2005年6月4日。新宿牛込箪笥区民ホールに何度もアンコールの拍手が鳴
りやまなかった。
この平和のためのコンサートは、予研=感染研裁判支援コンサートとして始まり、
昨年から「平和のためのコンサート」として装いも新たにした。
東京都新宿区戸山という人口密集地に、国内最大の病原体実験施設が建っている。
日常的な排気や排水、あるいは地震や火災などの事故によって周辺に細菌やウイルス
が漏れ出す危険性があるとして周辺住民・早稲田大学教職員が実験差止めを求めて裁
判を闘ってきた。
1989年以来実に16年もの長きに渡って裁判が続けられてきたが、先ごろ最高
裁で棄却決定がなされ、実験差止めは認められなかった。しかしながら、この間「バ
イオハザード」という言葉は広く知られ、裁判所も「潜在的な危険性」を認めざるを
得なかった。
国立感染症研究所(旧・国立予防衛生研究所)が新宿区戸山の住宅密集地に品川区
から突然移転を表明してから住民でもあった哲学者・社会科学者の芝田進午さんは原
告団団長となり、裁判所に実験差止めの民事訴訟をおこした。第一審の判決直前に悲
報が届いた。第一線で闘い続けた芝田氏が、胆管ガンで逝去された。
芝田氏は、核廃絶運動に学問的研究の新たな開拓に取組んでいた。その運動にも匹
敵するほどの重大な問題に遭遇して、新たな社会的実践の渦中に入っていった。国立
予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の住宅密集地への移転強行に対する差し止
め裁判闘争である。
日本の戦後体制を裏で支えたアメリカ占領軍に細菌兵器の研究を秘密裏に売り渡し
た石井七三一細菌部隊。その石井部隊に関与した医学者が、幹部を占めて国立予防衛
生研究所は設立された。さらに、歴代の幹部となっていった。
予研移転強行に対する差し止め裁判闘争は、現代的生化学公害に対する反公害闘争
であった。この運動は、やがて公害闘争にとどまらない。戦後史の暗部で繰り広げら
れたアメリカ占領軍と日本支配層との極秘で反国民的なやりとりと、その後の公衆医
療衛生の犯罪性を、裁判過程とそれに関わる大衆闘争とによって、白日のもとにあか
らさまにしていった。
最初この闘争は、日照権をはじめ環境問題から始まった。しかし、闘争の継続が重
大な矛盾を明らかにしていった。歴史的には、戦争犯罪としての石井731部隊との
濃厚な関わりである。森村誠一氏らの労作による石井部隊の告発は『悪魔の飽食』シ
リーズの書物によって広くなされていった。森村誠一氏は、平和のためのコンサート
の前半でも「民主義と文化」の演題で講演をなされた。
石井部隊の研究情報を暗闇で手に入れたアメリカ軍は、生化学兵器によって、朝鮮
戦争やベトナム戦争で重大な非人道的犯罪をおこなった。歴史的な位置付けでも、旧・
予研が位置付けられた役割は、多くの問題を担っている。
しかし問題はさらに深かった。現代の先端をいく生化学や医学などの科学研究は、
遺伝子組み替え実験やクローン生物の製造実験、脳死に基づく臓器移植実験ととどま
るところを知らない。それらの研究がこれからの人類にとって必要な研究であるなら
ばそれだけ、徹底した研究の自主・民主・公開と安全性の科学を踏まえた周到な民衆
への周知徹底とが成されねばなるまい。
さらには、科学と倫理との高次の展開や科学者の社会的責任の自覚並びに、研究団
体における人権と民主主義の浸透が徹底して保障されねばなるまい。民衆の預かり知
らないところで、次々に学問的業績競争と研究先端の到達争いや利権・軍事・権力と
の癒着は可能な限り、避ける努力が成されねばならない。巨大な研究の成果が、あま
りに人類にとって重大な危険を及ぼすからである。
