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「現状分析と対抗戦略」討論欄

いささか疲れ気味>れんだいじさんへ

1999/6/29 吉野傍、30代、アルバイター

 最近、長~い投稿を立て続けに書いたので、少し疲れ気味です。活動の方も、自自公による悪法が次から次へと来て、はっきり言って、運動の方もたいへんです。悪法を通す方は、国会で数の論理でやればいいから楽でしょうが、反対する方は、いちいち運動を構築するので、本当たいへんです。
 それはそうと、れんだいじさんの投稿へのレスですが、いちいち論じていると、またまた長くなってしまうので、2点だけ。
 れんだいじさん、wrote

 「吉野さんの先日の代議員選出の各種方法についてのご教授、勉強になりました。共産党の場合いつ頃から現在の選出方法が確定したのか興味がわきますので、さらに教えていただければなおありがたいです」。

 私が入党したときにはすでにこの選出方法になっていましたので、いつからかはわかりません。おそらく、結党以来じゃないでしょうか? 少なくとも、戦後はずっとそうでしょう。この点はむしろ、私が知りたいです。
 れんだいじさん、wrote

 「細川政権を自民党よりも右翼的・反動的な政権と規定した場合、あの奇妙な政権投げっぷりは一体なんだったんでしょうねぇ。新日本帝国主義者はそんなにひ弱な腰砕けな方たちなんでしょうか」。

 あの政権の中で、一貫して日本の帝国主義的利害を自覚していたのは、小沢派だけです。細川は、その点、まったく帝国主義的指導者として不適格であったと思います。そのような不適格者が首相になったのは、一時的に大衆的人気を獲得したからで、その人気を小沢が利用したからです。小沢一郎はけっして自分が首相になったりせず、あくまでも参謀長として政権を操作することを目的にしており、それはきわめて合理的です。彼は、細川人気を利用して、細川政権をつくって小選挙区制を通し、目的通り社会党をつぶしました。もっとも、当初の予定と違って、小選挙区制→自民党分裂という順序ではなく、自民党分裂→小選挙区制になりましたが。
 その後、新進党を作って自民党に揺さぶりをかけ、自民党をより帝国主義化させ、自自連立として、見事に新保守主義政権をつくりあげました。もっとも、これも当初の予定と違い、正面から新保守主義政党として単独政権を取るのではなく、自民党と連合することで目的を達しましたが。
 このように、少しづつ当初の予定とは異なる道をとりましたが、基本的には小沢が描いていたような日本の改革構想が着実に実現していっています。  というわけで、簡単ですがレスさせていただきました。これを最後に、しばらく休みます(とかなんとか言って、すぐまた投稿したりして)。

P・S この投稿を『さざ波通信』に送信してから、「お知らせ」欄で、例の党員同志からの非公開メッセージが公開になったという情報を知りました。ということは、しばらくお休みというわけにもいかなくなりました。が、精神的に疲れているので、少しづつレスしたいと思います。