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「現状分析と対抗戦略」討論欄

日本共産党のとる全小選挙区立候補戦術の誤り

2005/08/27 原 仙作

 いよいよ歴史的な総選挙が始まるが、小泉自民党政権を敗北させるカギを握っているのが共産票の動向である。小泉政権を敗北させ自民党を下野させること、これが今回の総選挙で実現すべき政治目標であると私は考えている。共産党中央は馬鹿げた全小選挙区立候補戦術を採り続けて小泉政権の延命を助けることをやめなければならない。以下、全小選挙区立候補戦術の誤りを指摘し、その害悪が将来に及ぶことを明らかにする。なお、個人名の敬称は略す。

(1)小泉・郵政民営化法案否決の教訓
 この法案はとりあえず否決されたのであるが、その否決にあたって、事実の上では、自民党内の反対派と全野党の共闘があったわけである。この否決という事態には共産党が深くくみ取るべき教訓がある。初歩的な議論で恐縮だが、ひとつには否決という結果を得るためには必ずしも政党間共闘の意思統一が必要ではないという政治力学のことである。小泉・郵政民営化法案に反対ならば、どんな政治路線の信奉者であれ、反対票としては合流し一つの政治的結果を生み出すのである。
 二つめは、少し褒めすぎになるが、わずかに9議席の共産党でも、参議院の大多数を占める本来の賛成派(民主党も民営化賛成である)を打ち破ることができるということである。なぜ、このような否決が可能になったのかといえば、共産党好みの言葉で言えば、支配階級内部の矛盾を利用する結果になったからである。自民党内の造反派は本来の反対論から権力闘争への利用、私怨までを含み、また、本来の民営化賛成論者・民主党は政権奪取の対立点として「政治的」反対論の立場に立ったからである。 

(2)共産党による社民党と民主党との選挙協力批判の誤り
 政治が変革期に入れば、思考と戦術は最大限の柔軟性を必要とすると、レーニンは口を酸っぱくして何度も何度も西ヨーロッパの左派に教えているのであるが、日本共産党中央は少しも学んでいない。一例をあげよう。
 8月24日の「赤旗」2面に民主党と選挙協力を結んだ社民党を批判する記事が載っている。見出しは「『改憲』民主と選挙協力」とある。憲法擁護の社民党が改憲勢力の民主党と選挙協力するとは何事だという批判なのだが、「赤旗」編集部の頭も次のような公式で凝り固まっているわけである。選挙協力するためには政策協定が必要であり、基本政策が違えば政策協定を結ぶことができず、選挙協力はありえない。したがって、この選挙協力は邪道であり、党利党略であるというわけである。頭の固いこと、おびただしい。
 基本政策が違えば選挙協力すらできないのなら、基本政策が違っていても連合政権を呼びかけた不破の「安保凍結の連合政権」論(1998年)などはどうなるのか、聞いてみたいものである。
 固い頭を柔軟にするために、仮定の例をあげて考えてみよう。仮に極右勢力が伸張し政権を襲おうとしている政治情勢を考えてみよう。この場合、極右勢力が議会で多数派になることを阻止するために、基本政策の違う自民党と共産党が選挙協力をすることは是か非か? 是であるとすれば、基本政策の違いはどう処理するのであろうか? それは基本政策の違いを棚に上げて、当面の一致点(極右勢力の政権獲得阻止)を重視して、当面の一致点に最大の「政治的価値」を認め相互に選挙協力するということになる。
 あるいは、自民党と選挙協力をしない方が極右勢力の政権獲得を阻止できる場合もある。例えば、自民党の腐敗が激しく国民に見放されており、また極右勢力の伸張が自民党の腐敗を温床と生まれ、その一方で、共産党が急進し政権を襲うまでに成長を遂げている場合である。この場合は自民党とは提携せず、小政党であっても他の反極右勢力とだけ選挙協力を結ぶことになる。もちろん、基本政策の違いなど問うところではない。
 要するに、選挙協力一つをとってみても、政治情勢と我彼の戦力如何で、無数の対応があり得るのである。基本政策が違えば選挙協力などありえないなどというのは、共産党の勝手な政治信条にすぎない。
 レーニンは「政治は科学であり、技倆であ」ると述べたことがあるが、教条的でセクト的な西ヨーロッパの左派にその意味を次のように解説している。

