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「現状分析と対抗戦略」討論欄

ごきげん運動の提唱-千坂さんへ-

2005/11/18 原 仙作

 千坂さん、こんにちは

 3点にわたってのご質問ですが、3点の質問が相互にどういう関係にあるのかよくわからないので箇条書きにすることにします。
 最初の御質問は宮顕時代と現在の執行部を「どのようにとらえているか」ということですが、様々な側面からとらえることができるので返答に窮します。千坂さんが宮顕より上田(耕)がトップであったならば「リベラルな指導」を行ったであろうというところからすれば、お尋ねの主旨は党組織の指導の仕方の違いのことのように理解できるのですが、その意味ではそれほどの違いがあるとは思えません。どちらにしても「リベラルな指導」とは遠い関係にあります。というのはこの党の民主集中性のしからしむるところだからです。

 第2のご質問は上田、不破兄弟の党内での関係ですが、現在は中央委員会議長と党副委員長の関係というほかなく、また上田(耕)が指導部から離れているわけではありません。党副委員長もれっきとした指導部の一員です。千坂さんは「宮本氏時代よりもひどくなり悪化したとは思いません。ある意味では同質の問題が継続していると思います。」と述べておられますが、私も同感するところです。

 第3のご質問が一番重要な問題だと思います。千坂さんは次のように述べておられます。

「それと闘う上で、「不破、志位、市田ら」を全面交代して指導部を民主党のように公開で選挙で変えれば、日本共産党は強大な党に生まれ変わる可能性があるとお考えですか。 私は、指導部を変えてもそれほど期待できると考えていません。」

 私は千坂さんとは逆に「強大な党に生まれ変わる可能性がある」と考えます。というのは、この党が「指導部を民主党のように公開で選挙で変えれば」、それは現在の「民主集中性」という実態としての独裁的な組織原則を放棄することを意味するからです。そして、この事態はこの党に革命をもたらします。誰が指導部にふさわしいかを議論し、候補者を立てて党内外の政策等を競うようになれば、この党にとっては革命的事態であり、上からの指令を実行するだけの組織ではなくなります。

 また、千坂さんは次のようにも述べておられます。

「私は、敵と味方の力関係を見極めながら考えなければ、こちらがわの否定的側面を全面的に清算しさってしまう危険性をもつと考えます。数々の弾圧立法や強権的政策のあい続く強行突破。」

 一般的に言って、現状では、というよりも戦前来、いや、有史以来というべきでしょうか、「敵と味方の力関係を見極め」れば、反体制側は革命的情勢以外では常に劣勢なのであって、劣勢であるということを理由に人民内部の諸政治グループ間の批判や諸政党への批判を不適当とするのでは反体制側の発展ということを期待することはできません。相互批判があってこそ、人民内部にしろ、組織内部にしろ発展が可能になるのです。共産党批判は利敵行為であるという議論がありますが、こうした議論こそ反体制側の発展と連帯を阻害する最悪の議論なのです。相互批判をどのレベルでやるかは政治情勢に依存しています。仮に何らかの政治課題で共闘するにしても相互批判を排除するものではありません。

 少し横道にそれますが、憲法擁護とか憲法改悪反対という一点で共闘するという考え方にしても、60年代、70年代とは異なった現政治情勢の下では、議論があってしかるべきところです。というのは、以前とは異なり改憲論が主流になりつつあるうえ、改憲論に立った上での9条擁護の主張もあるからです。私の思うところでは、「憲法を守れ」とか「憲法改悪反対」という伝統的な護憲論では闘いきれず、『活憲』論に立った9条擁護が自民党の改憲論を迎え撃つ錦の御旗になる可能性が高いのです。
 共産党の指導部はこうした政治情勢や国民の政治意識の変化に対応して戦略と戦術を考えるということが恐ろしく苦手で、伝統的な「護憲、護憲」の一本槍で、護憲論が特定の政治勢力の「ゴケン」イデオロギーにされてしまいかねない危険性があるのです。現に3中総などでは「いま何より重要なことは、憲法改悪反対の一点での共同を広げ、ゆるぎない国民的多数派を結集すること」と述べ、4中総ではこの見地を堅持することが重要だと指摘しており、この見地を深く吟味してみるという問題意識の片鱗もありません。
 小泉政権が先の総選挙で用いた手法であるマスコミの総動員ということを考えれば、伝統的な護憲論は特定政治勢力の守旧派的な「ゴケン」イデオロギーにされてしまうことは火を見るよりも明らかなことです。現政治情勢の下では革新的な、あるいは改革派的な護憲論が必要になっているのです。

