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「現状分析と対抗戦略」討論欄

原理主義ではないように思います-山田盛り太郎さんへ-

2004/07/06 原 仙作

 山田さん、ていねいな感想をありがとうございます。
 実は、私は「山田盛太郎」という名前が大好きなのです。誰が何と言おうが(笑)、 『分析』は日本資本主義分析の金字塔であり、戦後分析の唯一の基礎だと、今でも思っ ているのです。バブル最盛期の頃に出版されたウォルフレンの『日本・権力構造の謎」 は、当事、評判を呼びましたが、彼は日本が近代立憲国家に変わるには「正真正銘の 革命にも等しい権力の再編成が必要」と主張していました。彼のこのような主張は 「Janan as No1」を謳歌する連中を驚かせましたが、私は改めて『分析』のすごさを 再確認したものでした。
 このような日本の特殊性と関わりがあるのですが、山田さんの投稿の次の部分にだ け異論を述べさせていただきます。

「彼らにとって最大の関心は、みずからの思想的純潔性を守ることなの ですから。」

 日本共産党は、よく独善とかセクト主義とか批判されますが、その原因につい て、私は山田さんがここに言われるような点が原因になっているのであろうと長い間 考えてきました。しかし、社会主義諸国が崩壊して以降のこの党の議論(今回の綱領 改定を含む)の変遷を見てくるうちに、逆ではないのかと考え直すようになりました。 まず、骨がらみのセクト主義があって、そこから、あるときは「原理主義」(引用し た山田さんの文の意味で使っています)がでてきたり、あるときは「安保凍結の連合 政権」論が出てきたりするのではないのか、と考えるようになったのです。
 さて、この「骨がらみのセクト主義」についてですが、これを解く鍵がこの国の特 殊性、遠く戦前にまでそのルーツを伸ばす転倒的日本資本主義とそれとの闘争のうち にあると想像するわけです。第1次共産党の解党とその後の再建の時期に台頭してく る福本イズムの時期がポイントかと思うのですが、当事を回想する寒村は『自伝』の なかで、やはり、そのセクト主義を嘆き、「解党説が正しかったかなア」(寒村『自 伝』、岩波文庫・下259p)と思ったと書いています。
 ともあれ、米「解放軍」のもとで、出所してきた共産党は、すでに「獄中18年」 を誇示する党として、戦前の党活動全体の総括なき「唯一反戦の党」として戦後に登 場してくるわけで、それは「原理主義」の誇示ではなく、故丸山が批判したような性 質を持つことになるわけです。
 私が思うところでは、「原理主義」の党であれば、「唯一反戦の党」を誇示する前 に、運動全体の総括を行ったであろうと考えるわけです。それが欠落しているから 「唯一反戦の党」の規定は客観的評価の基礎を欠いているわけで、そうした規定が驚 くべきことに、丸山の批判から約40年後の反丸山批判(1994年)を通過点とし て、2004年改定綱領に書き込まれる(第1章の3「他のすべての政党が・・・」) ことに結実しています。
 少々荒っぽい議論になりましたが、こうした歴史的経過で身につけたセクト主義が 今回の参議院選でも、政治情勢を考慮することのない党勢拡大唯一論となって、この 党の首を絞めているばかりでなく、わが国の進路の歴史的転換点に立つかもしれない 今回の選挙で痛恨の役割を果たすのではなかろうかと危惧している次第なのです。
 現在の選挙情勢をみると、自民は改選数の51に届かない情勢になってきており、 ここからさらに40代の前半に追い落とす可能性も開けてきています。40代の前半 に追い落とせば、これは「事件」になるわけで、そのためには自民独占の2人区であ る群馬、新潟で各1議席奪うこと、1人区で互角の山形、滋賀、奈良、山口、佐賀で も議席を奪うことが必要になっています。共産党の役割が錐で揉むように絞られてき ており、これらの選挙区の共産票の動きが決定打になろうとしているように思います。 ここまで来てもなおかつ、党中央は、これらの選挙区票の囲い込みに必死であるとす れば、私の仮説を事実をもって証明するような事態ではないでしょうか。そうはなら ないことをねがっていますが。