「科学は、第1に、他国の経験を考慮に入れることを要求する。・・・第2に、科学は、その国のなかで行動している勢力、グループ、党、階級、大衆のすべて(「すべて」に傍点あり-引用者・注)を考慮に入れること、けっしてただ一つのグループまたは党の希望と見解、たたかおうとする意識と覚悟との程度だけをもとにして政策を決めないことを要求する。」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」全集31巻68ページ)

 日本共産党の行状を横目で見ながら、この文章を読むと、その含蓄の深さに驚歎するのであるが、政策や戦術は「すべて」を、すなわち、政治情勢全体と我彼の戦力を考慮に入れて決定しなければならないのであって、いつでもどこでも馬鹿の一つ覚えのように適用できる政策・戦術などはないのである。基本政策が違えば選挙協力はありえないという共産党の見解は、レーニンの言う「ただ一つのグループまたは党の希望と見解」にすぎないのである。
 現政治情勢における最大の政治目標は小泉・自民党政権の転覆であり、その政治目標に照らせば社民党と民主党の選挙協力は正しい政策である。ここに邪道や党利党略を持ち出しても御門違いなのである。党利党略であれ、それが現情勢の最大の政治目標の実現に資するなら肯定されるべきなのであって、ここで非難されなければならないのは最大の政治目標の実現を阻害する党利党略であり、共産党の場合で言えば、全小選挙区立候補戦術なのである。

(3)小泉・郵政民営化法案を葬る選挙戦術
 さて、小泉「自爆」解散は、党内の反対論者を一掃し、自民党を中央集権的政党に変え、特別国会で民営化法案の成立をめざしている。郵政民営化のねらいは国民の「虎の子」340兆円を日米金融資本の食い物にするところにあるのだが、共産党が真剣に民営化法案を葬ろうとするなら、小泉自民党を敗北させ下野させなければならないわけである。もちろん、共産党が躍進し、50議席とはいわず、30議席でも自民党から議席をもぎとることが可能だと考えることは非現実的である。
 現実を見れば、小泉・自民党を下野へと追いやる力をもっており、かつ、小泉・郵政民営化に反対するという条件を持つ政党は民主党である。したがって、共産党の採るべき戦術は、参議院で否決したように、選挙でも民主党を利用することなのである。政治力学のうえでは、少数政党でも作戦如何では大政党を利用することができる。民主党を政権に就ければ、小泉・民営化は挫折し、共産党の民営化反対論は実現するわけである。
 共産党は自民でも民主でも政治は変わらないというが、郵政民営化法案の帰趨を見る限りでは大違いである。共産党の弱点と言われる「実績がない」という点も、敵の弱点を突けば、大いに実績をあげられるのであるが、「変わらない、変わらない」の大局観(私にいわせれば、どんぶり勘定か、殿様商法ということになる)では、みすみすチャンスを逸していることになるのである。一般的に言えば、ひとつひとつの実績を積み上げないで、どうして国民の支持を得られようか、ということなのである。
 こうした、ひとつひとつの実績を積み上げる創意・工夫(戦術!)を行わないで、「党の議席の値打ち」(3中総)を国民に教え込もうとしても、公明党ではないが「そうはイカンザキ」ということになる。

(4)改憲問題と共産党の選挙戦術
 改憲問題に話を移すと、改憲策動を進める国内の主要な震源地は自民党である。それゆえ、小泉を政権の座から引きずりおろし、自民党を下野させることは改憲策動に一定の打撃を与えることは明らかなのである。民主党も改憲派であるという理由で、この打撃を無視することは誤りである。ノックアウト・パンチを繰り出す地力がない現状では、あらゆる機会を利用し、敵内部の抗争、矛盾を利用して敵の目算を狂わせ、小さな打撃でもそれを積み上げ、時間を稼ぎ、地力をつける戦術が必要なのである。改憲策動と戦ううえで時間を稼ぐということは、とりわけ重要なことである。敵はマスコミを総動員できるが、我々は「口コミ」で戦う以外ないのであり、平和憲法の理を浸透させるには時間がかかるからである。