 話を元に戻すと、私の共産党指導部への批判が「こちらがわの否定的側面を全面的に清算しさってしまう危険性をもつ」と述べておられますが、「否定的側面を全面的に清算」することが危険なことなのでしょうか? どちらかと言えば歓迎すべき事のように思えますが? 千坂さんはこの言葉で党を解党することをイメージされておられるようですから言わせていただきますが、私は党を解党せよと述べているわけではありません。また、共産党だけがこちら側のすべてであるわけでもありませんし、私の指導部批判は共産党の行う様々な活動すべてを批判しているわけでもないのです。むろん、私の批判が敵の弾圧立法や強権的政策を呼ぶわけでもありません。小泉政権の「強権的政策のあい続く強行突破」を呼んでいるのは巨大与党を生み出した野党の拙劣な選挙戦術、なかんずく、共産党のセクト的な選挙戦術にひとつの原因があるのです。

 また、千坂さんは30年にわたる川崎市長選を見てきて次のようにも述べておられます。

「逆立ちしているのは、指導部も市町村選の主体となった支部もあまり変わっていません。」

 このような認識は、指導部を変えてもこの党があまり変わらないと千坂さんが主張する理由なのでしょうが、私の認識は違います。確かに年配で頭の固い「ゴリゴリ」の党員もいますが、多くの党員はそうではなく、じっくり話せば話は通じます。市長選などの選挙戦では党市委員会レベルだけで選挙戦の形を決定するわけではなく、中央に相談している(数年前の札幌市長選の顛末を見ればわかる)のであって、統一候補の動きが市民の間にある場合などは中央の承認の下で決定していると見るべきです。一般党員レベルの「体質」にしても、首長選におけるセクト的な候補者擁立、選挙戦術にしても、その淵源は戦後の綱領確定以来、約半世紀にわたって君臨してきたたった二人の指導者、宮本、不破に全責任があるのです。
 作家のなだいなだが鎌倉市長選での共産党の選挙戦術を見て「賢い頭が集まれば、かえって巨大な石頭と化す」(サイト「打てば響く」)と評していましたが、党員が石頭になるのは党中央の「かんぬき」が掛かっているからなのです。プロ野球の話ではないですが、今年はロッテが31年ぶりに優勝したように監督が変わればチームは変わるのです。もっとも、引退した指導者が院政を敷くようではどうにもなりませんから、不破、上田らは党の社会科学研究所の研究員になって、彼らが「戦後革命論争史」を出版した以前の入党の初心に立ち返り、自己の言動の真摯な総括と整理の仕事に携わってもらいたいと願っているのです。

 最後に千坂さんのおっしゃる次の点です。

「私は共産党員ではありませんが、この国の「救国や革新」を考えるならば、日本共産党を重要な一員とする「統一と協同」のテーブルについた共闘の運動と主体形成でしょう。」

 私は安易に「統一と共同」とか「結集」とは言いたくないのです。その点では上田(耕)と小田実との対談で小田が言っていることに賛成です。

「誰かが統合しようなんて考えない方がいいですよ。すぐ号令して何かしようと言う人がいるけれども、・・・」(「経済」10月号109ページ)

 このような小田の考え方に賛成するのは、次のような理由からです。第1に、自民党の改憲論を迎撃するには国民的規模での広がりをもった運動を必要としていること。このようなスケールの運動を短時間で「統一」することはもともと不可能であること。また、運動論の見地から言えば、統一より多様性が必要であること。第2に自民党の改憲論の粉砕という目標は、事の性質上、最終的には国民投票における否決ということに収斂しますから、自民党の改憲論を粉砕するという言論上のコンセンサスが国民の多数派として形成できれば十分なのです。
 だから、護憲派の人たちが身近な一人ひとりの家族、友人、知人、親戚等を護憲派に変えること、そして、護憲派となった友人、知人らが護憲派のオルガナイザーとなっていく、そういう働きかけが決定打なのです。「テーブルについた共闘の運動と主体形成」など必要ありません。というより、現状ではテーブルにつくのは特定の党派だけで、テーブルにつくやいなや、狭い守旧派護憲論のイデオロギー運動にされてしまいます。今は、造反派の荒井議員の言ったような「ステルス」作戦が必要なのです。
 いわば、一人で護憲(5件=5人)を目標とする「ステルス」ネズミ講戦略です。先の総選挙での総投票数が6800万票、社民、共産の合計得票数が約850万票なので一人5件で軽く4000万票を突破できる計算になります。問題は計算を現実化させるアイデアと実践の独創にあります。護憲派の国民が『勝手連』で好きなようにやって、「9条の会」に参加するなり、好きなように連帯してゆけばいいのです。私は『一人護憲(5件)で護起憲(ごきげん)運動』を提唱したい。ダジャレで言っているのではありません。センスのほどは別にして大まじめなのです。
 国民的合意を広範に調達できる革新政党が存在せず、マスコミがあげて政権翼賛派に転換しており、しかも青年層に右翼的気分が沈殿している現状ではこうした方法しかありません。しかし、「一人護憲(5件)」のようなことを合い言葉にできるならば目標は確実に手の届くところにあります。