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「現状分析と対抗戦略」討論欄

市民的ネットワークと統一戦線の思想

2005/05/07 千坂史郎 50代

 以下の原稿は、「市民社会フォーラム」ホームページに寄せて投稿したもので ある。関西で健闘されている青年たちの学習研究運動を広く思想信条を超えて知って いただきたいこと、そこから教えられた多くのことを全国の心ある多くの皆さんに知っ ていただきたいと考え、千坂個人の考えでここの場に投稿したしだいである。

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1. 日本における統一戦線の歴史
 戦前においては、特に統一戦線と意識されて実現をみた形態は少ない。あえて言え ば、特高によって捏造された「人民戦線事件」があげられるが、実態は民衆の側が意 識的に結成したわけではない。権力のでっちあげである。私見によれば、戸坂潤が中 心となり結成された学術研究団体の唯物論研究会(最初の代表は長谷川如是閑)が、 戦前・戦時中の弾圧下における合法的抵抗の形態を模索した統一戦線の一つと考える。
 日本では、統一戦線を含めて、支配権力に対する抵抗は、政治の範疇ではなく、 『思想問題』として意図的恣意的に権力によってとりあげられ、破壊工作を容易に導 いてしまったという苦い過去の教訓がある。
 戦後になり、直後の2.1ゼネスト共闘会議、民主人民連盟や1960年の安保反 対の国民共闘会議などがあげられる。中でも60年安保反対の国民共闘会議を中心と する安保改定阻止反対運動は、歴史学テキストにも日本史上最大の国民的規模におけ る一大闘争として位置づけられている。その後の1960年代後半から70年代前半 にかけての革新メガロポリス・太平洋ベルト地帯を誕生させた革新統一共闘も、つい には国政レベルの統一戦線結成にまでは至らなかったとはいえ、重要な自治体革新の 統一戦線運動であった。
 その後、1970年代後半からの「企業社会の論理」によって支配層からの逆襲が 続いて、民衆闘争は低迷の時代を迎える。ソ連邦と国際共産主義運動の敗北による冷 戦終結という事態は、21世紀になって、アメリカン・グローバリズムの一国専制支 配による世界の暴力的覇権統治という新たな危機的国際情勢を迎えるに至る。日本で は、憲法9条を擁護するいくつかの市民運動が全国的に巻き起こり、特に憲法9条の 会は、広く国民的規模で民衆の共感を集めて、2005年現在、全国各地にその支部 組織とでも呼べる運動の広がりを見せている。
2. 市民的ネットワークの可能性と統一戦線の模索
 資本主義的生産様式は、一方では資本の蓄積を進めると同時に、他方ではそれを止 揚するための諸条件を準備させていく。科学=技術革命は、支配階級の専制的支配の ために民衆を抑圧する新たな生産力を次々に生み出すけれども、同時に民衆が自らを 解放させるための手段をも潜在的に用意する。
 インターネットは、当初は軍事的目的や一部テクノクラートの民衆支配などを契機 として始まった。けれども今では、世界的規模で民衆のコミュニケーションとして重 要な意義を持ち始めた。思えば、カール・マルクスが初期論考において「交通」概念 を独自の論理展開で示したが、「世界的交通」概念とインターネット・コミュニケー ションとは符合するものとは言えまいか。
 アジアでも、韓国や中国などでのインターネットの利用は驚くべき可能性を示した。 中国の市場的社会主義という経済的試みは、アメリカのIBM社などを上回るパソコ ン開発と世界市場での進展を見せている。
 日本でも、インターネットはさまざまな展開を見せてきた。「2ちゃんねる」の流 行は社会現象にまでなった。ソフトバンク社のヤフージャパン、楽天、ライブドア社 など関連企業も驚異的収益をあげている。それに伴い、インターネットを利用した民 衆側のネットワーク運動も活発になってきた。
 研究者では加藤哲郎氏のホームページが早くから注目されていた。民衆サイドでも 世間の関心を集めている。日本共産党内での異論、少数意見を尊重しようという「さ ざ波通信」、党内外の政治的議論を組織化して2003年3月まで続いた「JCPウ オッチ!」、市民運動を紹介している「オープンジャパン」。平和運動、反戦運動を 取り上げ、市民レベルでの行動を呼びかけているいくつものサイトが増えてきた。
 そんな中でも、関西でのインターネットによる民衆運動に私は注目してきた。ひと つは、2002年に行われた京都府知事選挙以来の自治体選挙運動におけるインター ネットの利用である。森川明氏を候補者とした革新陣営は、「京都勝手連」が応援の 掲示板をも立ち上げて無党派層を結集して、選挙運動と連動した。さらに2004年 の京都市長選。元京都府立大総長で龍谷大学教授の広原盛明さんが中心となった「市 民の会」は、京都のまちづくりを普段から議論し研究しあう運動を持続していた。広 く京都市民に候補者を募り、市長選を民主主義の活性化として取組んでいた。最終的 には広原さん本人が候補に推された。それは事前運動ではなく、市民運動の結果であっ た。広くインターネット上での応援サイトが立ち上げられた。現実的に広原候補支援 のネットワークとして活発に推進されていく。選挙では惜敗するが、最も活発にネッ ト支援が展開された京都市内の区では広原氏が圧倒的にトップを占めた。注目すべき は選挙後の動きである。広原氏は「市民派選挙運動の総括」をまとめあげるとともに、 それ以降も京都のまちづくりを進めている。掲示板でも広く民衆の意見を吸収すると ともに、自らの公開日記によって啓蒙もはかっている。
 京都の動きと併行して、神戸では20歳代、30歳代の青年たちが「市民社会フォー ラム」を立ち上げている。それは構想力において実際の市民運動としても、画期的で ある。詳細はリーダーの岡林信一氏の論稿に譲るけれども、学問的研究に焦点を絞り 込み、幅広く思想信条や政治的見解、立場の相違を超えて広範で良識ある多くの民衆 を若い世代を主にして働きかけている点に注目に値するものがある。
3. 統一戦線への展望
 統一戦線とは、それほど容易に樹立されるものではない。厳しい政治的体験と、錯 綜する生きた現実の時空の流動的要素に対して、複雑な状況判断と連帯への方向性と 発展のためゆえの原則的見地を要求される。
 庶民サイドのインターネット運動でも、そこには四分五裂を画策する水面下の策謀 やハイテクを駆使した陰謀も、実際にはあるし想定もできることである。いま「統一 戦線への展望」と題したが、空理空論を述べても意味は薄いし、実態にみあった範囲 にとどめておく。その際に「市民社会フォーラムの実験」には大いに学ぶべき要素が ある。安直に政治的党派性にこだわらず、広範な市民を結集できる組織論をもってい る。
 それは政治的実践を否定しているという意味ではない。むしろ、政治的実践をも見 渡す上で、学習的研究的なまなびの集いであろうとする自覚があることである。その ことは、最初から見ず知らずの相手を政治的立場で裁断しがちな日本的左翼の島国根 性とは離れた大陸的広さがある。私が思い出すのは、戦前の唯物論哲学者戸坂潤であ る。政治警察が鵜の目鷹の目で餌食を狙っている時に、戸坂らはあくまで合法的学術 研究団体としての原則性を貫いていった。一部の教条主義左翼からは批判を浴びたが、 戸坂は堂々と自主性に富んだ哲学を構築していった。経済学の野呂栄太郎、文学の小 林多喜二らとともに世界に通用する創造的な民主主義的、マルクス主義的文化を豊か に築き上げた。
 統一戦線運動をめざす過程で市民的ネットは、当面以下の諸点に留意すべきであろ う。