(5)不破の議論の特徴と全小選挙区立候補戦術の誤り
 8月22日の「赤旗」には総選挙全国決起集会での不破報告が掲載されている。不破によれば、現政治情勢の根本にあるのは変人・小泉を持ってしても挽回できない「自民党政治の総決算的危機」であるという。そのうえ、小泉という人物は「「大企業応援型という自民党政治の害悪を、一番深く身につけている政治家」であるともいう。その小泉が総選挙をテコにして、党内の反対派を一掃し、独裁的な自民党支配を実現し、郵政民営化に突進しているときに、第1に考えるべきことは、小泉自民党を敗北させて下野に追い込み、この人物を首相の座から引きずりおろし、小泉・民営化法案を粉砕し、改憲策動にも打撃を与えることであって、共産党の議席を伸ばすことではない。共産党の議席を伸ばすことは大事であっても二義的なものであるはずである。この1点に照らしてみても、全小選挙区立候補戦術の誤りは明らかなのである。
 ところが、不破は現政治情勢における最大の政治課題は小泉政権を敗北させることではないというのである。不破報告は自民党政治の悪政と総決算的危機を述べ、民主党ではそれを打開できず、だから「日本共産党がこの総選挙でどれだけ前進するか、ここに日本の政治の未来がかかっている」という。不破の議論はいつもこういう具合である。共産党員の皆さんは党首のこの議論をよく見てほしい。不破報告を熟読し、議論の構成を点検してほしい。
 不破によれば現在の政治情勢における最大の政治課題・争点は「日本の政治の未来」なのであって、小泉政権打倒ではないのである。しかし、政治に関心がある者なら、誰にでもわかることだが、焦点は小泉政権の帰趨であり、政治革新を求める無党派層にとっては小泉政権の打倒である。不破の言う「日本の政治の未来」などという抽象物では決してない。不破が口当たりのいいフレーズで述べていることは、政治の現状を直視していないばかりか、現在の政治の争点、獲得すべき政治目標を見誤っているのである。
 政治情勢が日程にのせているのは自民党政権の転覆である。昨年の参議院選は民主党を比例区第1党にして、そのことを示したのである。
 不破報告は小泉自民党政権の悪政について広範な指摘をしておきながら、小泉政権を打倒する必要性を述べず、一挙に「日本の政治の未来」へと飛躍していく。小泉政権が歴代自民党政権の中で最悪の政権であると言いながら、不破報告の中では小泉政権を打倒する必要性がただの一言も語られていない。これは全小選挙区立候補戦術の政治的役割(自公政権の支柱)とあいまって非常に重要な問題である。党員の皆さんは是非とも小泉政権打倒という政治目標を掲げない理由を党中央に問いただしていただきた。

