この投稿欄では、予想通り、まさに空語的・抽象的な「無差別テロ免罪論」が数多く見られることがとても残念です。
なぜ左翼の人々がこのような「免罪論」の罠にはまるのか、徹底的に追究する必要があります。
テロリズムの土俵に(「支配者」のイデオロギーと同質であるのに)なぜ左翼がのってしまうのか、未整理のままではありますが、いくつかの点を述べさせていただきます。
まず、ここでいう「無差別テロ免罪論」は、他の人権侵害なり国家テロを持ち出して、事実上それを免罪することによって、まさにその国家テロ等の免罪に通底していく、思想的退行に陥ることを特徴としていると思うのす。
ロンドンで起きた無差別テロ(そしてイタリアや日本で起こるであろう無差別テロ)を「レジスタンス」と規定する幼児病につき合うつもりはありませんが(散々、かつてこのサイトで論じたので)、一つだけ指摘しておくと、抑圧・支配関係において、非抑圧者・被支配者が当の抑圧者・被支配者に対して暴力闘争を含めて抵抗する実践を一般に「レジスタンス」とされていますね。
さて、アフガニスタンやイラクでの英米による国家テロとも言うべき、侵略とその中で行われてきた無差別攻撃の人権侵害行為を、正当にも批判する良識ある人々の中にあって、なぜ一部の観念左翼は無差別テロという同様の人権侵害行為を免罪しようとしてしまうのでしょうか。
第1に、左翼の知的伝統が枯渇している状況のもとで、社会関係的分析をほとんど行えないということがあるでしょう。つまり、単純な善玉・悪玉論、二項対立視点にたって、反米(国政府)=正義というような単純化が行われているということです。たとえば、イラクで一般のシーア派市民を標的にした無差別テロがあっても、それを何となく米占領軍なりイラク政府への抵抗闘争と見てしまうわけです。それに、先進国に生活する民衆は、帝国主義支配体制を支えている以上、その生命を奪われても文句は言えない、という観念的選別思想(現実の自分の生活関係を棚に上げて)で単純化を粉飾します。
第2に、彼・彼女らは生死を軽量化さえします。また、多少の犠牲は仕方ないとも言います。たとえば、イラクやアフガニスタンでの民衆の犠牲者に比べれば、9/11やロンドンテロの犠牲者などたかがしれてる、ガタガタ言うな!というわけです。(時には、最悪スターリニストのキム親子の国家テロも、日帝による朝鮮人民への人権侵害に比べればどうってことないよ、とも言い放ったりもする)
この思想は、まさにベトナム解放民族戦線兵士の犠牲を軽量化した、当時の米国支配層の思想と同質です。あるいは、対テロのためなら、無辜の市民を警察が射殺することもやむをえないと嘯く治安当局権力者の思想とつながっています。
どの生命も等しく個人の尊厳を担う、けっして奪われてはならない生命だという人権思想を踏みにじる点で、まさに米英侵略者・支配者の思想に、テロ免罪論は感染しているといえるでしょう。
第3に、テロ免罪論は、無自覚なエリート主義に立っています。
世界中どこでも、日々の生活の中で懸命に生きている「庶民」=民衆にとって、生を一瞬に奪う無差別テロの暴力的不当性は自明です。それは、生活者としての私たちの、感覚的な倫理性に背反します。
だから、世界中で無差別テロに対して非難の声があがっているのです。米英政府当局による蛮行や、少数民族への差別に苦しむ人々も、たとえばロンドンのムスリムの圧倒的多数も、(テロリストの怒りはわかるにしても)テロを非難しているのです。
ところが、左翼エリートは、こうした民衆の素朴ともいえる声を、メディアに洗脳されたものであるかのように、逆転をさせます。たしかにマスメディアには情報操作が横行していますが、テロの背景をきちんと見ることを指摘しているメディアは世界的に少なくありません。
問題はここからです。
さて、労働者の解放のために命を賭して戦った革命家スターリンが、なぜナチス指導者と思想・行為において同質の全体主義を完成させた独裁者になったのでしょうか。
先にあげた3点は、すべてスターリニスト全体主義者の思想そのものです。第1に、社会科学や理論闘争を軽視・弾圧する下での、基底還元主義や敵・味方論にみられる単純二項対立、第2に手段を目的によって合理化する政治主義や、人命を計量化して軽視する軍事=暴力の絶対化、第3に、素朴唯物論的な認識論に基づいて自分たちの思想を民衆や一般党員や反対派指導者よりも絶対的に正しいとする前衛党論(そこから生まれる民主集中制)。
こうした思考様式に立脚しているからこそ、一部左翼は無差別テロを免罪して、民衆の意識と乖離することを誇るような、議論に陥っていくのだと思います。
いくら口で反スタを叫ぼうとも、実はテロリズムや暴力革命を肯定する人々は、人権思想を嘲笑するスターリニズム思想に立脚しているのだと私は思います。そして、それは全体主義思想なのですが、「左翼」が超少数派に転落している日本の中で、実は、同質の「右翼」や「ナショナリスト」が急成長しています。
「右翼」や「ナショナリスト」と、無差別テロを免罪したり無内容な暴力革命を呼号する人々は、一見正反対にいるように見えますが、単純な敵・味方論(たとえば「日本対韓国・中国」など)をはじめとして、思考様式や思想の根は、実は非常に似ているということも、ずっと以前に述べたとおりです。