?高度の情報が飛び交う区間で、国家権力にコントロールされた官許情報の波に抗し て、どれだけ真実と事実に合致した情報を共有できるか。
?行動の事実の結果として「立場性=党派性」が問われる。けれども、情報や意見交 換の段階では広範で〈互いに〉開かれた相互の交流をおこなう態度と受容とが大切で ある。
?難解な抽象論の応酬だけでなく、余暇としてのレジャーなどを考慮して、ネットワー クが娯楽や息抜き、安息と信頼の心地よい〈場=トポス〉となっているかどうかであ る。まだインターネットなど皆無の段階でも、戦前の唯物論研究会はハイキングさえ 計画しておこなっている。
 言いたいことは、そのような「遊び」や「たわみ」をもたない組織は硬直していく だろうということだ。

[結論に代えて]
 市民的インターネット・ネットワークと徒一戦線運動の間にはいくつもの媒介物や 別の次元に属する事柄が存在するだろう。けれど、民衆サイドのインターネットは、 政治的な行動の統一と協同を模索して今までにない新たな統一戦線の形態を現実のも のとする上で重要な手がかりを帯びている。それに至るまでには、個人情報保護法や 盗聴法など、支配層は民衆側の新たな政治的表現と行動の可能性を押しつぶす危険な 介入を行使するかもしれないことは、あらかじめ想定しておいたほうがよいだろう。
 以上、「統一戦線の組織化の過程」論というよりは、「統一戦線の認識の拡充の過 程」論として提起したしだいである。統一戦線運動は、インターネット情報の交換や 討議だけで尽くせるものではない。にもかかわらず、統一戦線における認識論を深め る上で、インターネットをも含みこむ市民的ネットワークには、新たな可能性が豊か にこめられている。

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