序派の後押しがあるという事実です。私は、このことに関しては今のところ次のように考えています。国際的な新世界秩序派の要請を何もかもアメリカ帝国主義の非道な要請とみなすには及ばないのではないか。単に経済のグローバル化時代の効率化要請としての規制緩和もあるのであって、あるいは環境保全の観点からなされている場合もあるのであって、人民的利益から見て歓迎されるべきことも結構あるのではないですか。戦後の農地開放や財閥解体の例により経済の活性化がもたらされたように、われわれの社会の改良的政策を指示している面もあるのではないかと。それこそ我らが共産党が言うように、大企業有利の官僚統制または規制の網の目が必要以上に張り巡らされており、日本人大衆は従順に受け入れるけども、連中は「オカシイではないか」と言ってる面も多々あるのではないかと思われます。へんちくりんなことは、このたびも、またしてもというべきか、内政干渉的とも言える手法で「上」から「外」から「お与え」の改革が進行中なのであり、このたびの「お与え」もまた、人民大衆が対権力闘争により勝ち取ろうとしているのではないことにあります。この背景には、日本の官僚機構の保守性と日本人一般の温和性との見事な調和に対する蔑視とそのことに関するあきれた了解がないまぜにされているのではないでしょうか。