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「現状分析と対抗戦略」討論欄

草の根との連携と原水禁運動の分裂

2004/08/08 原 仙作

1、草の根に残る傷跡
 党創立記念講演では、不破議長(以下、敬称略)も志位も、おざなりな講演をしていることを前の投稿でふれたが、原水禁運動の時期でもあり、若干の指摘を付け加えておきたいと思う。
 不破も志位も草の根からの運動が必要だという。志位「わが党は国政の場でも、草の根でも、国民のみなさんと広くてをたずさえて・・全力をつくす」、不破「すべての人々のあいだで対話と交流の活動を広げ、新たな政治を起こす国民的な流れをきずく努力を尽くしたいと思っています。」というような具合である。
 こんなことは国民の党として、事改めていうのも本来恥ずかしいことであろうが、言わないよりはましであろう。だが、どのように取り組むのであろうか? 市田が全国機関支部長会議(8月4日)で発言したような「姿勢は低く」「聞き上手になる」などという表面的な対応では、まちがいなく失敗するであろう。
 指摘しておかなければならないことは、共産党がこれから相手にする草の根は未開拓の処女地ではないという問題である。戦後60年も活動してきて、共産党が大衆の中に残してきた活動の爪痕のことである。それが今も歴然として残っているという問題である。しかも、国民の最も良質の部分に残されてきた傷跡の問題だということである。代表的事例が原水禁運動である。

2、分裂の張本人は共産党である
 原水禁第9回大会(1963年)を最後に分裂するわけであるが、その分裂の原因は共産党にあったことは、もはや、歴史が確定した事実に属する。当時、争点となった「いかなる国の核実験にも反対する」という主張は、ソ連が崩壊した今日ではあたりまえのものとなっているが、共産党はこの主張について、米帝の核兵器も、防衛のためのソ連の核兵器も同列に扱うものとして反対し、第8回大会開催中の8月5日にソ連が行った核実験にたいし抗議することにさえ反対した。分裂は今日も続いており、分裂に心をいため、傷つき疲れ果てた多くの党員、平和活動家、国民がいることを不破や志位は思い起こすことがあるのだろうか? 
 共産党中央は今日に至っても何の自己批判も行っておらず、ほおかむりを決め込んでいる。まことに卑劣であるといわざるをえないのである。

3、上田耕一郎の逃げ口上
 当時、党の平和運動論を一手に手がけていた感のある上田耕一郎は、ソ連の核を防衛的性格どころか、「平和の防壁」(「マルクス主義と平和運動」226ページ、大月書店)とまで呼んでソ連の核兵器開発を擁護していたのである。その上田が今年の「経済」(新日本出版)1月号で鶴見俊輔との対談で言う言葉がつぎのものである。

「私たちの認識の中には、アメリカが核戦略の優位を維持しながら、脅迫と侵略の政策をくりひろげていた時期、アメリカ帝国主義がもつ侵略的な核兵器と、ソ連がもつ防衛的で余儀なくされた核兵器とは同列に扱うべきでないという考えがあったことは事実です。その後、ソ連の覇権主義がますますあらわになってから、それを防衛的なものとみることはできないと、はっきりさせました。同時に、この点について意見の違いがあっても、自分の意見を押しつけずに、政治的な立場にかかわらずに、核戦争阻止、核兵器禁止という一致点で統一した運動を進めようとした、この方針は筋が通っていたと思います。」(42~43ページ)

 書き写しているうちに腹が立ってくるが、上田の論理では、8月5日のソ連の核実験への抗議は意見の相違があるから、採決に取り上げないのが一致点での統一運動に大事なのだというわけである。不一致である双方のどちらに真実があったのかということにはほおかむりである。抗議に賛成することが正しかったのか、反対することが正しかったのか、この点について答えたまえ、上田君。「いかなる国の・・・」についても同様である。
 当時、ソ連は覇権国家ではないから反対したのは正しかったなんて断じて言わせない。新綱領ではソ連は社会主義国家じゃなかったと規定しているのだから。

4、謝罪と反省なしには草の根との連帯はできない
 上田にしろ、不破にしろ、飲酒禁止令の志位にしろ、一事が万事、この調子なのである。共産党が戦後60年にわたり、国民各層に与えた惨害を真摯に反省・謝罪することなしには、草の根との連帯などできないことを肝に銘ずるべきである。共産党の戦後の足跡は、今日では一部の好事家だけの知識ではないのである。インターネットが普及し、政治に関心を持ち始めた国民は簡単に共産党についての様々な情報を得ることができるのである。政治活動の土壌が根本的に変化してきているのである。
 共産党がそれなりに他の平和運動で貢献したことを認めないわけではないが、原水禁運動について言えば、分裂の原因を謝罪し、自ら進んで統一への呼びかけをする事が共産党中央の義務である。
 共産党が創立されて82年、すでにその4分の3は戦後の活動である。それだけの年月が経過するにかかわらず、国民の中にある反共産党意識が払拭できないのは反共風土の問題という以上に、今日では共産党の活動に原因があり、現在の苦境の原因となっているのである。

5、韓国の民主主義運動
 共産党の残した爪痕を理解するには今日の韓国と比較するのが一番である。韓国ではなぜ戦闘的な民主主義運動が発展しているのか?五十嵐仁のサイト「転成仁語」(7月27日)では次のように言っている。

<ところで、党大会といえば、韓国でも民主労働党の臨時党大会が開かれているようです。『しんぶん赤旗』の報道では、この民主労働党の大会に韓国労総の李委員長が出席し、「組合員の総意を問い、民主労働党とともに進んでいく」と演説して支持を表明したといいます。
 これは驚くべき出来事です。民主労働党というのは、韓国労総のライバル・ユニオンである民主労総が作った政党ですから……。
 韓国労総は政府との協調を重視し、民主労総から批判されてきました。その委員長が民主労働党大会に初めて出席し、しかも、支持を表明したというのですから……。

 李委員長は、「これまで韓国労総は指導部の一方的な決定で独自政党を推進してきたが、現場の組合員の考えと要求は民主労働党とともに歩むことだと確信している」と強調し、組合員の入党を推進する考えも明らかにしたそうです。
 6月に訪韓して民主労働党から話を聞き、「韓国労総の政策局長は民主労働党の党員です」といわれて驚きましたが、その後の事態はさらに先に進んでいるということになります。韓国労総内部の変化は、私などの想像以上だということになるでしょう。

 こうなると、以前このHPで書いた韓国労総と民主労総の合流もそれほど遠い将来のことではなくなってくるでしょう。民主労働党の支持率は20%を越え、ハンナラ党を上回って第2党になる勢いだとも伝えられています。  韓国の「民主革命」は着実にその歩みを進めているようです。しばらく韓国からは目を離せません。>

   韓国ではいさかいの原因になる、つまらぬ歴史的「因縁」がみられないようである。