久しぶりに来た「さざ波」で素晴らしい分析記事(投稿)を読んだ。7月4日
と7月27日の「百家繚乱」氏の投稿である。第一に感じたことは、50代、すなわち団
塊世代やその直後の世代にしては「頭の柔らかい人だ」ということ。私たちの世代
(1950年代の後半生まれ)から見ると、この世代は「理屈好き」で「自己主張が強
く」その割には「個性がない」という印象が強かった。会社のなかでも、会議のたび
に「正論」を吐き、激しく自己主張するものの、発言前から想像のつくような内容ば
かりであった。 申し訳ないが、私にはこの世代の社員はそれほど「できる」人達と
は思えなかった。ちなみに、現在の社民党や共産党の組織の中心にいるのも、この世
代やすぐ上の世代(すなわち50代中頃~60代)の方々であろう。
しかし、「百家繚乱」氏の投稿を読んで、自分の思い込みを恥じた。氏が実に冷静
で広い視野を持っていることがわかった。
今日の日本では、この世界経済に適応した構造への改革が不可欠である。グ ローバル化の中で、今日の青年は何をすべきか?と真剣に悩んでいる。こんな青年 に、「グローバル化反対」「構造改革反対」と言って、時計の針を逆回りさせよ うとしても、青年は見向きもしないのは当たり前である。
マスコミに青年が騙されているのじゃなく、古い「左翼」が余りにも時 代遅れ で、知性が欠落しているに過ぎない。グローバルな世界で生きて行かなければなら ない、今日の青年は、古い「左翼」よりも、何倍も国際的であり、左翼的である。 いかなる時代においても、青年は自主的で 創造的であり、自由と民主主義を志向 し、官僚的な権威を忌み嫌う性向を持っている。(7/27投稿)
経済のグローバル化は、実は歴史的には別に新しいことでもないが、ともかく「全
世界的な規模で急速に進んでいる」ことは特筆すべきである。単純に言えば、ヒト、
モノ、カネが自由に行き来できるわけで、先進国では、外国人労働者の流入、企業の
海外移転が進む。
労働力の選別も進む。これは「国籍に関係なく、より優秀で、より安い賃金で働く
労働者に仕事をまわす」という、労働市場のボーダーレス化の必然である。当然「仕
事はできないが賃金は高い」という労働者から入れ替えが行われる。ここでは、労働
者内部で「能力差」による選別が進むことになる。具体例として、米国でのIT技術者
のリストラが挙げられる。
さらに、選別は企業単位でも行われる。企業の方は、経営者の能力や組織の柔軟
性、労働者の質・資金力など、相当に多くの要素があるわけだから、個々の企業を、
簡単に「生き残れるか否か」と判別するのは難しい。ただ言えるのは、日本ではメー
カーに勝ち組が多いが、早い時期から国際競争に参加していたからであろう。
ところで問題は、こういった流れにどう対応するか? である。百家繚乱氏も言う
ように、すでにグローバル化のなかで生きている若者に、グローバル化は問題です・
・・などと言っても始まらない。彼らが求めているのは「どうやって生きるか」とい
う切実な問いへの答えである。
海外で生きるという選択もある。農業をやってみるという選択もある。そういった
具体的な行動を手助けする党の組織が必要かもしれない。
また、共産党は「企業の社会的責任」という視点で大企業のリストラを批判してい
るが、あまり説得力はないであろう。むしろ、自分達自身が就職の苦労もなく、のん
びり生きてきた世代であることの「甘ちゃんぶり」を暴露しているだけである。もと
もと、一応大学を出ていれば就職できた時代しか知らない人、働かなくてもクビにな
らない人(公務員)、こういった人が、古い「左翼」あるいは「戦後サヨク」を育ん
でしまったのであろう(私の言う「戦後サヨク」の意味は、本来の左翼イデオロギー
とは関係ない、戦後という特殊な環境に偶然生じた政治勢力という意味)。
労働力の選別に関して、労働組合の果たせる役割はほとんどないであろう。日本で
は、組合は「企業内組織」制度のもとで、組織員の権利や利権をまもることが、事実
上すべてであった。一流優良企業では、優秀な従業員(組合員と管理職)を守ること
自体が、経営者にとって大きな意味を持つが、ダメ企業では、経営者・管理職・従業
員のすべてに「問題あり」というケースがほとんどであるから、その組織を守ること
自体が敗北につながる。リストラは阻止したが、会社は倒産ということもありうる。
とにかく難しい問題である。人材がいない会社は、手の打ちようがない。
今やアニメ・音楽などの分野でも、世界マーケットを前提に企画が作られる。感性
という部分でも、世界的標準化が実現している。税制も含めた法制度でも、各国は自
国の制度を「国際スタンダード」に近づける努力を余儀なくされている。この時代
に、憲法9条を議論することに大きな意味はない。救わなければならない相手がいれ
ば、救いに行くだけであろう。ただし、特定の国(米国)に奉仕するための軍隊な
ら、持つ意味はない。
マルクスなどの先人が遺してくれた遺産を勉強することは大切である。しかし現代
が、彼らが想像もしていなかった状況にある以上、訓古学の徒に働く場所はない。マ
ルクス主義も自由主義も、生産力の発展を善とする部分では同じであり、偉そうに言
えば、西欧の近代合理主義の申し子でしかない。もっと東洋の思想やイスラムの思想
などを見なおすべきだろう。
今は、生産の増大それ自体を問い直すべき時である。生産力の飛躍的な発展が「自
由の王国」をもたらすなどという幻想は、とっくに砕け散ったのだ。同じように、
「神の見えざる手」や「経済的・合理的主体」が最良の選択をもたらすという「嘘八
百」にも、みんなうんざりしている。
環境の汚染は「食の汚染」につながり、食の汚染は「人間の精神的崩壊」にも関連
すると見られるようになっている。また「奪われし未来」などで告発された人体への
影響、これらは人類の問題であり、民族や宗教は関係ない。資本が世界を舞台とする
なら、それに対抗する側も世界を舞台にするしかない。企業内組合で「ガンバロー」
では対抗できない。
敗戦を続ける共産党の幹部達は、戦争末期の日本軍にそっくりだ。現場を見るのが
怖いのであろう。憲法がどうの綱領がどうのと作文したり、労働ボスにお愛想する暇
があったら、お遍路のつもりで日本中を歩いてみたらどうか。大衆は行動する人間を
信頼するのであって、議論する人間を信頼するのではない。
残念ながら、この掲示板にも「総反動の時代・・・」などという「いかにもあの世
代だな!」という投稿も見受けられる。しかし、現在の政治状況を、「護憲か改憲
か」とか「消費税に賛成か反対か」あるいは「自衛隊に賛成か反対か」などという線
引きで見てもまったく無意味。にもかかわらず、それが絶対的であると言いつづける
古い「左翼」は、衆院選・参院選で連敗した。民衆は、はっきり引導を渡したのだ。
ここで、新しい「左翼」のキーワードは、「世界の大衆と手をつなげ」「農と食の
環境を守れ」でいかがなものか?