原仙作氏の日本共産党四中総に対する批判は、的確な指摘と具体的分析によって 明確な創造的批判として、得るものが多かった。
とくに、今回の総選挙を9条改憲派は、改憲国民投票の前哨戦としてとらえて、「いくさ」の作戦を構想しているという結論部分でのご指摘は秀逸である。
日本共産党が、護憲闘争を貫き、近づく憲法改定の闘争において、どのような闘争を実効的になしうるかどうか。それは一政党にとどまらず、世界的な注目のもとにある重大な世界的結節点をもつ闘いとなる。
60年安保改定反対闘争は、歴史に残る日本史上最大規模の国民的大闘争であったことは、歴史入門書や現代史概説書でも指摘されることである。今回の憲法改定阻止闘争は、本来ならば、それに匹敵するかそれ以上の意味をもつ闘争である。
にもかかわらず、有効な闘争を、労働者階級の代表政党たる日本共産党は果たしうるか、否か。
もし原氏の共産党批判が、この憲法改定闘争との関わりで把握されていなかったら、私は原氏の分析に批判していたことだろう。
それは、たとえ日本共産党が不十分で、首脳部が責任欠如していたとしても、それにもかかわらず、しだいに激しく反動の政治のもとで、左右にぶれずに、日本共産党が堂々とアメリカブッシュ路線の従属的で忠実な同盟者たらんとする小泉純一郎首相の反動政権に一歩もひきさがらずに闘争し続けている政党として、私にとっては非難よりも叱咤激励すべき対象と見ているからである。
けれども、国民的闘争が盛り上がる前に、一気に国民投票法を実現させ、そのまま国民投票をいま早急に実施したら、国民は憲法改悪阻止、と意思表示するだろうか。
私は最近の都市の住民と若者層を見ていて、はなはだ危ういと考えている。まさに原氏が、指摘しているように「小泉政治の最大の被害者でありながら、選挙にもいかない青年層をたたき起こし、その票をかっさらったのはjcpではなく小泉政権」であったのだ。
いまの日本人の国民意識は、フロムが『自由からの逃走』で指摘し、最近も岩波新書で現在の日本人がフロムの指摘したとまったく同じ心理状況-自分たちの自由を抑圧する権力にすがりつくことで自由を得られるとする倒錯的な状態を叙述した労作が出ている。
憲法改悪という最終的な危機的状況にむけて、憲法と反戦平和とを貫く日本を守る一大政治闘争に、日本共産党も正念場を迎えつつある。
かつて60年安保反対闘争は、その前の警察官職務執行に関する法律への反対闘争や勤務評価反対闘争などのあとで盛り上がりにかけていた。それが急速に国民的闘争に広がっていったのは、戦後の民主化闘争を闘い抜いてきた当時の世代の大きな貢献によるところが大きい。
支配勢力は、国民の反対闘争がもりあがる前に、一気に国民投票法を可決して憲法改定にもっていこうとしている。この戦いで、日本共産党が「進歩とと革命の伝統」の継承者と自認するとしていたら、原氏のような提言に耳を貸して、早急に戦線建て直しの取り組みを強めることが要請される。
厳しい状況のもとで、多くの善意ある共産党員が誠実に生き戦い取り組んでいるであろう。指導部も、決して自民党などのような政党幹部とは異なり、日本のよりよい社会実現をめざしていると信じたい。
けれども、戦後の民主主義を支え続けた平和憲法は、最終局面を危機的に迎えようとしている。いま、有効に闘いぬくことができなかったとしたら、すでにこの世にいない歴史の無告の民衆と、このくにの未来の民衆たちに、なんと釈明することができようか。
声亡き声、岸信介総理はそう言って安保条約を強行可決する前提とした。声なき声、第二次世界大戦に散った民衆たちの英霊こそ、そう呼ばれるにふさわしいであろう。再びアメリカン・ブッシュとくんで世界中に侵略する世の中の到来を望む声なき声が、いささかも存在しただろうか。
憲法9条の会を応援するすぐれた共産党員や支持者も多い。広く深き流れを、滔々と作り出すためにも、その善意を実現するに足りるような日本共産党のいっそうの健闘を、祈念したい。