惨敗直後の記念講演であるから、多少の期待を持ったのであるが、不破議長(以下、敬称略)の講演も志位のそれも見るべき内容はなかった。惨敗の責任を深刻に感じている様子はまったくみられない。国政選挙で4連敗目という惨敗を喫しても、反省の弁の一言もなく、党員、支持者に「不屈の伝統」を説教する不破の政治感覚はあきれかえるほかない。これでは不破天皇である。
1、口先の反省ではたりない
選挙の敗北について、執行部の反省の弁を、志位が演説のはじめに言えるようになったのは良いことである。これは明らかに、ネットなどを通ずる批判が無視できなくなっていることを示している。その意味では、ネットの威力を共産党中央が認識するようになってきているようである。
しかし、昨年の総選挙は議席20から9へ、今回の参議院選挙15から4へ、という大惨敗を喫したら、口先だけの反省では足りないことは明らかだろう。小泉の敗北は国民の批判だといいながら、共産党の惨敗は国民の批判だとは受け止められないのだから、相変わらずである。志位の講演のどこにも、国民の批判を受けたという言葉がない。
2、「人間宣言」をすることである
今回の惨敗について、外部環境のせいにせず、「党中央自身の自己点検」も行うと述べたのは目新しい点である。まあ、これだけ負け続けたのだからリップサービスとしても、この程度のことは言わなければならないと感じたのであろう。良いことである。しかし、問題は中身がともなうかということである。先の総選挙についても「内外の意見に耳を傾け」と言っていたのであるが、何を反省したのか、国民にはさっぱりわからなかったという前例もある。
国民の感覚からすれば、惨敗の責任を負う者たちが、自主的に惨敗の原因をえぐり出せるとは思えないのである。だから、通常は執行部を退陣させる形をとるか、外部から人を招聘して検討するのである。共産党はどちらもやらない。ということは、党イデオロギーの「守護神」であることも含めて、執行部が「聖人君子の集団」であることを前提としているということになりそうである。つまり、神と聖人の集団なわけである。「議会で多数をえての革命」をめざすなら、地上に降りてくることである。天皇ですら、戦後、「人間宣言」をだしたのだから。
国民は神に政治を任せないであろう、戦前で懲りているのだから。
3、問題は鮮明である
政治を変えたいという有権者の思いが「激流となって」(志位の表現)ひろがっているのに、なぜ共産党に票がこなかったのか、という問題である。参議院選が劇的な形で共産党に突きつけたのがこの問題である。「党中央の自己点検」とは、この問題の解明のことである。
志位は2点あげている。ひとつは2大政党制キャンペーンである。二つめは有権者の動向として、自民を落とすという意思が共産基礎票の一部を含めて民主党に票を集中したという事実である。しかし、もう一点、志位が忘れていることがある。長年言われてきた党中央の独裁的、独善的、セクト的体質の問題が視野に入っていないことである。世論調査では、いつも嫌われ者第1党となるのに、この問題が抜け落ちてしまうのでは、「党中央の自己点検」も底が割れていることになる。
4、ある構造ができあがった
志位が講演で紹介している固い支持者からの一通のメールについてである。その支持者は25年来、共産党を一番買っているが、今回は自民をやっつけるために娘とともに民主に一票を投じたという。このメールは共産党が置かれている政治状況を明確にする鏡である。
今回の参議院選では自民をやっつけそこねたのであるから、この支持者はもういっぺん民主でいくであろうということ。しかも、この支持者が固い支持者であり、そうした支持者までがやむにやまれず民主へ票を投じていること、そういうことになると、より浮動的な票はますます民主に集中していくことはあっても、共産に流れてくることはないであろう。今回の民主票の多くが固い民主支持票ではないことは事実だが、この票は再び次の選挙で民主にいくのである。それからもう一つ、メールを送ったこの支持者は2大政党制キャンペーンに踊らされているわけではないことである。2大政党制キャンペーンに踊らされていないどころか、それへ批判的な有権者までが民主に票を集中していく事態が出現しているのである。
