1、2中総の中心点=倒錯した対策
8月26日から共産党は第2回中央委員会総会を開き、去る7月の参議院選挙の総括を行っている。その総会を伝える「赤旗」一面の大見出しは「『二大政党』との対比で日本共産党の議席の値打ちの押し出しを」というものである。このスローガンをみると、事物の弁証法とでもいうべきか、反省なき共産党中央の独善的議論がさらに強調されて打ち出されてきていることがわかる。このようなスローガンに基づいた運動を進めるようなことになれば、国民からの孤立はさらに深まることはまちがいない。
そればかりではない。党自体の足下をみれば、党組織の活動能力、一般党員の党中央への信頼感も確実に低下してきていることがみてとれる。にもかかわらず、党中央が党員すらまとめきれぬのに、国民に共産党の「議席の値打ち」を教えようとする、この倒錯ぶりは救いがたいと言わざるを得ないのである。
さらに、付け加えていえば、中央委員会議長の不破は国政選挙での連続する後退を「私は、これこそ、まさに階級闘争だということを、強調したい」(不破発言)などと言い、連続する後退を階級闘争一般に解消して敗北を合理化する居直りぶり(注)である。
中央委員会議長がこの有様では党の再生もむずかしく、一般党員の苦悩も増すばかりであろう。このようなスローガンを「日常不断に押し出してゆく」(不破発現)ことになれば、海外派兵の改憲論を葬る運動で、共産党が護憲陣営に結集しうる国民諸階層を離散させることすら心配される事態になってきた。
<(注)この人物は現実の困難に直面すると、その困難(歴史の現実)を正面から分析するのではなく、一般論に逃げ帰る性癖があり、その性癖が党の改革を困難にしている。党改革の一助として、微力ながら、この人物の人と理論的性癖(能力)を後日の投稿で明らかにしてみたい。素材は最近出版された『議会の多数を得ての革命』である。この新著は「赤旗」の宣伝では「独自の論考に仕上げた」とあるが、これは誇大宣伝で、その主要部分はほとんど一字一句旧著(「レーニンと資本論」)のままである。>
2、組織の実情は深刻だ
最初に、第23回党大会以後の組織活動の実情を志位委員長(以下、敬称略)報告から一瞥してみよう。
この1月に行われた第23回党大会決定の読了率25%、参議院選に取り組んだ党員率55.3%という数字が発表されている。党員の活動が低迷していること、党中央への党員の信頼度もかなり低下してきていることも明白である。大会決定とは今後3年間の活動の基本方針なのであるから、党大会から半年以上経っても読んでいない党員がいること自体がおかしいのである。25%という数字は党員の活動意欲の低下、および中央への信頼度低下の指標である。何と言っても、自分の意志で、社会変革の意欲を持って加入した党員で構成される組織なのであるから、この数字は異常な数字として、党中央は深刻にとらえなければならないはずである。
半年にわたる機関紙拡大活動はどのような成果を収めたであろうか? 昨年の総選挙比で、33%増の約60万部増という目標がどの程度達成されたかというと、日刊紙99.7%、日曜版102.8%ということであり、目標値の10%にすらとどいていない。日刊紙は逆に後退しているわけである。
参議院選にむけて提起した機関紙の33%増の目標は、志位の言葉によれば、過去の国政選挙の「最大の痛苦の教訓」「選挙戦の鉄則」であったにもかかわらず、見たとおりのミゼラブルな実績に終わった。このような実績について、一体誰に責任があるのか、だれが責任を負うべきなのか? 党中央が責任を負う様子はみられない。
それもよかろう。組織内部のことだからと、他人がとやかく言うことではないということで済ますこともできる。だが、この党中央は組織を活発に活動させることに失敗しており、また、無責任であるという事実は残るのである。そして、この事実は当然、選挙にあたって国民が一票を投じる際の考慮対象になる。
3、参議院選総括の具体的内容
以下、2中総における選挙総括をみてみよう。志位報告(「赤旗」8月27日)をわかりやすく「QアンドA」形式にすると次のようになる。
Q、 選挙政策はどうであったか?
