スカンジナビアンさん、レスをありがとうございます。
私の手に余る大問題を提起されていて、困っているところですが、さしあたって、簡単に答えられる部分だけを今回の選挙戦とも関連させて述べてみたいと思います。
まず、レーニンばかりに目を向けるのではなく、ということについてですが、もちろん、私はレーニン崇拝者というわけではありません。私の投稿をみていただければわかることですが、それらはほとんど共産党中央の行状についての批判です。私の思うところでは、共産党は約500万票という貴重な票を得ながら、党指導部の拙劣な選挙戦術のために、その票を政治革新に役立てることができず、起こりつつある政治革新の胎動に対して「冷凍保存」する現状があり、その解凍を願って批判しているわけです。そういうわけですから、その批判にあたって、非力な私の主張だけよりも、彼らが従来依拠してきたはずの権威・レーニンを援用した方が多少とも説得力が増すであろうという浅慮でああいう形になっているわけです。
ご承知のように、現在の選挙戦でも馬鹿げた選挙戦術は変わらず、小泉自民党の優勢を許す事態になっています。小泉・自民の優勢を許しておいて、選挙後の国会で郵政民営化法案否決の「国会共闘」をやろうと表明する政治音痴ぶり、首尾一貫性のなさはあきれかえるほどです。「国会共闘」を言うのならば、選挙戦の段階から「国会共闘」の実現に向けた選挙戦術を、少なくとも、与野党激戦区については候補者を降ろし、与党勢力の当選を防止するべきなのです。特別国会の最重要課題が郵政民営化法案成立阻止ということであるならば、当然、誰しもが考えつくことなのです。
ところが、この党指導部にあっては、選挙は党派闘争であり、相互に批判し、その主張について国民の審判を受け、当選の暁には国会で一致点に基づいた共闘をやる、それが政党としての合理的な姿であり、首尾一貫した態度だと思っているのです。このような考え方は一般的、抽象的、断片的思考であるということが、政治情勢もなければ、相互の戦力についての現状も捨象してはじめて成り立つ抽象的な議論だということがわかっていないのです。政治情勢もなければ、相互の戦力比較もなく、国民の気分感情を視野に入れることもない、そうした党指導部の思考、戦術の欠陥を理解してもらい、政治情勢と党の実力に合わせた柔軟な思考と戦術を取り入れられるようにするために、手を替え品を替え説明するうえでレーニンに登場を願っているわけなのです。
それと、もうひとつ、レーニンを取り上げる理由は次のようなことです。ソ連が崩壊して以降、レーニン批判が流行してくるわけですが、その批判の多くは批判に熱中するあまり「産湯とともに赤子も流す」傾向が強いと私は思っており、批判も必要だが、まだまだ我々が傾聴すべき議論もあるのだということを少しでも理解してもらえればありがたいという願いもあるのです。スカンジナビアンさんの言うマルクスもレーニンも徹底的に批判すべきであるということとも関わってくるわけですが、では「産湯とともに赤子を流さない」レーニン批判というものがどんなものをいうのか、ということになるのですが、それは歴史の基盤の相違を念頭においてレーニンらを見るということになるのでしょうが、長い話になるので、いずれ、機会を見てということでご勘弁を願います。
民主党政権を「より弱体な保守政権」と規定してはどうかということについてですが、研究不足の私には即答しかねるところです。民主党の基本政策を見れば、おおむね、自民党と同じようなものですので、政権を取れば、保守政権の一種になる可能性は高いのですが、一方では、スカンジナビアンさんも指摘されるように、その支持基盤は伝統的な保守とは異なり、今のところ、労組と都市無党派層となっているわけで、その結果、自民党の政策をストレートに自家薬籠中のものにするわけにはいかない事情があり、ここにスカンジナビアンさんの言う「より弱体な」という理由もあるわけです。その意味ではスカンジナビアンさんが言う「より弱体な保守政権」と、さしあたって把握してもいいのですが、私が躊躇するのは、この政党がまだ、かなり流動的な存在であるということなのです。