(6)未来から現在を眺めては戦術を誤る
 不破が政治の争点を見誤っていることは明らかなのだが、しかし、それにしても「日本の政治の未来」とは!
 これは笑い話では済まされないのである。このような情勢認識が全小選挙区立候補戦術という、現状では反動的役割しか果たさない選挙戦術の基礎になっているからである。
 どうしてこんな情勢認識になるのかは、前回の投稿「2005年の都議選と・・(下)」(現状分析欄)の「注10」で検討したのであるが、不破報告の議論に引き寄せて再検討してみよう。
 不破のように、「日本の政治の未来」から現在を眺めれば、小泉政権も十数代続いた歴代自民党政権の一つにすぎず、共産党が粉砕するかどうかに関わりなく、様々な事の成り行きで交代していく一政権にすぎない。すなわち、望遠鏡で遠景をみるがごとく、小泉政権を小泉政権たらしめる個別的な特徴とその政権が立脚する政治情勢の特徴が捨象されてしまうか、採るに足りない些細なものに見えてしまうのである。自民と民主の争いも些事に見えるのである。
 小泉は十数代続いた歴代自民政権の「木偶人形」の一つであり、それだから、小泉打倒の秘策を練るなどという必要もないことになる。不破にとっては小泉政権転覆など眼中にないし、眼中にないような政治情勢把握なのであって、その情勢把握は我々が現に目前に見る政治情勢ではなく、やがて共産党政権が陽の目を見ることになる「日本の政治の未来」が現在に投影する陰画にすぎないのである。小泉政権打倒と騒ぐ連中の議論などは小事に拘泥し政治の流れの大局を見ない議論である。仮に小泉政権が崩壊したところで民主党政権ができるだけであり、自民党的政治は継続するのであり、そのこと一つとっても小泉政権打倒などという政治目標が無意味なものであることがわかるのであり、そんなものを政治目標にするわけにはいかない。自民か民主かという世情に右往左往することなく、「日本の政治の未来」のために、共産党の得票と議席を増やすことが今一番重要なんだ。と、こういう具合なのである。
 上述した不破の口当たりのいいフレーズも単なる「まくら詞」ではなく、不破の情勢認識の特徴を示しているのであって、不破にとって現政治情勢の最大の政治課題は、まさしく「日本の政治の未来」なのである。冗談抜きに、不破は「日本の政治の未来」のために現在戦い、演説しているのであり、その戦いの手段が全小選挙区立候補戦術なのである。
 それゆえに、全小選挙区立候補戦術もレーニンの教えに背き、現政治情勢の全体を考慮に入れて立案されたものではないのである。ここに不破の個人的資質である独特の思考パターンが全党の戦術を決定するという深刻な問題が露呈しているわけであるが、その点は措くとしても、その思考パターンが政治情勢をことごとく見誤るほかない特質をそなえていることは明らかであろう(注)。
 不破の個人的資質が何を選好するにしても、現在の小泉政権の策動をどうようにして粉砕するか、これを粉砕する具体策を棚に上げて「日本の政治の未来」もなかろうではないか。しかも、その具体策は共産党の目の前に転がっており、手でつかみさえすればよいという他の時代とは異なった特段の政治情勢がある。小泉が自民党を分裂させ議会を解散し、共産党の目の前に転がっている小泉政権打倒の秘策を以前よりはさらに明瞭に教えてくれているのに、それに気がつかないというのは意図的な政治犯罪だと、小泉政権転覆願望派から非難されてもしかたがないであろう。

<(注)このような思考パターンについて、古くはエンゲルスがドイツ社会民主党内の「文士・学生造反」グループを槍玉にあげて特徴づけていた。
「唯物論的方法というものは、歴史的研究をするさいに、それが導きの糸としてではなく、史実を具合よく裁断するためのできあいの型紙として取り扱われると、それは反対物に転化する」(「パウル・エルンスト氏への回答」全集22巻78ページ)と述べたうえで、その「型紙」思考(不破のいう「日本の政治の未来」から現実を眺めるそれ。前記・拙稿「注10」)が、実践的に示す欠陥を次のように特徴づけていた。
「党にとってずっと危険なのは、生意気な文士や学生一味であり、ことに、①彼らがごく簡単なことを目を開けて見ることができず、②経済情勢や政治情勢を判断する場合に、現存の諸事実の相対的な重要性も、相争っている諸勢力の強さも、公平に評価できないで、それゆえにとりわけ、ブルーノ・ヴィレ・・の諸公が、・・・おおっぴらに持ち出したような、③まったく気違いじみた戦術を党に押しつけようとするときである。」(同82ページ、①②③は引用者がつけたもの)
 エンゲルスによれば、「型紙」思考が示す実践上の欠陥には三つの特徴がある。①簡単なことを見分けることができないこと。②情勢全体の中で、諸要素の相互関係、重要性をリアルに認識できないこと。③気違いじみた戦術を採用すること。これらの三つである。そこでこれらの特徴を不破ら党幹部のやっていることにあてはめれば次のようになる。
①、目の前に転がっている小泉政権を敗北させる選挙戦術(全小選挙区立候補戦術の中止)を理解できないこと、②、争点は「日本の政治の未来」だと寝言を言い、自民と民主が中心になって争う政治情勢全般をリアルに見ることができないこと、③、300の小選挙区で1議席もとれないのに全小選挙区に候補者を擁立し、おまけに供託金カンパまで求めようとするのが「気違いじみた戦術」にあたるわけで、こうしてエンゲルスの批判が現代に生き返ってくるわけである。
 このような思考パターンを持つ人物が党首に登りつめ、その取り巻きである志位、市田がその発言から推して、まったくのところ、不破のエピゴーネンであるこの党、このような党がどうして出来上がったのか、党史研究の課題であるが、私はこのような思考パターンを持つ人物が党首や幹部になっていく党を「インテリゲンツィアの党」(前記の拙稿参照)と規定した。>