A、 「わが党の政策的訴えをふりかえってみますと、その内容は全体として、情勢と国民の利益にかなったもの」であった。
Q、 じゃあ、なぜ敗北したか?
A、 「わが党の政策的訴えが国民の共感を得たにしても、2大政党キャンペーンのもとでは、それだけではわが党への1票・・・には直接的にはつながっていかなかった」
Q、 なぜ、2大政党キャンペーンがくるのがわかっていながら、それを打ち破れなかったのか?
A、 「問題は、こうした『共産党に力がない』という声にたいして、わが党は、それに正面から答える論戦を本格的におこなったとはいえなかった-ここにありました。」
Q、 では今後の選挙対策はどうなるか?
A、 「日本共産党の議席と得票がどういう意義をもつかということを選挙戦の中で意識的に提起し、本格的な論立てをもって、広く国民に訴える論戦に取り組んだとはいえませんでした。ここに政治論戦のうえでの最大の弱点がありました。」
Q、 今後の選挙対策は具体的にはどういうことになるか?
A、 1、共産党の議席は自公政治の実態を暴露する議席、2、2大政党の悪政に反対する議席、3、国民の要求を国政に反映させる議席、4、議会制民主主義を守る議席、5、世界と日本国民を結びつけ平和への願いをつなぐ議席、 6、民主的政権を切り開く議席、という6点を強調し「わが党の議席がもつかけがえのない役割をおしだす」ことだ。
つまり、共産党の議席が持つ「値打ち」・役割を国民に浸透させられなかったから、国民は2大政党にながれたのであり、したがって、今後の選挙戦では、国民にたいし「本格的な論立てをもって、広く国民に訴える論戦」に取り組むというわけである。6点にわたる「日本共産党の議席の値打ちの押しだし」ということが具体策だということになっているわけである。
4、これでは押し売り対策だ
どうも、この党中央はどこまでいっても押し売りが好きらしい。というより、自分の議論が押し売りの議論だということに気がついていない。しかも、その傾向は強まってさえいる。
「党の議席の値打ちの押し出し」という対策はずいぶんと問題の多いものであり、国民から総スカンを食うことまちがいなしである。
第1に、共産党の議席の「値打ち」を決めるのは共産党ではないということ、国民がその値打ちを選挙で決めるのだということがわかってない対策なのである。この党中央は国政選挙に戦後だけでも60年も参加しておりながら、この議会制民主主義の基本がわかっていないのである。国民が値打ちを決めることと、党中央が値打ちを決めて、その値打ちを国民に教えることとでは天地のちがいがある。比喩的に言えば、前者が日本の議会制民主主義で、後者は旧社会主義国の議会制であるとでも言えようか。
普通は、惨敗という「値打ち」を与えられれば、何が問題であったか、その欠点をさぐり、反省し、評価の悪かった点を是正して「値打ち」を高め、次の選挙で再び己を問うのである。ところが、この党中央は惨敗した時のままで何も是正せずに、その値打ちを改めて数え上げ、自己評価した「値打ち」を国民に教え込もうとしているわけである。これでは国民がつけた値打ちはまちがっており、党中央が改めて自己評価した値打ちが正しいから、国民は次回の選挙では評価を変えろと主張しているに等しい。党中央の反省、出直しを伴わない「値打ちの押し出し」は、国民によって三度も四度も否定された「値打ち」の押し売りである。
この「値打ち」の押し出し論には不可避的に独善性がつきまとっているということ、そういうわけで、このような対策を大規模に実施すれば、国民から総スカンを食うことはまちがいないのである。
5、幼稚な分析では争点を誤る
第2に、「党の議席の値打ち」を選挙戦での論戦に持ち出すと、論戦がかえって錯綜してわかりにくくなる。たとえば、消費税増税に賛成か反対かという論戦と、上記6点の一つ、共産党の議席が民主的政権を切り開くか否かという論戦を比較してみるといい。後者の論戦は党中央が考えているほど簡単に国民を説得できる問題ではないのである。選挙戦の要諦は争点を明確にすることという鉄則からすれば、「値打ち」論争をすることはつまずきの石でしかない。