一つには民主党を押し上げている無党派層が長期自民政権を転覆させようとしており、この無党派層は政治革新の意欲が高いこと、第2には、小泉政権の解散劇をみてもわかることですが、自民党が伝統的な支持基盤を部分的に捨てつつ民主党の支持基盤の一端・無党派層を強奪、乗り換えようとしており、そのあおりを受けて、民主党自体が支持基盤の再整備(左ウイングの拡大)、粛党、政策転換の強圧を受けているということです。いわば、下からと横からの圧力を受けているわけです。第3にこの政党の構成が旧諸党の寄り合い所帯でイデオロギー的に十分な融合、統合が進んでいないことです。そのうえ、第4に、戦後の自民長期政権の存続という独特の政治史の流れの中では、自民に対抗する保守が成立できるのかという疑問、別な言い方をすれば、層の厚い中産階級の存在の有無の問題があります。私が中間的政権と述べたのは、こういう流動的な諸要素を考慮したためです。
次にスエーデン等に見られる社会民主主義政権のことですが、以前、オランダの社会保障システムのことなども含め、多少読んでみたこともあるのですが、未だ、議論の環になるところがわからず手探りの状態です。スカンジナビアンさんによる「日本の近未来社会における社会民主主義政権論とそこへの接近方法」というようなテーマで議論を提供してもらえると、綱領的な議論とも重なり、当サイトもにぎやかになるんじゃないでしょうか。
共産党の自己変革ということについて言えば、例の民主集中性の問題が中心になるところだと思いますが、これについては人文学徒さんやさつきさんが立ち入った議論をされておられるので、党員の皆さんを中心とした議論の発展に期待しております。
ロム3さんへ
好意的な感想をいただき、ありがとうございます。ロム3さんのおっしゃる小泉が革新的で共産党が保守的であるという議論も、無党派層の多くにはそのように見えており、共産党指導部のやり方はそれほどに党を停滞的にしてしまったということなのだと思います。
それから「国の存亡の危機の時、ささいな違いで争っているべきではないと思います。大同団結して危機に当たるべきだと思います。」という点についてですが、党指導部にはそうした現在の政治情勢の特徴が認識されていません。彼らにあっては、現政治情勢も田中角栄の時代同様、自民党支配の政治情勢ということでは「本質的」に変化のないものと把握されているのであり、それだから、ひたすら党勢拡大のみに目がいく選挙戦術に固執するのであって、自民党の別働隊という政治的役割も小選挙区制という変化した外的社会条件が党に勝手に押しつけた役割として無視されてしまうのです。角栄の時代同様、以前と同じ事をやっているのに何が悪いというわけです。今の党指導部は、いわば、長い間、家族に見放されてきた意固地で孤独な老人を思わせるものがあります。
やはり、一般党員が自分の目で現在の政治情勢や党の現状をリアルに見て、何をどうすればいいか、自分の頭で考え行動することが必要ではないでしょうか。特に今回の選挙では小泉の圧勝さえ予想されており、これを何とか食い止める即効薬が必要になっていると思うのです。
とんびさんへ
長い間、ご無沙汰しております。お元気のことと思います。以前、とんびさんから、市町村合併の時代に、どのようにすれば「護憲的無党派の人の力を発揮できる議席獲得」が可能か、というお尋ね(「共産党の議席論について」一般投稿欄2004/9/8)がありましたが、重要なことだと思い資料集めを行ってきましたが、なかなか、これは典型例になるという事例が見つかっておりません。
合併した市町村の場合、選挙戦では共産党は善戦しており、議席定数が減った影響もあり共産党の議席占有率も高まっています。ところが、議席定数が減ったために、共産党が各選挙区に十分な候補者を抱える結果となったためか、護憲的無党派を共同で推薦するというような事例が極端に減ってきているようです。それと、全共闘時代以降、学生運動の洗礼を受けた者達が地方で活動をはじめてた80年代に多く見られた無党派市民運動家、議員のような活動が現在ではめっきり減ってきているような感じを受けます。現在の市民運動の多くはNPOなどのどちらかといえば、日常的には非政治的な運動に重点が置かれており、時と場合によっては政治に参戦するという型が主流になってきているようです。この辺りの事情は<ヒゲ戸田>さんあたりから、お話が聞ければと期待しているところです。
まとまらない話になって申し訳ありません。