この事態は何を意味するか? 現在の政党の配置、その勢力、および有権者の改革意欲など、これらの要因がからみあって、政治状況に一つの構造を作り上げており、その構造は反与党票を民主に集中するように作用しているということである。むろん、共産党中央の姿もまるごと、セクト的選挙戦術や長年の独善的体質も含めて、その構成要因となっている。
こういうわけで、共産党の固い支持者すら民主に投票するのに、他の国民を説得して民主へ行く票を共産党へ引きずってくることなどできるはずがないのである。
2大政党制キャンペーンの影響力は、この構造ができあがるまでは効果的な政治キャンペーンであったのであるが、この構造ができあがれば、その役割は基本的に終えているのである。だから、参議院選惨敗の下手人のひとりに2大政党制キャンペーンをとりあげるようでは、木を見て森をみない議論になるのである。この構造はさきの総選挙で、すでにできあがってしまったのである。だから、この固い支持者はやむなく民主へ投じたのである。
5、袋のねずみ
つまり、共産党は「袋のねずみ」同様の状態に置かれているのである。1998年の参議院選で、国民が与えた820万票を第3極形成のために有効に使わず、共産党支持票とぬか喜びし、無原則的な「安保凍結の連合政権論」を提起して民主党にすり寄ってみたり、一転して、セクト的な党勢拡大路線しか追求してこなかった帰結なのである。
現在の状態は、2000年総選挙以来、敗北を率直に見つめ、点検と修正の作業を怠ってきた結果として追い込まれた窮状なのである。惨敗しても「反転攻勢の足がかりを得た」という大本営まがいの声明の乱発を見よ! この党中央は、長年、敗北の責任を明確にした経験がなく、それが伝統にすらなっている。党が小さかった時代はそれでも良かったであろう。だが、今日では、それではまったくの無責任政党になりさがることを意味するのである。
党員や支持者の善意にいつまでも安住していては、党中央は腐敗してしまうのである。筆坂問題、本部勤務員の飲酒禁止令騒動にはじまり、昨年総選挙における「政治地図が塗り変わった」という議論一つとっても、そうである。財界・政界動向を専門的に分析する任務にある党中央が民主・自由の合同にあわてふためく姿は醜態という以外にないのである。幹部防衛のための参議院・現職3名の解任も同様である。
6、戦犯3人組・不破・志位・市田の辞任と臨時党大会を
一旦できあがってしまったこの構造は行き着くところまで行かないと壊れないであろう。民主党政権ができるか、民主の大失策によってのみ壊れるのである。
共産党が、まず最初に着手すべき事は、この構造と「袋のねずみ」同然に追い込まれたおのれの姿のリアルな認識である。そして、党中央はこうした窮地に陥った責任を明確にすることである。
政策や路線が間違っていないから責任問題は発生しないなどという幼稚で馬鹿げた主張をいつまでもやっているかぎり、「袋」の外に出られないであろう。三菱自工は外部から招聘した企業人を入れた企業倫理委員会を7月22日に開催したが、その場で「三菱用語は改めよ」という意見が出たという。共産党も同じである。このような世間に通用しない「共産中央用語」は改めよ。
国民は政策や路線だけで政党を選ぶのではない。その党の日常活動や組織運営を含めた全体を選択の対象にしているのである。ネット上を飛び交う議論を検討してみることである。
臨時党大会を開き、「戦犯・3人組」である不破、志位、市田の辞任を前提に選挙戦を総括する場合にのみ、タブーなき総括が、再生の芽が生まれてこよう。心配することはない。急遽、形成された民主党・岡田執行部の例が目の前にあるではないか。国政選挙で4連敗しても、無責任に、その地位に居座る党中央は、崩壊した社会主義国を国民に思い出させるばかりである。
国民に見えるように、反省と出直しを誓う姿をみせる必要があるのであって、そのためには、ここ4連敗の総括をめざす臨時党大会を開き、全党をあげて討論と再生の運動に取り組むべきであろう。このような根本的な作業も行わず、党中央による自己点検の結果を文書でだし、「みんなで学習しよう」となるようでは、その責任の所在を含めて、国民は何にも変わらないと思うであろう。
解党的出直しをはかって、草の根からの連帯・運動を積み上げ、来るべき改憲国会を迎え撃つべきである。
党中央が無責任であれば、「袋」のなかで塹壕戦を強いられ、党員に苦痛を負わせ、「解放軍」ならぬ「改憲軍」という「棚からぼた餅」が落ちてくるのを待つほかあるまい、60年前と同様に。