だから、党の議席の値打ちを国民に訴えるにしても、それは政策論戦などと同じレベルではなく、党員が個々の有権者に時間をかけて訴えるという場面でのみ行われるべきである。ところが党中央はそれを2中総の総括の中心論点として、選挙対策の中心に押し上げるという誤りを犯しているのである。
上記の「QアンドA」をみると明らかなのだが、この対策は実に単純な状況分析から出てきているのである。なぜ票が民主党に流れたか? 党の議席の「値打ち」を訴える点が弱かったからだ。だから、国民は党の議席の貴重な役割を理解できず、票が民主党に流れたのだ。従って、2大政党キャンペーンに対抗する対策は「党の議席の値打ち」を押し出すことなのだ、というだけの子どもだましみたいな分析なのである。
おそろしく幼稚な分析と対策が、様々な角度から、その是非を検討された形跡はみられない。
6、無党派を敵にまわしかねない対策だ
第3に、最も重大なことは次の点である。党の議席の値打ちを「本格的な論立てをもって、広く国民に訴える論戦」ということが、自公や民主との論戦ではなく、国民との論戦になるということである。この「値打ち」論戦は国民の支持を争う通常の政党間の政策論戦とは根本的に性格を異にした選挙対策、論戦なのである。支持と理解を求める相手である国民に論戦を仕掛けるというのである。いやはや、この党中央は惨敗ですっかり血迷ってしまったらしい。いや、国民に論戦を挑むのではなく、その意義を訴え説得するのだと言っても、対策の本質は国民との論戦である。国民は先の参議院選で、共産党の「議席の値打ち」を含めて党の「値打ち」を否定的に評価したのであるから、共産党が旧態依然では、再び同じ評価をするだろう。
この論戦は現実には民主党へ1票を投じた広範な無党派との論戦になるのであり、彼らの説得に失敗し、共産党の独善性を印象づけるだけのものになることは必定である。つまり、彼らを敵に回してしまうことになりかねないのである。なぜかというと、民主党に投じられた無党派の1票は、例のキャンペーンに乗せられた無自覚な1票ではないからである。政権交代を求めている票なのである。この論戦で共産党は「現状では、自公政権の存続より、政権交代はベターな選択だ」という無党派層の議論を打ち破ることはできないのである。事実、ベターだからである。
だから、この広範な無党派層を説得するには別な方法で行わなければならないのである。別な方法とは、まず、民主党へ投票した広範な国民の願望を実現することに力を貸すこと(本サイトの「現状分析と対抗戦略」欄の「総選挙後の政治情勢の特徴と選挙戦術」を参照)、それとともに、共産党がその欠点を是正する大改革に取り組まなければならないのである。その大改革とは、本サイトの多くの投稿が指摘していることである。
7、国民を愚民視することになる対策だ
このような特徴(第1、2、3)を持つとんでもない対策がでてくるのは、己の欠点に目をふさぎ、共産党に票が来なかった原因を2大政党キャンペーンにのみ押しつけるという現実離れした幼稚な認識があるからである。
党中央は「党の議席の値打ち」を押し出す点が弱かったと反省しているが、こんな反省こそ御門違いもはなはだしい。唯一共産党だけが云々という共産党の主張を国民はよく知っているのであるから、その議席もかけがえがないと主張していることも十分知っているのである。
だから、「値打ちの押し出し」論は、現実の国民の代わりに、国民を無知なものとして、また、無自覚なものとして、教えられなければ正しく理解できない存在であるという架空の国民(フィクション!)を前提に置いているのである。結果的に国民を愚民視することになるのである。共産党中央はそのようなことはないと主張するであろうが、己の主張にいかに無自覚であったにしても、2中総で出された対策は国民を愚民視するという前提がなければ、成立しない議論なのである。古い言い方をすれば、前衛党が無知な大衆に教えるという外部注入論が無意識に適用されているのである。
