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「現状分析と対抗戦略」討論欄

不破政権論について(2)>さつきさんへ

1999/9/30 吉野傍、30代、アルバイター

 次に、さつきさんが、護憲の問題を例に上げて、不破政権論を正当化していることについて書きます。
 さつきさんは、次のように書いています。

「綱領の全体を通して読めば明かなように、正式に憲法改正を射程に入れているのは共産党だけです(特に天皇制の位置づけ)。それを現在は『護憲』と言っているのも本質的には同じことで、当面の『安保凍結』が国民の前に明示された形での戦術的な選択としてあっても良いのではないかというのが私の主張の核心です」。

 いくつかまず言葉上の疑問があります。「正式に憲法改正を射程に入れているのは共産党だけ」というのは、どういう意味でしょう? 日本の政党の中で「正式に憲法改正を射程に入れているのは共産党だけ」という意味なのでしょうか? 自民党は以前から憲法改正を党是にしていました。自由党も憲法改正派です。また議席を持っていない左翼党派もすべて天皇制廃絶を目標にしていますから、憲法改正を射程に入れています。
 「現在は『護憲』を言っている」という意味もよくわからない。「護憲」というのは歴史上、一貫して「9条護憲」の意味であって、あるいは、9条を中心とした憲法の民主的・平和主義的条項の擁護のことであって、天皇条項の擁護を意味したことはありません。もちろん、天皇を元首扱いしたり、政治的に利用する動きに対しては、そのような政治利用を禁じた憲法の条項に依拠することはあったとしても、天皇制度の存続を認めることが「護憲」の中身になったことはありません。
 さて以上の言葉上の問題はさておき、より本質的な議論に入りたいと思います。現在の力関係において、共産党が天皇条項の廃絶を求める憲法改正運動をしないのは、当たり前の話ですが、そのことと、それ自体が憲法違反の存在である安保条約を凍結する話とは、まったく異なるのではないでしょうか? 安保条約の廃止は、いかなる力関係のもとでも主張され目標とされるべきであって、それこそが護憲運動でもあるわけです。護憲運動を一貫してやるということと、安保凍結ということとは、端的に矛盾することがらではないですか? 
 いますでに憲法違反的状況が大量にあるもとで(安保・自衛隊はその最たるもの)護憲運動をやるということは、現状維持とはまったく違い、現状に対する大胆な改革、いや安保と自衛隊が日米支配層にとって持つ意味を考えれば、護憲運動とは革命的な内容をもった運動です。それに対して、憲法違反そのものである安保条約を、共産党が入っている政権のもとで「凍結」、すなわち、そのままの形で維持されるということは、まさに護憲運動を台無しにすることなのではないですか?
 いまただちに「憲法改正」を求めないということと、安保現状維持を是認することとは、綱領的な意味で諸段階の一部をなすなどという一般論ではくくれない、本質的な相違を持っているのではないですか?
 さらに言えば、安保凍結(すなわち安保現状維持)の政権に入るということは、何ら、安保廃棄に向けた一段階にはならないのではないですか? 『さざ波通信』で批判されていた「機械的な段階論」というのをたとえ受け入れたとしても、安保凍結政権への入閣がどうして安保廃棄への一段階になりうるのか、そこのところを説明していただきたいと思います。
 むしろ、安保現状維持政権への入閣は、安保廃棄に向けた一歩になるどころか、安保強化に向けた一歩にしかならないと考えます。その根本的な理由はまさに、すでに前回の投稿で書いたように、日本共産党が安保現状維持政権に入ることで、国民世論の中で安保の不可侵性イデオロギーが著しく強化されることになるからです。
 さらに、現実の力関係のもとで、共産党が安保現状維持政権に入ることは、安保強化に向けた支配層の衝動を著しく強めることになるでしょう。いちばん安保反対を唱えていた共産党でさえ安保現状維持政権に入るのだから、われわれはもっと大胆に安保強化の道を行っても大丈夫だろうと、支配層は考えるでしょう。
 綱領路線のもとでさまざまな段階がありうるというような一般的抽象論でものごとを考えるのは危険です。現在はどのような政治状況のもとにあり、どのような力関係のもとにあるのか、そして、その力関係のもとでどのような立場を打ち出せばどのような政治的結果をもたらすのか、等々を具体的に考慮しなければなりません。
 そのような考慮をしないとどうなるかは、たとえば、「日の丸・君が代」問題をめぐる共産党指導部の失態のうちにはっきりと示されています。現在の力関係のもとで、共産党が国旗・国歌の法制化を打ち出すことがどのような政治的結果を促すことになるのか、そして現在の状況のもとで国旗・国歌が法制化されれば、ただちに押しつけ強化につながるのではないか、といった具体的な判断・考慮をいっさい行なわなかった現指導部は、「国旗・国歌の法制化は世界の常識」「法制化されても押しつけなければよい」などという馬鹿げた形式論理にもとづいて、国旗・国歌の法制化の積極的是認という新見解を打ち出しました。これがどういう結末を迎えたかは、みなさんがすでに知っているとおりです。そして、今や、全国的に「日の丸・君が代」の押しつけが猛烈に進んでいます。やがては、「非国民」という言葉も復活するでしょう。
 以上まとめるなら、現在の「護憲」と将来における天皇制廃止との関係を、不破政権論における現在の「安保現状維持」政権への参画と、将来における安保廃棄の綱領路線との関係にアナロジーさせることは、きわめて恣意的であり、成立しえないと考えます。