(7)未来から政治を眺める不破が忘れていること
 不破流の「日本の政治の未来」について補足すると、熟慮すべき重要な問題は、共産党政権はバラ色かどうかということではなく、無党派層の行方である。不破にあっては、現在の悪政があり、全小選挙区立候補戦術を通路として新綱領にあるバラ色の共産党政権という政治の未来が待っているだけであり、この国の国民の特徴と世界的な歴史の経験がまったく考慮されていない。
 現在、無党派層の主流は自民党政権を転覆させ民主党を政権に押し上げようとしている。その一方で、直接民主主義に訴える小泉「自爆」解散で小泉の支持率が上昇している現実もある。つまり、無党派層の全体はこの二つの潮流を持つのである。一方が他方を圧倒していないという現実はこの無党派層が様々な政権を経験したことがないという経験不足に起因するのであるが、小泉は、国民のこの経験不足につけこみ、解散=直接民主主義、「守旧派」造成、「ワンフレーズ・ポリテックス」やら「干からびたチーズ」で庶民性を押し出す小泉流パーソナリティの演出、華やかな経歴の女性新人の起用などで窮地を突破しようとしているわけである。政治情勢と国民性を考慮しない共産党の教条的な戦術とは好対照をなす。
 仮に、小泉が勝利した場合、自民党政権を転覆させようとして千載一遇の機会を逸した無党派層の願望はどうなるであろうか?これが問題なのである。政治的アパシー(虚無感)に陥るだけならば、まだ救いがある。不破が「自民党の総決算的危機」というのならば、無党派層の変革への胎動もまた本格的なものととらえるべきなのである。本格的な政治革新への胎動は、方途を見失えば政治的アパシーに留まることはなく、右翼的変革へと吸収されるばかりか、右翼的変革の急先鋒へと変貌を遂げていくことはナチス・ドイツで経験済みのことである。共産党が教条的に振りまわす「自民も民主も同じ」という議論は、民主党と自民党政権の転覆を願望する無党派層の運動とを同一視することとあいまって悪名高き「社会ファシズム」論を思い出させるのである。
 戦前の日本はナチス・ドイツと並びファッショ枢軸の一角を構成したばかりでなく、ドイツと異なり、戦後においても岸・戦犯内閣を成立させた国であり、政治のうえでも国民性のうえでも戦前を清算しきれていない国(靖国問題!)である。20世紀の半ばまで神国であった歴史の後進性とあいまって、この事実は国民性としても民主主義が未だ定着途上にあることを示しており、ファナティクな政治運動が容易に成立しうる政治的土壌があることを示している。したがって、自民党政権の転覆を願望する無党派層(この集団は民主党支持で凝り固まっているわけではない)を取り込んでいける(溶け合う!)政治戦術が特段の重要性をもって共産党に求められているのである。政治革新を求める無党派層との連合こそ共産党の生命線であり、21世紀に入ってなお、毛嫌いされる政党の第一党たる地位を保持している現状を見ればなおさらのことである。
 「自民でも民主でも同じ」などと教条的な議論を振り回し、全小選挙区立候補戦術をとり続けて、小泉政権の勝利を許すようならば、この無党派層は不破ら共産党幹部が皮算用する将来の共産党支持者予備軍ではなく、共産党への突撃隊へと変貌するであろう。不破の言う「日本の政治の未来」は現在のうちに、現在の政治戦術のうちに潜んでいるのである。