4度も連続して国政選挙で敗北して来れば、普通は誰でも、自分のどこが悪かったのかと、考えるものなのであるが、この党中央は反省することがないものだから、敗北は外部要因のせいにされるか、内部に目を向けても、せいぜいのところ、選挙技術上の問題や宣伝方法にのみ還元されてしまうのである。その結果が意識すると否とにかかわらず、不可避的に国民の愚民視を前提とする外部注入論になっていくのである。
8、己の欠点を直視しなければさらに墓穴を掘る
さきの参議院選後、自民党の支持基盤が音を立てて崩れてきているということが多くの論者によって指摘されている。参議院選の得票をそのまま衆議院選にあてはめれば、民主党307、自民131という試算(東京新聞、7月13日)さえある。
そこまで、自民党は国民に批判されるようになってきた。このような投票行動をとる国民が政治的に無自覚であるはずがない。そのような政治状況の中で、自民党政治に根本的な批判をしてきた共産党に、基礎票を除いて、ほとんど票が流れてこなかった一因は、共産党に魅力がなかったからであり、この党には大きな欠点があると国民は考えているからである。この点を証明することはそれほど難しいことではない。すでに指摘したことであるが、党大会決定の読了率25%という事実を取り出してみるだけでもいい。今後3年間の運動方針の基本が書かれている文書が半年経っても25%の党員にしか読まれていないという現実は、この党中央が社会変革の意欲をもって入党してきた党員をだめにしているということである。この事実は端から見ていても胸を突かれる思いがするが、党中央には全党(みんな!)の反省点でしかない。
現在の政治状況のなかでは、大きな要因として、小泉政権の失敗、2大政党キャンペーン、自民に次ぐ議席を有する民主党、有権者の政治改革意欲の発現、共産党の欠点、これらの要因が組み合わさって、民主党を押し上げる流れができているのであって、共産党が総括で中心的に採り上げるべき要因は2大政党キャンペーンではなく、党の欠点でなければならないのである。おのれの主体的な取り組みで改革できる要因は党の欠点という要因だからである。党の欠点という要因を変えて、民主党に票が流れる政治状況(上記5要因のつくり出す票の流れの構造)を変える必要があるのである。
この総括の構成は、一時このサイトをにぎわした「ゆでガエル」論とまったく同じ構成になっている。2大政党キャンペーン(=悪の根源)-それに乗せられた無自覚な国民-正しい共産党 という図式的な把握が無自覚な国民に本格的な政治論戦を企てるという馬鹿げた対策を生み出させたのである。
このような対策が本格的に実行されれば、民主党批判が全面に出てくることになろうし、国民との論戦となり、すでに述べたように政策論戦の争点を無理やり不明確にしてしまい、共産票は伸びない。個々の党員は国民との論戦に追いまくられることになり、共産党の独善性を国民にますます印象づけ、ますます国民からの孤立を深めることになる。その結果は自公政権の延命に手を貸すだけに終わることは明らかである。
何度も言わざるを得ないのであるが、党中央の責任を回避するために、党の欠点を直視できないことが、倒錯した対策を生み出しているのである。誤った情勢認識、独善的「値打ち」論、国民を愚民視、自公政権の延命、党員の不活動化=自主性の喪失化など、国政選挙で敗北に敗北を重ね、さらに墓穴を掘る道を進みつつある。そればかりではない。最初に述べたことであるが、不破の言うように、この対策を「日常不断に押し出してゆく」ことになれば、憲法九条擁護派の結集に水を差す事態まで引き起こされかねないのである。