しかるに、権力に癒着した体制に奉仕する科学者の一部には、社会的責任や社会意
識の欠落した対応ばかりか、安全の担保となる報告書を捏造するという信じられない
行為さえも行われた。
現在において、このような最先端の支配体制の側に与す科学研究と、民衆の側にお
いて闘争することは、あの明治時代に天皇制国家権力に虚空に徒手をかざすかの如く、
闘い続けた国会議員田中正造の孤立無援な闘争と比しても、匹敵するに充分にあまり
ある。
思えば、田中正造の闘争を農芸化学者として側面から支援した東京帝国大学の教授
だった古在由直氏こそ生前に芝田進午氏とともにセミナーを主宰した古在由重氏のご
尊父だった。古在・芝田セミナーは今はないが、芝田氏の闘争は、田中正造の闘争を
「平成」という元号の現代に文字通り継承する闘争といって過ぎることはない。
私は、2000年の1月15日に裁判の会の新年会に初めて出席した日、芝田氏にお
会いしたくて中座して、お宅をそれこそノーモア・ヒロシマ・コンサートで拝見して
から10年以上の歳月をはさんで、訪問した。氏は、周囲に多くの資料を用意して、パ
ソコンを操作しながら、3日後に控えた東京地裁での原告側最終陳述証言に向けて執
筆されていた。ご逝去されるほぼ1年前のことである。
そのお姿を拝見して、病と闘いながら、人生最大の闘争に沈着冷静で落ち着いた取
り組みをされている芝田氏から、啓示にも似た感銘を受けた。バイオハザート(生物
災害)に対抗して、国家権力とその背後にいる史上最強のアメリカ帝国主義に対して、
国家が設定した裁判所法廷において徹底的な理性の論戦を挑み続ける芝田進午氏と彼
を応援する多くの人々に、現代日本の理性を発見した想いがする。
芝田氏なきあと、東京高裁、最高裁へと、「予研=感染研裁判の会」は上告し、裁
判闘争を持続してきた。「予研=感染研裁判を支援する会」、「新井秀雄さんを支え
る会」「バイオハザード予防市民センター」が、共闘してきた。これらの団体は平和
のためのコンサートの共催団体となっていた。新井秀雄さんは、予研=感染研の職員
で研究者として敬虔なクリスチャンであった。芝田氏の提起に呼応して、感染研の内
部から問題点を告発した。そのために陰湿な攻撃や差別を受け続けて、ついには理不
尽な処分を受けた。
最高裁が下した判決は地裁、高裁で争われたことさえ触れないきわめて乱暴な門前 払いのものだった。芝田進午氏亡き後に、研究者の本庄重男さん、武藤徹会長、鈴木 武仁副会長など集団的体制でここまで健闘されてこられた。感染研の会は6月17日 に総会を開催して、今後の闘争を展望しあうと聞く。
平和のためのコンサートは、声楽家の芝田夫人などの合唱団のコーラス、ヴァイオ
リンの独奏、ピアノ連弾、中国琵琶の演奏が熱い演奏で拍手が高鳴り、最後のシング
アウト「哀しみのソレアード」によって感動的な3時間のコンサートの幕を閉じた。
さらに、原告団の弁護士でもある島田修一氏による憲法9条がかろうじて自衛隊が
戦後60年間、ひとを殺すことをガードしつづけてきたことの重みを話した。俳優の
河原田ヤスケ氏の憲法の朗読と会津弁による表現も会場を沸かせた。
また前半に講演された作家の森村誠一氏は、「民主主義と文化」について与えられ
た45分の時間の中で、民主主義は政治の透明性と合議制を基本としているので、秘
密作戦や独断専行をもっぱらとする戦争とは相容れないことを強調した。憲法が時代
に合わないから変えるべきという論調の横行する昨今、「戦争ができないシステム」
が国内に60年間続いた重みを述べた。さらに、9条のなしくずし的改悪は、文化の
破壊へとつながっており、日本人の精神的拠点の破壊に連動する危険性を指摘された。