9.11総選挙の結果がまだわからない時点で、総選挙について述べたい。
私は「いま日本共産党しかいない」(一般投稿欄)と投稿した。日本共産党中央の方針と行動について、原仙作氏をはじめ論客の鋭い分析や指摘がこの掲示板で見受けられる。
的確な批判は、日本の労働者階級の政党であるはずの日本共産党の前進にとって、有意義な指摘であると思う。
私も、新日和見主義事件以降1970年代以降を中心として、共産党指導部の指導について疑問をもつところは多かった。
だが、最近別の視点をもっている。
共産党をリードし続けてきた不破哲三氏の『私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言』(新潮社2005年8月20日刊行)を読んだ。なかなかすぐれた戦後政治史についての発言である。
けれどここには、東大細胞時代にスパイ扱いされ凄惨な査問を受けた事実も、上田耕一郎氏らとともに、グラムシの構造改革論を学者グループで研究しあった事実もない。あくまで共産党指導者として、政治にかかわってきた事実を選択して述べている。
前任者の宮本顕治氏は、戦前からの巨大な共産主義人間像として中野重治の『甲乙丙丁』において、その冷静さや冷徹さを等身大に描きだされている。宮本顕治は、官僚的な側面を指摘されることもあるが、政局の局面において大衆が何を欲し、どんなふうに働きかければ共産党を支持するかに冴えた嗅覚とよぶほど鋭い直観に長けていた。
私は不破氏の著作を読み、改めて少年時代の長文の時代劇物語執筆を自慢している冒頭部分を含め、不破氏はインテリゲンチェア党員であると感じた。
岩田義道や徳田球一が労働者的な「体臭」を感じさせるのに対して、不破氏も上田氏も、基本的には東大出身の理論家であり、彼らの指導する共産党は、インテリ政党として優れているが、労働者政党としては広範な庶民や労働者とはやや異なる要素がある。
そのことが、理論闘争や論戦においては、他党を圧倒するほどであるにもかかわらず、今国民が何を求めているか、各種の政党がどんな状況にあるかを一歩判断の枠組みから除いて、情勢分析や方針提起を提起している。
そこが、日本共産党に優秀な理論家が結集しても、それらを総合的に有機的に生かし、体系的に行動する基盤を弱くする結果となっているのではあるまいか。
さて、にもかかわらず、私は「いま日本共産党しかない」となおも言う。社民党も魅力的ではあるが、地方首長選挙の動向を見ていると、護憲の候補者とは言いがたい有力候補に相乗りして、市民運動や共産党の連合候補と対立する場面が少なからず見られることである。
秋に市長選がある神戸市長選や川崎市長選を示せば、多くを言うに及ぶまい。
日本共産党は、不十分な政党である。しかし個々の党員や政党の総体として、残念なことに現代日本において、この政党を上回るアメリカ-日本支配層の長期戦略に対峙して、経済的政治的軍事的対抗の構想力を集団的主体として展開している政党は、ほかにいない。
私自身は、政党運動から、「統一と協同の論理」にもとづく21世紀型の円卓型の統一戦線を最適なものと構想し続けているが、現実的な政治の場面ではいまだ現実のものとなり得ていない。
総選挙後の新たな政治情勢において、困難な課題が待ち構えていることが自明のものとして想起されるが、長期的展望と目の前の政治戦術とを見極めつつ、護憲と反戦平和の国内的・国際的伝統に信頼を堅持して、過剰な悲観も楽観も戒めつつ、今後の展開に向かっていこうではないか。(2005年9月10日)